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贖罪のミンネ





映画には、夜の街を歩く男女の横顔が映し出されている。そういえば久しく女を見ていない、と思った。この分ではそのうち世界は亡ぶのではないだろうか。何も考えず略奪をし道理を壊して回る人間が、この世界には多すぎる。

―――それでツァーリィエもろとも世界が亡ぶなら、イタルになんの異存もないのだが。なんてことを考えていたら、イタルの空になったグラスを三度めに満たしに行ったセンリが、僅かにイタルへの距離を詰めて座った。テレビの前に置かれたこのワインレッドの羅紗の掛布がかかったソファが、二人分の体重を支えて軋む。

さっきその鉄臭い染みをさっさと落とせと言ったから、かれが着ているのはイタルも知らないところに常備しているらしい、かれの部屋着だ。その性癖と思考回路以外は割とまともな人間なので、血染みのついたスーツを脱げばセンリは年相応の若者にしか見えない。そのものほしそうな目で、じっとイタルのほうを見つめている。

「何だ」

間近な視線が鬱陶しくなって単刀直入にそういえば、センリはどこか叱られた子供のような顔をして、まだワイシャツにスラックス姿のイタルをじっと見つめた。その裡に渦巻く知りたくもない激情は、その表情からは垣間見ることが出来ない。

「…触れても?」

いつものように窺うようにそういったセンリに、イタルは僅かに目を瞠った。かれの気を損ねるようなことは、たとえばイタルの肌に誰かが触れたりだとか、だれかが罵倒をしただとか、そういったことは一切ないはずだ。けれどかれはいつもそういったときにするように、返事を待つ従順なイタルの犬の顔をしている。

センリがイタルの許可がない限り、決して無体をしないというのは、昔からのことだった。

「…何かあったのか」
「いえ、…ただ」

いつのまにか銃撃戦に巻き込まれていた画面のなかの古い女優と男優は、すでにイタルの意識から追いやられていた。どうしてこうなったんだか。筋書きすら呑み込みきれていない。どうやらこの映画とは相性が悪かったらしい。ちっとも頭に入ってこなかった。

「…すこし、あなたに似ています」

センリが僅かに頬を染めて言ったのは、そんな一言だった。画面の中では、銃弾を受けた女優の白いドレスが黒に塗りつぶされている。ヒロインはどうやら、ヒーローを庇って死ぬらしい。崩れ落ちた少女を抱きとめた男が、必死の形相で何かを叫んでいた。

何を言っているんだこいつは、と思うと同時に、血の赤が似合うと常日頃からうっとりとイタルに言ってくるセンリを思い出してため息をついた。かれにスイッチを入れたのは、そうして血に染まった哀れな少女であるらしい。この映画がカラーで残っていなくてよかった、としみじみ思う。

「…触れたい、イタル」

切なげに息を吐いたセンリに、イタルはそうそうに白旗を上げた。センリがイタルの名を呼ぶのは、合図だった。我慢の効かない駄犬が、よだれを垂らすのをやめて飛びかかってくる直前の合図。

「……、駄犬が」

後ろから手を伸ばしてきたセンリの腕が、まるで壊れやすいガラス細工にでも触れるようにそうっとそうっとイタルに触れた。輪郭を確かめるように肩を撫で、指先を辿る。爪のひとつひとつの形を確かめるように滑る指が、うっとりと耳元で漏れるため息が、どことなく不穏な空気を醸し出していた。

「甘い、匂いがします」

指先を持ち上げて喉の奥で笑ったセンリのせいで、完全に映画のことは脳内から消えた。復讐を誓ったらしい男が銃を取り、そして愛しいひとの敵を討とうとしている映像を、テレビの電源ごと消す。ぶつんと無機質な音を立てて、部屋は静寂に包まれた。肌色の光を降らすライトだけが、決して狭くない部屋を照らす。どうやらこの映画とは縁がなかったようだ、と思いながら、イタルは指先にキスを散らしている男の顔をため息を吐いて眺めた。一種の造形美すら感じさせるそれは、その中に厄介な思考回路を隠していることなど微塵も窺わせない。

「おい」

最初は触れるだけのキスだったのか、いつのまにか男の歯が指先に甘噛みをくわえている。どこか背中がざわめく感覚を疎んで、イタルは足先でかるくセンリの足を蹴っ飛ばした。

「…食べませんよ、ご心配なく」

濡れた唇を手の甲まで滑らせて、センリは蕩けるような笑みを見せた。音を立てて唇を離し、イタルの背中を痛めないようにゆっくりと大きなソファにかれを押し倒す。暗くなった視界のなかで、イタルの表情が言い表せない感情に歪んだのを、果たしてセンリは気付いただろうか。

「……あなたの指に触れられなくなるのは、勿体ない」
「…そもそも、おまえにくれてやる気もないけどな」

愛おしそうにイタルの頬に触れ、センリはしあわせそうに笑った。心底イタルが好きで、たいせつでたまらないという顔をしている。なんとなく呆れて笑ってしまってから、イタルは薄い咽喉の皮膚を舌先で辿るセンリの頭に手を回そうか悩んで、やめた。いつ頸筋の頸動脈を噛み切っても違和の無い狂犬に急所を預けることには、月日が流れるにつれ、慣れてきている。きっとこの首を噛みちぎるその時もセンリはあのはにかんだような笑みを浮かべているのだろう。イタルの血を浴びて、しあわせそうに。

「…ん」

口端へキスが落とされた。撓んだ瞳からは、センリのその淀んだ欲望をひとつも読み取ることは出来ない。多幸感に上気した頬は、ひどくしあわせそうだ。

「……やっぱり赤が、似合う」

熱に浮かされるようにほうっとセンリが呟く。もどかしそうにイタルのシャツのボタンを外し、その白い鎖骨に顔を寄せ、そこをきつく吸い上げた。












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