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黒い光が静馬の胸を貫き、そしてその身にすっかり呑み込まれてしまうと、内裏には不気味なまでの沈黙が広がった。豊かな九本の金色の尾を逆立たせた葛葉の手のなかで、静馬は静かに眼を閉じて横たわっている。その場にはすでに、先ほどまでの禍々しき気配は、一つも残っていなかった。

「…静馬ァ!!」

沈黙を破ったのは、真っ先に我に返ったかれの兄の絶叫だった。葛葉の腕から弟を奪いとると、その口元に震える手を翳して、穢れのない水干に包まれた平らな胸に耳を押し当てる。何度も何度も静馬の名を呼び、そのほおを叩き、弟をこちらに呼び戻そうと躍起になっていた。蔵人の制止を押しきってそばに寄ってきた帝が、じっとその表情を見守っている。

「……、あれは、静馬の霊力だった」
「…なに?」

震える声がぽろりと玉砂利に跳ねる。そこに膝をついたまま動けない、葛葉の発した言葉だった。聞き咎めた帝が、そよぐように九尾の狐を振りかえる。

「あの呪式。…静馬のちからを吸い取って、それをこっちにぶつけてたんだ」

自分に言い聞かせるようなちいさな声だったが、それは確かに帝の耳に、そして数馬の耳にも届いたようだ。はっとして弟の顔を見た数馬が、その頬に手を添えて自分の霊力を注ごうと意識を集中させている。けれどどうもうまくいかないらしかった。かれの手と静馬の間で、静馬が受け取れなかった霊力が爆ぜる。

「…なんでまた、この子に。清明の血族を狙うのなら、私や数馬のほうが都合がいいはずだ」

長老がじっと弟の名を呼ぶ数馬のほうを見つめていた。生まれて初めて感じる無力感に打ち震えていた葛葉が、はっと顔を上げる。

「静馬?」

契約によって魂を縛られる葛葉には、微弱だがまだ静馬の意志とでも呼ぶべきものが存在していることを、はっきりと感じられていた。けれどその静馬の命の輝きが、大きく点滅を繰り返しているのが分かる。

「…退け!」

今にも闇に呑み込まれそうな静馬を感じて、葛葉は数馬からあるじを奪い返していた。まだ身の裡に少しだけ残っていた、ここに来るより前にかれから分け与えられていたかれの霊力をかれに還そうと、その掌を掴んで自分の胸に押し当てた。けれどそれですら、今の静馬には難しいものだったらしい。力を失った掌は、源泉を同じくする葛葉からの霊力の補給ですら出来ないようだった。きらめかしい光がぽろぽろと掌から溢れて跳ねる。それでも今にも消えそうなその命の灯を照らすには、少しでもかれ自身のちからをかれに戻さなくてはならない。呪詛によってすっかり別物になってかれの胸を貫いたあの黒い光には、静馬を生かそうという気はないらしかったから。

「…生きてろよ、静馬…ッ」

葛葉は静馬の後頭部に手を添えると、その乾いた唇に自分のそれを重ねた。無理やりに静馬の体内に霊力を満たすために、口移しで力を分け与える。かれが薄くまだ息をしていることが、はっきりと分かった。それに今は信じられないほどほっとして、葛葉は身の裡にある力を全て静馬に還してやってから、ひとつ息を吐いた。

静馬はまだ生きている。あれほどの呪詛に喰われながらも、まだ静馬として生きている部分がある。俄然、葛葉にはかれを蟲毒から取り戻すという希望の光が見えた。

「…数馬よ」

そしてそばで弟の手をずっと握っている今清明に、帝がふいに声をかけた。はっとして背筋を伸ばした数馬が振り返る。帝は静かに、かれに問うた。

「静馬の母親は、誰だ?」

その言葉に、さっと内裏に緊張が走った。このような事態で、突然そんな言葉が出てきて驚いたのもある。それよりもなお、あの帝がそんなことを言ったのならば、もしや、という気持ちもある。けれど数馬は眉を潜め、ひそやかに首を振るだけだった。

「存じ上げません。…私とは母親が違いますが、父も母も、最後まで口外はしませんでした」
「…どういうことだ、ジジイ」

静馬を抱えた葛葉が、きっと顔を上げて今上帝を睨みつけた。じっとその金色の瞳を見返して、かれが長く嘆息をする。

「お前も視ただろう、あの術の強さを。あれに喰われながら生きながらえるなど、…もはや人間ではない」

その言葉に、葛葉は言葉を失った。視線を目を閉じた静馬に落とす。…あれだけの霊力を身に秘めながら、術のひとつも使えない静馬。葛葉に名前と塒を与え、ともに時を過ごした陰陽師。

幼いかれの声が、鮮やかに脳裏に蘇ったからである。

――――…お前の名は葛葉だ。きれいな名だろう。ひい爺さんの母上は、じぶんをたすけた猟師に恩返しをしたそうだ。だからお前もいつか僕に恩返しをするんだぞ。

傷ついた葛葉の手当てをしながら、歌うようにそういったかれ。まだ幼かったかれは、狐の姿を取っていた葛葉にそのちいさな体を預けては、よくその話をしていた。かれの曽祖父、安倍清明。かれの母は、九尾の狐であったという。

「…静馬が半妖だとでも、言うってのか」

震えてしまったその言葉に、帝が返して寄越したのは。ただ是、とでもいうような、重苦しい頷きだけだった。






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