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「あっぶねえ…」

絶対絶命、と思った。いくら年を取ろうとも、かれはかつて、兄と殺し合いをして東の大公となった人間である。雑兵どもに遅れはとらなかった。メイドたちを逃がし、僅かばかりの騎士とともに槍を手に傭兵団を蹴散らした、だが。

その死体を踏みつけてゆうゆうと歩いてきた男に、年甲斐もなく手が震えた。

その男は明らかに雑魚ではなかった。両の手に剣を持ち、舌舐めずりをしそうな表情で真っ直ぐにかれへと歩み寄ってくる。槍を構えたとほぼ同時に、その穂先が乾いた音を立てて絨毯に斬りおとされた。

男は無精ひげを生やした口元ににやりと笑みを浮かべると、ゆっくりと二本の剣を構える。深紅の髪はかれがこの国のものでないと窺わせた。明らかにただ者ではない。

せめて、と妻と娘の身を案じながら後ずさった東の大公は、そして嗤う男の背後に見た。

「今の一個借りだろ。絶対そうだね」

気絶をした騎士の手から奪いとった剣を、まるで短刀でも投げるようにして眼前の男の背中に投げつけた男をである。その剣は切っ先を前に勢いよく男の背中へと迫った。大公は目を見開き、そしてその声にどこか聞き覚えがあることに気付く。

「…誰だ、テメエ」
「お前こそ誰だよ。俺は今、めちゃくちゃ機嫌が悪いんだ」

剣を斬り飛ばした男の興味が、大公を逸れた。そしてまるで距離を感じないような速さで駆け寄ってきた闖入者の剣撃を、二本の剣を交差させることで防ぐ。その隙に大公は、折れた槍を思いきり男の肩に突き刺した。

「ぐっ…」
「っとと」

背後と前、囲まれることになった男が、両手の剣を振りまわすことで二人を威嚇する。背後に跳んで避けた闖入者と辛うじて防いだ大公をぎらりと睨み、男はそのまま風のように窓から飛び出していった。

「あっ!ちょっと待てよ、おい!」

窓のほうを見に行った闖入者が、諦めたように頭を掻く。そして、大公を振り向いた。機嫌が悪そうな仏頂面である。

「…お前は…」
「ま、無事でなにより」

そこに立っていたのは、今は亡きかれの騎士の息子であった。真面目で礼儀正しいあの騎士の息子かほんとうに分からないような腕白な騎士だったが、大公はそれが嫌いではない。今の態度もだ。…しかしかれは、息子とともにまるで魔法のように消えうせてしまったのではなかったか。思いいたって大公は、目を見開いてその姿を見る。以前に比べ、子供らしさがなくなったように見えるその整った顔立ちは、すこし男らしくなったように思われた。

「父上!」

声を掛けようとした大公を遮って、再度凄まじい勢いでこの執務室の扉が開く。思わず身を竦ませるのと、洸が振り向いたのはほぼ同時であった。蝶番が壊れる音がする。そして、そこにシャンデリアのひかりを浴びて立っているのは、亜麻色の髪の青年だ。

「郁人!無事か、怪我は」

かれがその名を呼ぶ前に、洸がそう郁人の名を口にした。そこにいるのは紛れもなく、かれの息子の姿である。眼前の騎士はかれへの興味を失ったらしく、郁人の傍へと駆け寄っていった。そして血まみれのその頬を拭い、郁人が首をふるとほっとしたように一歩引く。その様子に何となく笑ってしまってから、郁人は父のそばへと歩み寄ってきた。おそらくは幼馴染が危機を凌いでくれたのだろうと部屋の惨状で判断をしながら、父の傍らに膝をつく。

「ご無事でよかった。母上も鈴音も無事です」
「…みなは、どうした」
「助けられたものは、皆厨房に」

かつてこの家を出る原因などわすれたような顔で、かれは父を助け起こす。かの父は数か所に怪我は負っていたがどれも深手ではなかった。言葉を交わさないままに視線だけ交差させているふたりから目線をそらし、洸は火の手も幾筋か上がっている町のほうを見た。

煙とも狼煙とも判断の付かぬ細く長い煙が立ち上っている。時刻は既に夜半で、むしろ暁が近付いているころである。目を凝らすと、その中に規則正しく動くものを見つけることができた。

「おい郁人、あれって、まさか」
「どうした?…」

駆け寄ってきた郁人の腕を引き、国境へ続くメインストリートを蠢く物体に指を差す。ようく見ると整然と歩く騎士たちの白い鎧が月明かりを跳ね返すのが、わかった。それらが取り囲むようにしているのは、人の背丈よりすこし高いほどの細長い物体である。形状からして大砲のように見えた。

「…あれ、まさか例の兵器か」
「予想より一晩早かったよ。急ぐぞ!」

郁人が言うなり、窓枠を蹴って駆け出していく。大公は目を細め、何も言わずその背中を見ていた。苦笑いを向けてやってから、洸も迷わず後を追う。町は静寂に満ちていた。月明かりと街灯がてらてらと町を照らしている。

「あれでは近寄れないな。…ラインハルトたちを探そう」

かつて郁人が本を読んでいた中庭は見るも無残に荒らされていた。おそらくは中央からだろう、やってきた騎士たちが慌ただしく邸へと駆けつけてくる。おっせえよ、と吐き捨てた洸に苦笑いをして、気付かれないように邸を出た。メインストリートまでは通りを二本ほど挟むが、そう遠くはない。

「…洸、怪我はないのか」
「俺があんなのに負けるわけねえだろ。あ、でも、お前の親父さんのところに来た二刀流の男だけ馬鹿強かったな」
「二刀流?珍しいな」
「ああ。逃げてったけど」

先ほどまでの切羽詰まった郁人の表情はもうない。それに安堵をして、洸はぐしゃりと郁人の髪を撫でた。ほぼ同時にすっと目を細め、洸は郁人の腕を引っ張って細い路地裏に入る。レンガ造りの家と家の間にある僅かな隙間だ。幼いころはよく、ここを通って近道をした。

「うん?」
「静かに」

今となっては流石に狭いそこで抱え込んだ郁人の口を掌で塞ぎ、洸が横を顎で示す。視線をそちらに戦がせた郁人の目が、まるく見開かれた。

「くそ…!こんなに早く攻めてくるとは思わなかった」
「俺の見込み違いです。…大公様もいらっしゃる、どうか、どうかご無事で…」

そう小声でやりとりをかわしながら駆けていく影が、二人の横をちょうど通り過ぎるところだった。見間違えようもない。背が少し伸びて、髪を切ったのだろう短くなったこげ茶の髪にそれから良く通るやさしい声は、紛れもなく郁人の兄のものだ。付き従い駆けるのは、かれの優秀な騎士だろう。

「なんていうか、相変わらずだな、兄貴…」
「父上にも怒鳴られなかったし兄さんもクリア。なんていうか、安心した」
「鈴音ちゃんは?」
「いうな」
「よしよし」

二人が遠ざかってから、路地裏から出る。或人と悟が勢いよく玄関の扉を開けるところが見えた。鈴音の名を出されて表情を曇らせた郁人の肩をぽんぽんと叩き、メインストリートを覗く。騎士たちと、そして大砲のようなその兵器がちらりと見えた。近くで見て分かるとおり砲身は人の背丈よりだいぶ長い。どうやら滑車のついた台に乗せられているようだ。

「裏道から行こう。多分国境付近が一番混戦のはずだ」
「わかった。…まあ鉄面皮とあのシオンなら大丈夫だろうけどな」
「まあ、それはおれもそう思う」

なんとなく視線を合わせて二人は苦笑する。そして、合図もないまま二人同時に駆け出していた。






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