シルヴァがムラの寄り合いに参加するあいだ、スグリは大抵アザミの家にお邪魔することになっている。今日もかれが集会所へ行くよりさきに、かれがスグリをアザミの家まで送ってくれた。手を振って別れ、スグリはよく馴染んだその家へと入ったのだが。
いつもなら真っ先に飛びついてくるアカネが姿を見せないものだから、すこしへんだな、とは思ったのだ。アザミにアカネの所在を尋ねたらにこにこ笑うばかりで答えてくれなくて、スグリは困り果てた。アカネ、とかのじょを呼ばわってみても、とおくでがたがたと忙しない物音がするだけで、アカネ本人は姿を見せない。
「え、スグリもう来たの!?」
「あ、いた」
結局彼女のことを発見できたのは、普段は滅多にそこにいることを見かけない台所でのことだった。アカネはなにやら熱心に何かをしていたようだったが、慌てた風にこちらを振り向いてそう叫ぶ。何をしていたのかな、と思って近付けば、アカネは困った顔をした。
「…これは?」
そばには不思議な形をした木の実が半分に割られて転がっている。その中味だったらしき茶色の液体は、甘い匂いを醸し出していた。
「えーっと…、今日は特別な日で」
アカネはどうやら、その茶色い液体を固体にする作業をしていたらしい。机の上は汚れ放題散らかし放題だったが、皿の上には同じ甘い匂いのする茶色いひと口大のものが転がっている。
「そうなの?何の日?」
「…いつもお世話になってる人に、これをあげる日」
スグリのムラでは、聞いたことのない風習だった。そんな日があったのかと思いながら、スグリは割れた木の実の片方を手にとってみた。
「これ、山のあっち側で採れる木の実。あっためて割ると、これが出てくるの」
アカネの両手には余るくらいの大きさの木の実は、見たことがないものだ。手についたその茶色いものを、スグリは手に近づけて匂いを嗅いでみる。甘くて、美味しそうな匂いだった。
「食べれる?」
「うん」
恐る恐るそれを舐めてみると、それは匂いに違わずひどく甘い味をしていた。おいしい。スグリがすこし驚いた顔をしたことに気付いたか、アカネは、その子供らしいふくふくした頬をちょっと緩ませて、どうやら出来あがったばかりらしいそれをスグリのほうに差し向けてくれる。
「いつも、ありがと。スグリ」
「…俺に?いいの?」
びっくりして思わず聞き返したら、アカネは大きく頷いた。その表情が、年相応の子供らしい笑顔になる。妹たちを思い出した。…思い出して懐かしくなるけれど、もう、あのころのように胸を刺し貫くような痛みを覚えることはない。かのじょたちはかのじょたちで、きっとしあわせに生きていてくれる。そう思えるようになったのは、このムラのひとがものがやさしいからだと思う。
それを口に含むと、固体だったそれはすぐに融けて液体に戻った。ひどく甘いけれど、どこか安心するような、そんな味である。
「…これ、なんていう食べ物?」
「チョコ、だよ」
チョコ。やはり聞いたことのないその名前に、スグリはそれを思わず反芻した。ありがとう、ともう一度いってアカネの頭を撫でてやると、彼女はうれしそうに顔を綻ばせる。
ほかにもたくさんあるチョコの成形したやつを、アカネがアザミのところへも持っていくのをスグリは手伝ってやった。ほかにも何個か貰ったが、どれもびっくりしてしまうくらい美味しい。こんな食べ物があったんだね、といえば、この時期にしか成らない木の実なんだ、と言っていたから、季節の風物詩のようなものなのだろう。相変わらず未知に満ちたこのムラの生活が、気付いて自分でもびっくりしてしまうくらいには好きだった。
シルヴァもこれを食べたことがあるのかな、と思うのは、無理もない。このムラでの暮らしがひどく楽しいのは、知らないことで満ちていることでもたらされるのがわくわくやどきどきだけなのは、シルヴァのおかげだったから。
シルヴァのことが、とても好きだった。思うだけでしあわせになれるひとの名前を、スグリは知っている。そしてその声が自分の名を呼び綻び和らぎ笑い、たいせつでたまらないというふうに触れて抱き寄せてくれることは、とても幸福なことだと思う。スグリの胸を占めるあたたかな気持ちは、しあわせを感じる部分は、シルヴァがくれたようなものだった。
なんてことを考えていたら、アカネの作ったチョコをいっしょに食べて上手になったわね、と言っていたアザミがふいに顔をあげ、
「スグリも、シルヴァに作っていく?」
といったから、一も二もなく頷いたのも、無理はない。
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