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テレビ番組もバレンタインムード一色のなか、俺が起床したのは昼過ぎのことだった。びっくりである。昨日龍太郎が事務所の先輩だっていう大御所の俳優に貰ってきた超絶高そうな日本酒をぐいぐい飲んで、ひどく酔っ払ってたことは覚えてる。さんざん暴れて龍太郎に迷惑をかけて、そんでもって結局そこらへんに寝こけてたのをベッドに放り投げられていたらしい。俺はあんまり二日酔いをしない性質だし、たぶんきのう龍太郎が色々二日酔いしないようなものを食べさせておいてくれたことが、居間の状況から明らかになった。ちなみにここは、龍太郎のマンションである。

バレンタインデーともなれば、今をときめくイケメン俳優さんはたいへんに忙しい。今日もどこだかでイベントがあってそれに参加するってのは昨日きいてた。ような気がする。いまいち覚えてない。

一応今日はバレンタイン、恋人たちの日なわけで、何か用意したほうがいいかな、とも思った。思ったけど俺は龍太郎の幼馴染なわけで、あいつがチョコ嫌いなことはとっくの昔にしっている。ごめんよ、龍太郎にチョコをあげた女の子たち。ほとんどのチョコは、俺と俺の母さん、あいつの母さんの胃袋に消えました。だから、そんな俺があいつにチョコをあげるのもどうかと思ったわけですよ。

りゅうたろはたぶん、俺があげたチョコなら食う。なんとなく、それは分かっていた。でもなあ、甘くないチョコ作るっていったって俺にそんなスキルはないしなあ、と悩んでいるうちに、昨日だったわけである。これは非常に不味い。不味いぞ。

とりあえずデパートにでも行ってなんか買ってこよう、きっとチョコが嫌いな男向けのコーナーとかあるに違いないと思ったら、玄関の扉に昼ごろには帰る、という張り紙がしてあったのでびっくりした。これはあれか。大学院の研究室に逃げかねない俺への無言の圧力というやつか。…昼ごろって今じゃん。どうしよう。

龍太郎はきっと、今日もいろんなチョコを貰ってくる。それなのに俺が渡せないのは、なんかまずいと思う。俺も、それはいやだ。もちろん俺はこれまで、バレンタインといえば龍太郎からたくさんチョコを貰える日、という認識でしかなかった。そんな俺がこんなふうに考えるようになったんだから、なんていうか、恋ってやつは凄いね。俺はひとつ深呼吸して、ストックしてある俺のおやつに板チョコがあったことを思い出して仕方なく台所に向かった。許せ龍太郎。来年は、寝過ごさないようにする。



「…ただいま」
「……おかえり。お疲れさん」

俺の声が引き攣っていたのも、無理はないと思う。異臭漂う部屋。玄関先で正座をしている忍。何か、とてもよくないことが起こったのは明白だった。もともとずっしりと重かった手の紙袋が、ますます重く感じる。

バレンタインデーなんて憂鬱なイベント、去年までは大嫌いだった。まるで俺に渡さなきゃいけないみたいな強迫観念にでも突き動かされるかのように積み重なるチョコの山。ものほしげな忍の視線。そんな顔しなくても全部お前のだ、と耳打ちしてやると、ぱあっと明るくなるけれど、どこか申し訳なさそうな顔。

結局全部ちょっとくらい食べろって言われて押しつけられて、バレンタインのあとはしばらく胸やけが収まらなかった。今思えばそれは、もちろんチョコのせいだけじゃなかったんだけど。うれしそうに笑う忍に、言い様のないもどかしさを感じることは、けれどもうない。

「…どうしたんだ?」
「……」

忍が恐る恐る、といったふうに背後から俺の前に滑らせたのは、一枚の皿だった。その上に乗っているものをみて初めて、俺はこの特異臭が何から発せられているのか気付く。…なにか黒くて、焦げたものだ。

「…作ってみたんだよ」
「……なんだ、これ?」
「………チョコ」

いや、それはねえだろ。常識的に考えて。なんか縮れてるし。匂いもねえし。
でも躊躇いなくそれを口に含んだのは、びっくりするよりさきに、うれしかったせいだと思う。

「あ、待て!」
「……」

不味いけど。ふつうにものすごく不味いけど。何だこれ。思わずへんな顔になる。炭化しきっているわけではないのに、どこか饐えた味がするというか、なんというか。材料が化学薬品でも驚かない。これは、ごくふつうのチョコで出せる味ではないと思う。

「…ば、ばか!食えなんて一言もいってねえじゃん!俺はただ、頑張ったんだぞっていう証拠を見せたくてだな…」
「うん、すげえ不味い」

慌てて皿を引き戻そうとしたのを奪いとって、俺はもうひとつを口に運んだ。相変わらず不味い。なんていうんだ、苦味もあるし、ちょっと酸っぱいし、とりあえず不味い。

「…どう考えても材料が足りなかったから、それっぽいもの入れたら、そうなった。…レンジはこんど、買って返すわ」

ぺたんと床にへたりこんだ忍が、とつとつと語る。どうやらろくに使っていなかったオーブンレンジはご臨終したらしい。べつにいい、と言い置いてから、俺は咽喉に引っかかるこの奇妙な物質を目を眇めて見た。

「ありがとな」
「どこをどう取ったら、その言葉がでてくるんだよ…」

俺はお前が、俺に対してバレンタインになにかをしようとしただけで十分にうれしい。ずっと俺の貰ってきたチョコをうまそうに喰ってるお前を見て、すごくもどかしかったから。そんなこと恥ずかしくて言えないけれどどうしようもなく緩んでしまう顔を隠せないままに、俺は座ったままの忍に手を延べた。

「俺からのお返しはホワイトデーでいいんだろ?」
「こんなのにお返しなんていらねえよ、といいたいとこだけど、もらう」
「素直でよろしい」

立ちあがった忍が、空になった皿をじっと見ている。しょうがないやつ、とでも言いたげに俺を見て、チョコの詰まった紙袋を手にさきに居間のほうに走っていった。それを追いながらちらっと覗いた台所は、…まあ、うん。

「あー!これマユミちゃんのチョコじゃん!貰ったの?すげえ!」
「事務所に届いてた。もう岩瀬さんが名前の控え取ったから、好きに喰っていいぞ」

先に共演した女優は、ごていねいに直筆の手紙までつけて寄越してくれた。手紙だけ抜き取っておけばよかった、なんて意地悪いことを思いながら、俺は包装を解いて高そうなチョコに感動したように眺めている忍を見る。岩瀬さん、…うちのマネージャーだが、は俺の最近の浮かれようとバレンタインのイベントからさっさと帰るっていう週刊誌に書き立てられないとも限らないことに目くじらを立てていたけど、まあいっか。おかげであの物体Xももらえたわけだし。

「な、忍」
「ん?」

…さっそくチョコを頬張ろうとした忍に不意打ちでキスを仕掛けたら、ものすごく微妙な顔をして、まずい、と言われた。









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