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サルビア




ちらちらと風に雪が交じるようになる。空気がりんと張り詰めて、無意識のうちに息をつめてしまうほどに寒い。空が抜けるように高くなり、それと同時に、このムラは慌ただしく冬への準備を進めているようだった。シルヴァもいつもより狩りに出ている時間が長くなり、狩ってくる獲物も多くなる。それらはすべて、塩や香草に漬けて保存食にされていた。シルヴァが淀みのない手捌きで獲物を捌いていくのを何も分からずただ見ているだけだったスグリも、数日それをずっと眺めていたら、なにをしているのか分かってくる。これが冬の間の食糧を確保するためなのだと気付いたら、スグリもなにかを手伝いたくなるのは、ここで暮らしていくと決めた以上、当然のことだった。

いつも通り狩りに行くシルヴァを見送って、スグリはひととおりの仕事を終えた。アザミから頼まれた薬草の選別であったり、誰だかが欲しがっていたらしい大きな籠を編んだりだとかそういうこまごました仕事がなくなれば、スグリはすっかり暇になる。いつもならぼんやり習ったこのムラの言葉をおさらいしたり籠を編んで過ごすのだが、今日は違った。

吐く息が白い。スグリはこのムラに来て初めて、自分ひとりでムラの外へと出たのだ。ひとりで出かけるという話をさっきすれ違ったアカネにしたときは、ひどく驚かれたものだ。ついていこうか、と言われたけれど、スグリはれっきとした男なのであって、少女に手伝いをさせるようなことはさすがにばつが悪い。大丈夫だよと断ってきたはいいものの、その実少しばかりの不安はついて回っている。

というのも、スグリが目指しているのは、シルヴァが何度も連れていってくれた山上の隠れ家めいた秘密の場所であるからである。勿論そこへ辿りつくまでの道は覚えているけれど、ひとりで行くのははじめてなのだ。手には自分で編んだ籠をぶら下げている。あの場所に成っていた木の実や果実、それらを持って帰って、かんたんな保存食を作ろうと思っていた。

シルヴァに頼めば、きっとかれはそれらを持ってきてくれるだろう、とは、考えた。けれど狩りに出るかれにこれ以上負担をかけたくはないし、スグリも一人前の男として、出来ることは自分でやりたかったのである。シルヴァはスグリのことをまるで右も左も分からないような子供みたいに大事に大事に扱うから、こうしてひとりで出来るということを、見せたかったというのもある。いうなれば、これは、スグリの男としての意地だった。生活の面倒を見てもらっている以上、やれそうな仕事は自分でやる。そうスグリは決心したのである。

ひとりの山道は、すこし長い。生まれ育ったムラにいたころもひとりで花や蔦を取りに行ったことは数えるほどしかなかった。その数少ないうちの一回で、スグリはシルヴァに出会ったのだ。それはあのムラにおいて、すぐに体調を崩し倒れたりするスグリが外に出ることを、周りがよく思わなかったせいもある。けれどここでは違う。シルヴァはスグリを連れてそとへ行くのを躊躇わない。かれは、スグリにいろいろなものを見せてくれた。スグリはだから、どうにかしてシルヴァに何かを返したいと、そう思っていたわけである。

いつもシルヴァと外に出かけるときのように厚着をしたのは、自衛の一種だった。具合が悪くなったら大変なことになるのは身をもって知っている。それから、万が一野生動物に出くわしたときに使うように、動物が嫌がる高さの音を出す笛も首から提げていた。これはこの間シルヴァが行商人から購ってスグリにくれたものなのだけれど、これがあれば非力なスグリでも無事にひとりで外にゆけると、そう判断したわけだった。

長い木の洞を潜り抜け、泉の湧き出た花畑へと辿りつく。木々は彩りを鮮やかに赤く染め上げていて、スグリは思わず感嘆の息を吐いた。シルヴァといっしょに最後にここに来たのはまだ雪も降っておらず花が咲き乱れていたころだから、だいぶ前のことになる。あれから色々なことがあった、と思わずしみじみとここ一カ月ほどの激動を思い起こし、スグリは人知れず笑顔になった。ここにこうして冬を越すための準備をしているだなんて、少し前までは考えられなかったのだから。

大きく熟した木の実や果実を籠に詰める。スグリもよく知る火で炙ると風味のよい、保存のきく木の実がたくさん成る木があった。おいしい山の湧水は、いつにもましてひんやりとして咽喉にここちがいい。やはりこの場所が好きだ、と思う。シルヴァが教えてくれた、秘密の場所。暫く夢中になって木の実や果物を集めていたら、小鳥たちが水辺へ舞い戻ってきた。うつくしい声でさえずりながら、かれらもまた冬に食べる木の実を物色しにきているようだ。スグリひとりで採り尽くせるような量ではないから、きっと冬の間はここは小鳥たちの楽園になるのだろう。かれらにとって越冬は厳しいものであるだろうけれど、こうして冬に木の実が残っていれば、少しは食糧の足しになるはずだった。

すっかり籠が一杯になってしまってから、スグリは少し思案をした。この量でも、煮詰めたりすればそれほど量はなくなってしまうと思う。折角つくるのならばアザミやアカネ、ほかのムラのひとたちにも分けてやることを考えなければならない。もうひとつ分持って帰ってもいいな、と思ったから、自然、スグリの手はこのちいさな楽園に無尽にある蔦へと伸びた。小ぶりのナイフで適度な長さに切ったそれを手に、丸太に座る。シルヴァと来た時もこうしてここで籠を編んだな、と思いながら、スグリはそれに熱中をした。

――それが失敗だった、と気付いたのは、籠が出来あがってしまったあとのことだった。まだ枯れ草でやわらかい地面のうえにたくさん転がっている木の実を拾い集めているうちに、手元が暗くなってきたことを知る。はっとして空を見上げれば、あれほど高かった日はすでに落ち、山には穏やかな夜の帳が下りはじめていたのである。あまりに夢中になって籠を編んでいたあまり、斜陽になるのも、温度が低くなっていることにも気付けなかったのだ。

スグリはふたつの籠を抱き寄せ、ひどく困った。夜の山をひとりで降りようと思うほど、スグリは自分を過信してはいない。小鳥たちもすでに巣へ戻ってしまって、とおくで梟の鳴き声がするほかはひどく静かな世界が広がっていた。蒼穹に星がちらちらときらめきはじめている。深遠の森の上に広がるそらと星はとてもきれいだったけれど、スグリはそれに見惚れている暇はないと自分を叱咤した。

どうしよう、と思わず口からひとりごとが零れてしまう。たぶん、もうシルヴァは家に戻っている。かれが帰ってくるまえにムラに戻るのが大前提だった身にとって、これは大きな誤算だった。かれに心配させてしまう。

「…シルヴァ」

かれの名をそっと口に出すと、すこし冷静になった。心配させてしまうのは申し訳ないのだけれど、ここで朝を待ち、そしてムラに戻ったほうが安全だと考える余裕が出来たのは、そのせいだ。大丈夫、と自分に言い聞かせて、どうやってシルヴァに謝ろう、と思いながら、スグリは体温を逃がさないようにちいさく身体を丸める。厚着をしてきて、ほんとうによかった。そう思いながら、そうと決めたらどうしようもないことは諦めることにして、スグリは夜の森にそっと目を凝らした。せせらぎの音が、絶えずに聞こえている。

―――変わった、と思っていた。
心配性だったスグリ、生まれたムラにいたころのスグリだったらきっと途方にくれて当て所もなく彷徨い歩いていたことだろう。こんな余裕が出来て、そして正しいと思われる選択肢を選ぶことが出来るくらいまで成長できたのは、シルヴァのおかげだった。山を歩くかれの足は、いつも淀みない。いつだって最善の選択をするかれは、スグリにとって憧れだった。そばでそれを見られるから、とりわけそう思う。

乏しい頭の中の辞書からけんめいに謝罪の言葉を引っ張り出しながら、スグリは目を閉じて山の音にじっと耳を傾けていた。獣のいななき。鳥の鳴き声。水の音。風が木々を撫でる音。どれも、聞き慣れない音ばかりだ。あの寝台で、そばにシルヴァの鼓動を感じて眠ることに慣れた身体はその熱を恋焦がれるけれど、スグリはこの冒険を、少なからず楽しんでいた。









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