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郁人が本を読んでいるところを、見ているのが好きだ。

「…ああ、凪。おはよう」

あれから暫く経って、俺達は前よりも図書棟に入り浸ることがなくなった。…さすがに授業に出ていないのが郁人の父君にバレて、郁人がひどく怒られたらしいから。まあ、だけど郁人もこうして朝一番に図書棟に来てその日に読む本を確保しているんだから、その実あんまり実情は変わっちゃいないけど。

だから俺も、こうして朝に護衛の騎士たちが城に戻るのを見計らって図書棟に足を運ぶのが常だった。郁人はだいぶ埃も蜘蛛の巣もなくなった図書棟で、なにやら本の山に頭を突っ込んでいる。郁人はしばらく全くもってクラスに顔を見せていなかったとは思えないスピードで学校になじんだ。人当たりのいい物腰に、話も上手いんだから当然だろうか。なんとなくさびしかったけれど俺はそれを口に出すほど子供じゃない。し、この図書棟という共有している秘密が俺を特別だと信じさせてくれていた。
郁人はそんなこと知ってか知らずか、まだ本に溺れているままだ。足音だけで俺に気付いて名前を呼んで、悠長に朝の挨拶なんかして。そろそろ始業時間だよ、と声を掛けようか少し迷って、やめた。

「今日はどんな本を読むんだ?」
「そうだな、とりあえずさっきおれの背中に降ってきた本かな」
「…だいじょうぶ?」
「痛い」

図書棟、といえば聞こえがいいけれど、その実ここはただの蔵書庫と化している。使われていたのは何十年も前。今では学校の図書館にある本と重複したものや、あちらで置けなくなるほど古くなった本を棄てる、言わば本の墓場だった。その証拠に時々、天窓の近くに或る小さな窓から本が降ってくる。郁人はなにやら魔石の力がどうのこうのと言っていたけれど俺にはそこまではわからなかった。多分学校の図書館と小さなベルトコンベアでも繋いでいるんだろう。つまりここには本が湧いて出てくるわけで、郁人にとっては宝の山らしい。俺にはあまり分からない。

「よし、こんなもんかな。…ごめん待たせた。いこう」

ばたついていた足が大人しくなり、郁人が本から脱皮をした。腕には何冊か本を抱えている。俺は足を進め郁人に近寄って、頭やら肩にくっついた埃を払ってやった。こうでもしないと郁人はこのまま学校にいってクラスメイトに平然と「おはよう」なんて言い出すから困ったものである。

「ぜんぜん。いこうか」

郁人が本を読むのを、見ているのが好きだ。窓際の一番後ろの席、うららかなこの海の国の日差しを受けながらその亜麻色の睫毛が光を弾き、なめらかに頁を追うところを見るのが、とても好きだった。俺は授業中、たいてい頬づえをついて郁人を見ている。郁人は本を読んでいる。していることは図書棟で過ごしていたときとなんら変わっていなかった。

「郁人、次、当たるよ」

なんてことを考えていた俺は、そろそろ郁人が偏屈な歴史学の教師に当てられる番なのを思いだして慌ててかれに小声で声を掛けた。教師たちは一様にそれなりの家の出身であるからか、俺や郁人にも分け隔てなく接する。最初は再び授業に出るようになった俺を遠巻きにしていたクラスメイトたちも郁人と話す俺を見て、少しずつ近づいてくるようになっていた。そうしたらあまり、学校は居心地の悪い場所じゃない。郁人とあの日図書棟で出会ってから、俺の気持ちが変わったせいもあるけれど。

「…あ。ありがとうな」

郁人は笑ってそういうと、ぱたりと本をしめた。俺も無駄に広い教室の前、しゃがれた声で古代の魔法戦争の話をしている教師のほうを、本日はじめてまじまじと見る。目が合った。

「そうだな、それでは今の問題を、凪くん」

案の定話を振られて、俺は思わず目を見開いて教師を見返していた。クラスメイトたちが僅かにざわめいて、俺の方を見るのがわかる。…どうやら皇子というのは、貴族と言えども興味を引く特別な存在であるらしい。それくらい、俺にもわからないでもないけど。だけどこの視線はあまり好きでない。それより何より、何を聞かれているのか、さっぱりだ。

「先生。書いてある三行目、魔石の伝承のところ、違います」

微妙な沈黙を破ったのは、いつもどおりの涼しい顔をした郁人だった。あの涼しい顔をするときの郁人が実は何も考えてないってことを知ったのは最近のことだ。郁人にどんなことを考えているのか聞いたら、晩飯のメニューについてだったときはちょっと脱力をした。シチューでもグラタンでもどちらでもいいと思う。そうじゃなくて、郁人がいきなりそうやって声を上げたので、教師のほうも慌ててしまったらしい。俺への矛先はあっさり納まり、かわりに黒板を振りかえってあたふたとしている。

あの教師が慌てふためくのも意味はないと思う。こと、歴史や社会学の分野や文学史なんかの国語の分野での郁人は教師にとってやっかいこの上ないからだ。なまじ本の虫ではない郁人はいつも、こうしていきなり口を開いたかといえばこんな指摘をする。だけど本に書いていないような分野、例えば数学だとか地理の類はあまり得意でないようだ。興味の偏り具合が郁人らしいなあ、と思う。
教師がなにやら、魔法戦争が終結した古代都市の名前を書き直しているところをなんとなく眺めながら、俺は小さく苦笑いをした。

俺は郁人のことを、あまり知らない。どうして本をそんなに読むのか。どうして最初、授業を受けようとしなかったのか。どうして一度も、城で開かれるパーティに来たことがなかったのか。郁人は笑って誤魔化したから、俺はそれ以上聞けなくなっていた。いつか、郁人がそれを俺を話そうと思ってくれるようになったとき、俺はもう一度聞いてみようと思っている。

「…す、すまなかった、郁人くん」
「いえ。…えっと、遮ってしまってすみませんでした」

郁人はそういって笑顔を見せたようだ。斜め前の女の子が耳の裏まで真っ赤になっているのがちらりと見える。郁人お得意の営業スマイルよりも、目を細めてくすぐったそうに笑う笑顔のほうが好きだ。なんて考えて郁人の横顔を見ていると、かれと目が合った。

「ほら。…ちゃんと授業聞いてなきゃ、だめだろ」
「…郁人にだけは言われたくないな」

そう、この笑顔。郁人は悪戯っぽく微笑むと、再び俺に質問を繰り返した教師のほうを見てちらりと舌を出す。本を読んでいないときの、こういう生き生きとした郁人も、好きだ。俺は笑い返しながら、そんなことを思った。





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