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「…成程、これが真の呪詛とな」

京の四方から、それぞれ式神たちが件の蟲毒が封じられた匣を持ち寄ってきた。それらがすべて内裏に集まってしまう。落雷は、その瞬間の出来事であった。

「くそっ…」

けれど静馬を連れ出すよりさきに、術式は完成してしまった。それに気付いた葛葉が、鋭く舌打ちをする。足を止め、憎々しげに内裏を睨みつけた。何よりもその、かれの纏う雰囲気に圧倒されて、身体の周りでぱちぱちと火花を立てるような霊力に呑み込まれそうになり、静馬は堪えるようにぎゅっと眼を閉じる。さきほど葛葉が、そうしてくれていたように。

「…解呪するためには、術式の発動が不可欠か。よく考えた呪詛を練ったものじゃの、…あの禁忌の男は」

帝は蔵人が持ち寄せた脇息に凭れかかり、紫宸殿から事の推移を見守るようだった。形も大きさも同じ四つの匣が、玉砂利の上にそれぞれの方角を守って置かれている。北の匣を置き終えた数馬が、ようやっと地面に降ろされた静馬のもとへと駆けよってきた。

匣を近づければ近づけるほど、満ちる気配が禍々しく邪悪なものになっていく。けれどそうでもしなければ、これを解呪する手段はなかった。今はもう眼に見えるほどに暗黒色をした霊気が立ち上り、内裏を不穏たらしめている。

「静馬、大丈夫か。顔いろが優れないようだけれど」
「大丈夫です。…それよりも、一体何が」

葛葉は地面にへたり込んでしまった静馬の前に立ち、片手を匣で出来た結界へと翳していた。けれど事態は膠着し、何の動きも見られていない。

「南は猫又、西は狗。東の狸に、北は狐。毒虫でなく畜生を使ったか、外道め」

帝は不快そうにそういうと、茫然と事態の推移を見守っている陰陽師たちに声をかけた。その姿は老齢に似合わず凛としていて、思わず静馬も姿勢を正して聞き入ってしまう。

「皆の者、聞け!これはかの悪名高き蘆屋道満が、安倍清明との術比べで負けた時の名残である。今日この日まで眠っておったのは、こうして力を蓄えておったのじゃ」

静馬の背中に手を掛けた数馬が、曾爺様の、と呟いた。今清明と評されるかれにとって、その名は感慨深いものであるのだろう。すぐさま術式を展開して九字を切り、並居る式神たちを召喚している。…そんな兄に較べて、同じ血を引くはずの、自分はどうだ。どれだけ呪を唱えようと紙切れひとつ動かせやしない自分を思い、静馬は下唇を噛む。

「静馬ッ、いいか、俺の後ろから、絶対に離れるんじゃねえぞ!」

次第に、葛葉が手を翳している先で蟲毒の力と、葛葉のそれを打ち祓わんとする力が競り合っているのが視えるようになってきた。かれはたったひとりで、この大呪と向き合っているらしい。咄嗟にその背中に手を押し当て、静馬はせめて自身のなかに眠る霊力を葛葉に分け与えようと必死になった。けれどどうしてか、いつもなら自然と葛葉のなかに吸い込まれていく霊力が、ちっとも感じられない。触れるだけでかれに力を与えられるはずなのに、その気配が微塵もない。こんなときなのに、ほんの少しだって静馬は役に立てていなかった。

「…なんで、」

封印を取り囲んだ陰陽師たちが、それぞれ必死に呪式を唱えていた。少しでも葛葉の助けとなるように、蟲毒の呪縛を分散させるように。けれど静馬には、それが少しも出来ない。同じ陰陽師であるはずなのに。兄と同じ、安倍清明の血を引くはずなのに。どうしてだ、と静馬はひたすらに自問自答を繰り返す。どうして身にあるはずのこの霊力すら、姿を失ってしまったのだろう。これじゃ何にも役に立たない。ただの人と同じだ。どうして、どうして自分だけ。役立たずで、無力で。そんな考えばかりが、静馬の胸を埋め尽くす。なにかとても暗くやさしい物が、静馬の名を呼び立てている。

「…おい静馬、いま、お前、俺に触れたか」
「…触れた!何回も、何回も…なのに!」

そう静馬が叫ぶと、はっとしたように葛葉が手を止めた。他の陰陽師たちに負担がかかるのすら構わずに一方的に解呪を打ち切ると、自らの背中に縋って震えている静馬を振りかえる。

「…静馬!」

ひたすらに術を唱える声だけが響いていた内裏に、沈黙が走った。葛葉は玉砂利に膝をついた静馬の頬に触れ、その瞳を覗き込む。いつもなら肌が粟立つほどに感じるかれの身に潜む霊力が、ちっとも感じられなかった。まさか、と思って眼を瞠れば、緩慢に葛葉を見上げた静馬の瞳が、深紅に染まっていることに気付く。

「静馬?しっかりしろ、静馬!」

視ずとも分かる。いつもなら瑞々しい生命力に満ちている静馬の裡が、どす黒く凝ったもので溢れていた。その禍々しさは、たったいま闘っていた呪詛のいろと似ている。

「…まさか、これ」
「不味い!葛葉、その子から離れろ!」

脇息から身体を起こした帝の声が響いた。けれど茫然と静馬を抱きかかえている葛葉には、その言葉は届かない。数馬が静馬の名を呼んで駆け寄ってくる音。そして発動してしまった呪式が、『対象』を見つける気配。

「…ッ!!」

幾重の怨念が集まった禍々しき光の帯が、四つの匣で出来あがった方陣の中から湧き上がって一直線に静馬の胸を貫いたのは、まさしく次の瞬間のことだった。








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