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「首尾は」
「…お前の読み通り。部屋は三階だった。あとでちゃんと聞かせろよ」

かるく郁人の腕を掴んで引き寄せて、洸がそう耳打ちをする。口角泡を飛ばして陰謀説や犯人説を論じている胡散くさい探偵もいれば、深刻な顔で考え込んでいるのもいた。やはり探偵の有能さを推し量る時は、実際に事件のまえに引いて来ないとわからないものだと郁人はしみじみと思う。

「窓があった。閉まってたが、鍵はかかってねえし絨毯はすこし湿ってた」

郁人は洸にもとより謎解きなど命じていない。調べて来いと言ったことは、かれにふだん頼んでいる調査とさほど変わりはなかった。部屋は荒らされていないか、被害者は殺害されたあとに動かされた跡があったか、だとかそういうことを。それは郁人にとって、頭のなかの筋書きを埋めるための確認作業でしかなかった。

「争った形跡はなかった。椅子は窓に背中向ける形になってたから、多分物音に気付いて振り向いたところをやられたんだろう。この雨じゃ多少の音は聞こえねえわな」

会話が聞こえないようにごく小声だったけれど、洸の言葉を聞いて郁人は納得したように頷いた。それからひとつ深呼吸をして、慌ただしくホールを出た哀れな青年とその背を守る従者のような奉公人をちらりと見る。

「死因は?」
「どこにでもあるようなナイフで一突き。即死とはいわねえが苦しみも長くなかったろう。執事の爺さんは警察を呼ぶなっていう。外聞だけの問題じゃねえだろうな、たぶん犯人の目星はついてんだ」

ホールに再び集まった探偵たちは推理に夢中だった。密室殺人。暗号との関連。いかにももっともらしく語っている探偵たちを尻目に、郁人はごく一部のかれらがそうしたように傘を借りて屋敷の外へ出ることにした。窓から犯人が侵入したことは明白であるから、どんな手段を使ったのか見ておきたかったのである。

「部屋は目立って荒らされてはいなかった。お前の言ってた机の中身、見た感じそのまんまだったぜ」
「…なんだって?…どういうことだ。机の中身がそのまま?」

僅かに目を瞠った郁人の横顔を、洸は闇の中でじっと見た。冷えないようにと厚着はさせているけれど、推理モードに入った郁人はいつもよりも自分に疎くなるから困りものである。郁人が思い描く事件の全貌は、どうやらすこし真実と異なっていたらしい。

「洸。…足跡は、見えたか。たとえば泥のついたような」
「いいや、なかった」

けれどかれの脳裏では、凄まじい速さで論理が積み立て直されていくようだった。それから洸に二、三の質問をして、それから眉間に指を押し当てている。じっと目を閉じ俯いた郁人を守るようにそばに立ちながら、洸は洸なりに必死に郁人の推理を追従しようとした。

三階での密室殺人。開けられた形跡があるのにも関わらず、閉められた窓。不思議だなと思ったことは特段なかった。どう考えても窓から侵入した人間が、そのままどうにかして窓を閉めて出ていったようにしか思えない。…そう、不思議なくらい、なにもなかった。

郁人の読みでは、それをしたのは死んだ老人の遺産を継ぎたい三兄弟であるはずだった。そうであるならば、かれらは相続のことを記した書類を探すはずである。隠されているに違いないそれを探さなければ、かれらの殺人は意味をなさないからだ。遺産はそのままあの青年、ミシェルのものになるだろう。

洸はややあって、郁人の言わんとするところに気が付いた。…犯人の目的が、一気に不透明になってしまったのである。

思考を取り止めた郁人は雨水が叩く泥濘のあたりをじっと検分している。すでに他の探偵たちが外から犯行現場を眺めてなにかを話していたが、郁人の視線だけが違っていた。なにかあるな、と思う。そしてその何かこそ、もっとも大切なファクターなのだろう。郁人にとっては。

「…洸」
「なんだ」
「おかしいんだ」

郁人は地面からそのあわい色の容貌を上げると、じっと洸を見上げた。きらめかしい亜麻色がいつもより色を重くしているのは、殺人事件という鬱屈した事件が原因だろうか。それともかれはその背後に、もっとひどく薄らぐらいものを、見つけてしまったのだろうか。

「おそらくこの屋敷の人間が犯人と目している三兄弟は今屋敷にはいるまい。つまりは外出しているはずだ。外出していれば靴の底に泥が付くのはまあ間違いないだろう。今のところこの館に近づくためには、必ず泥濘を踏まなければいけないようだからな」

郁人の表情が、雷による閃光で照らされた。その背に傘をさし掛けてやりながら、洸は郁人に腕を引かれるままに目立たない木の影へと連れていかれる。他の探偵に聞かせられるような話ではないようだった。

「この館の屋根はどう見ても上に長く居られるような状態じゃない。上から下りてくるにしろ、壁に間違いなく靴底の泥がつく。もっといえば部屋のなかにもだ。けれどその様子はなかった」
「ああ、…つまり」
「…つまりこの屋敷の人間は、…いいや、俺は、大きな考え違いをしているのかもしれない」

潜められた郁人の声を聞く。かれの瞳は不安げに揺れていた。思わず自分の腕をつかんだかれのてのひらに手を重ねて、洸はじっとかれの言葉を待つ。…やはり、見つけてしまったらしい。これはきっと、郁人が望むような、かれの好んだ探偵活劇の中にあるような、明確で形式美めいた雨の洋館の物語ではなかったのだ。

「…洸」

ぎゅ、と洸の指先を握りしめ、郁人は淡い嘆息を吐き出した。それからゆっくりと視線を上げ、洸の翡翠の瞳を見つめる。いつも通り頼もしく煌めくその双眸に、ほんの少しだけ肩の力を抜いて。そして郁人が口にしたのは、推理小説のプロローグを締めくくるような一言だった。

「…犯人は、この屋敷の中にいる」








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