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台本はすべての概要がクラスの全員に配られたあと、いくつかの台詞を悠里と雅臣が演じてみて決めるということになった。ちょっと待て俺は男だぞ、どう考えても萎えるだろ、と悠里は思ったのだがクラスの雰囲気はどう考えても本気だったのでタイミングを失う。

救いだったのは、どれも格調だかい本格的な演劇の台本であったことだろうか。役者として演じるのならば、これはひどく僥倖だった。役に入りこめるか入りこめないのか、ということは、ことさら悠里のようにマニュアルさえあればなりきることに抵抗のない身にとってはありがたい。

「妹の無念を晴らす、私が望むのはそれだけだ!」

監督に指示されたとおりの台詞を読む。ざっと概略に目を通したところ、これは人魚姫の姉と王子の弟の間で繰り広げられるストーリーらしい。泡になって消えた妹姫の復讐のため、王子を刺し殺すために海を捨てた哀れな姉姫は凛とした騎士のようだった。これが、一つ目の台本。

「あの幸せを壊すのか、あなたの妹はそれを望むと言うのか」

悠里の演技が思ったよりも本気だったことに気付いたか、雅臣の声も迫真に迫っていた。さすがにこれほどの台本を何本も用意されるほど力を入れてもらっているのなら、悠里は何としてでも期待に答えたい。もうドレスだろうがなんだろうが、出来る限りやるしか選択肢はないわけだった。教室は珍しく、歓声ひとつ上がらず真剣に静まり返っている。

「はい、次二つ目!」

二人に待ち受けている数奇な運命と、そして穏やかな終わりを紡ぐ物語を捲る。もうひとつの台本は以前監督が悠里に語った、人魚姫の百年後の世界を舞台にした物語だった。

―――人間嫌いの人魚の姫と、王子の子孫が出会いを果たす。百年前と違って、今度は人間が人魚を助けるのだ。そんな話が、監督の筆致鮮やかに描かれている。悠里はこれを自分が演じることもわすれ、少しの間読みふけってしまった。

もしこの監督が共学の高校にいたならば、舞台はもっとすばらしいものになっただろうに。きっと将来脚本家か監督として名を馳せるに違いないこの有名監督の二世をちらりと見、心底惜しくそう思いながら、悠里はため息をひとつ吐いて指示されたページを捲った。

「では、台詞お願いします」

そして当の本人も勿論緊張しているのだろう、監督は僅かに強張った声で雅臣に声をかけた。場面は物語の中盤に移り、声を失っている人魚が、苦痛に咽びながら禁忌の薬を呑み声を取り戻す、というところだった。悠里はこの役で、ここまでほとんど台詞がない。たしかに可憐な姫の役を男の低い声でやるよりはそのほうがぜったいにいいと悠里は自分で思ったのだけれど、だからこそこの場面は重要なことに間違いはなかった。

「…――姫、姫、どうしたのです」

息を吸い込む。…監督の台本はト書きから演出まで完璧だった。だからこそ悠里は、すっとごく自然に仮面をかぶれたのである。まるで今まで、氷の生徒会長のそれを被っていたのと同じようにして。

「―――逃げて!あなたの配下が、あなたを殺そうとしている!」

それを知らせるために海を棄て城に駆け込んだ人嫌いの人魚姫は、王子のために毒にもひとしい薬を呑む。それだけ言って、悠里はその場にばたりと倒れてしまうらしかった。

倒れる姫を揺り起す王子。それでもかれはその言葉を頼りに、なんとかクーデターを逃れて反逆者たちを打ち倒す。そして王子は目を醒ました姫が人魚だと知り、先祖の謂れを打ち掃うように求婚をしてハッピーエンド。大まかに言えば、そんなような劇だ。

「…で、どうするよ?」

悠里の数少ない台詞が終わったあとも沈黙が続いていた教室で、しかも悠里も台本に見入っている中。そう口を開き監督の緊張状態を解いてやったのは、雅臣だった。それを合図に、水を打ったように静かだった教室が騒がしさを取り戻す。最後まで物語を読み終えてほっと息を吐き、悠里は僅かに頬に笑みを乗せた。

「ふたつとも、すごい台本だった。…お疲れさん」
「…ありがとう。期待通りの演技だったよ、二人とも」

そんな悠里の笑顔に、監督はにっこりと破顔する。あれほど目立たなかったかれが、まるで別人のように生き生きと輝いて見えた。多数決の投票を取る姿もさまになっていて、となりで雅臣もすこし驚いている。

「すげえな、あいつ」
「…やっぱり得意分野ってのがあるんだよ、だれでもさ」

そうやっていって、悠里は僅かに唇を歪めた。いまのかれはどこからどうみても氷の生徒会長なのに、そうではない。どこかやさしい凍解のような、そんな横顔だった。

多数決の結果、劇の台本は、満場一致で後者となった。台詞が少ない役であることにちょっと…、いいや、かなりほっとしながら、悠里はそっとその台本の表紙を撫でてみる。表題はシンプルに人魚姫、となっていた。

学園祭はそう遠くない未来の話だ。それまでに悠里はどう変わり、何を思い、何を見るのか。自分でもなにもわからないけれど、きっとなにか変われる気がする。…――いいや、変わらなければ、いけないのだ。夢の事をすこし思い出し、悠里はそっとそう誓った。変わらなければ。動き出さなければ。漠然とした不安だけに怯え、いつまでも周りのやさしさに甘えていては、いけない。そんなこと、ほんとうはずっと前からわかっていたのだから。






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