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真っ青な顔をしたミシェルがホールに戻ってきたのは、郁人があらかたの指示を洸にし終えたあとのことだった。ひとり沈痛な顔で紅茶の湖面に視線を落とした郁人のほかは、誰も彼も何があったのかとざわめいている。

洸は、その青年の唇がかれの父の死を吐き出すのを、少し待った。探偵たちは皆いきり立ち犯行現場に我先にと殺到しようとする。執事やメイドたちが忙しなく屋敷を駆け回っていた。おりしも外には雷雨が吹き荒れていて、郁人はどうしてこんなに出来過ぎているのか、とため息を重ねている。指示通り洸が探偵たちの波に乗っておそらくは資産家閣下の屍体が鎮座しているであろう部屋へと向かったのを見て、かれはゆっくりと椅子から立ち上がった。もう少し早く気付けていたら、よかったのだけれど。

いいや、きっと違う。郁人は珍しくそう自分の推理を打ち消すと、物言わぬ屍となったこの館の老人のことを考えた。郁人はかれの、最後の一手だった。かれの愛するあの青年の命を救い、かれが培った財をかれに委ねるために、幾許もない残りの命の最後に打った手だったのだ。―――老人は間違いなく、今日この日に殺されることを知っていた。

会ったこともない探偵にすべてを託した老人のことを、実のところ郁人はあまり知らない。ただ、ほんとうは一度話をしてみたかった。魔石売買で財を成したかの老人は、おそらくは郁人や洸と同郷である。かれの経歴は二十半ばから始まっていたからだ。専門の教育を受けたとしか思えない魔石の知識からして、きっと海の国で高等教育を受けたことがあるだろうというのが郁人の予想だった。老人の若い頃といえば森の国でも魔石開発が進んでおらず、知識を持った人間が圧倒的に足りない時代だったからだ。

とたんにガランとしたホールで、郁人はゆっくりと窓辺に寄った。ほんとうはすぐにでも力なく立ち尽くしているミシェルに声をかけたかったのだが、かれのくずおれそうな肩を抱きしめて必死にかれを慰めている青年がいたので、やめた。この屋敷での人間関係をまだ把握していない以上、迂闊な行動を取るべきではないからである。

窓の外は雷雨。これならば多少の物音も雨音に紛れて聞こえないだろう。外部から入ってきての凶行であっても足跡や痕跡は雨が洗い流してくれる。誂えむきの夜であった。

窓越しに見えたミシェルのそばにいる男は、まだ郁人の見たことがない顔だった。身なりからしてそう高い身分ではない。盗聴の魔石の一件からしてくだんの犯人候補…、即ち老人の前妻の子らもこの屋敷に滞在しているはずだ。ただし写真で見たそれらとは顔立ちが違うから、おそらくはこの屋敷の奉公人なのだろう。

「どうしてだ…、なんでこんなことになったんだ」
「落ち着け、大丈夫だ!運のいいことに探偵だってあんなにいっぱいいる、犯人はすぐに見つかるさ」

すこし郁人が意外に思ったのは、奉公人に見えた男が御曹司であるミシェルと対等に口を利いていたことだ。なんとなく洸のことを思って口元が緩む。と同時にあの奉公人を疑う気をなくしてしまったのは自分の悪い癖だ、と郁人は自分で思っていた。身を翻し、警戒心を持たれないように穏やかな表情をこころがけながら、その二人の男へと歩み寄る。

「すみません、すこしお話を伺っても?」
「…申し訳ありませんが、ミシェル様はご覧のように混乱しておられる」
「待って。…私に答えられることであればなんなりとお申し付けください、私はミシェル、こちらは庭師のケイです」

青白い顔のまま、それでも殊勝にミシェルはそう応じた。敵意丸出しの目でこちらを睨みつけているケイはやはり奉公人だったらしい。庭師とこれほど親しげとは、おそらく何らかの因縁があるのだろうと思う。それでもミシェルが冷静になろうと努力をしている姿を見て、郁人はすこし目の前の莫大な遺産を引き継ぐことになるだろう青年の評価を上方修正した。

「探偵の助手の郁人です。…お父様は、どちらで?」
「自室です。お客様がお揃いになりましたので執事が呼びに参りましたが返事がございませんので、持病を抱えていることもあり何かあったのかと私が鍵を開けて入りましたところ、部屋の中央に」
「…つまり、密室殺人であった、と」
「ええ。たしかに部屋の鍵は閉まっていました」
「窓は開いていましたか?」
「窓?…、すみません、ええと」

相当動揺したのだろう、青年は考え込んでいる。郁人はかれの記憶を呼び戻すヒントを与えようか暫し悩んだが、かわりに口を開いたのはケイだった。

「雨がこれだけ降っているからな、窓が開いていたのなら部屋には雨が入ったあとがあるはずだ」

思わず口元を緩めそうになって、郁人は慌てて唇を噛んだ。なかなかに早い頭の回転をした庭師である。その言葉ではっとしたように、青年は顔をあげてまっすぐに郁人の顔を見た。

「閉まっていました。私が部屋の中に入った頃、ちょうど雷が鳴って、窓に私とランプを持った執事の顔が映りましたから」
「ありがとうございます。…不躾ですが、犯人の心当たりはございますか?」
「…、」

想像通り、青年ははっと口ごもった。まさか身内を挙げることなど出来ない、という顔をしている。郁人にとってはその反応で十分だった。やはりこの屋敷に、おそらくは犯人であろうかれの(ほんとうは血のつながっていない)兄弟はいる。

「犯人なんて、あいつらに決まってる!」

ケイはそう憎々しげに唸ると、その浅黒い肌によく映えるきらめかしいライトブルーを鋭く細めた。

「ケイ!なんてことをいうんだ!だいいち、兄さんたちは…」

はっと口を噤んだ青年が気まずそうな顔をしたけれど、それ以上沈黙が続くことはなかった。執事が青年に寄って来てなにかを囁くと同時、ばらばらと探偵たちが戻ってきたせいである。郁人はそのなかに洸の姿を認めると、ふたりに礼をしてそこを離れた。









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