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さっと自分の前に出された腕のせいで、葛葉の気配をそうまで剣呑たらしめたものを見ることは出来なかった。静馬はその腕を退かせようとするのだけれど、葛葉は低く唸るだけ。

「見んな」
「え、」

けれどそんなわけにはいかない。帝への祈祷を邪魔するものがあるのならば、兄に報告をしなければ。…どこかで嫌な予感を覚えながらも、静馬は葛葉の腕をすり抜けようともがいた。かれらしくもなく真剣な声が、鋭く静馬を叱りつける。

「見なくていい。蟲毒だ」

蟲毒とは言わば外道であった。外道の陰陽師がまれに使うそれは、同族を同じ匣に閉じ込めて殺し合わせることをいう。それで仲間を喰い最後に残ったひとつを殺し、それをそのまま呪具として用いるという術である。そんな外法が展開されていたと知り、静馬は思わず抵抗する手を失った。葛葉が見つめているのは、どこにでもありそうな木でできた小箱である。けれどかれの目には見えた。憎悪の念が、復讐の意志が蠢いているさまが。きっと静馬には視えてしまう。あれほどの霊力があれば、視ただけで影響を受けてしまうことは確実だった。このお人よしで弱く脆い陰陽師の目が、こんな穢れに汚されるのを看過できるわけがない。

「でっ、でも!あの程度の式しか襲ってはこなかった!」
「その式神に喰われかけてりゃ世話はねえわな。…そうじゃねえよ、あれは正真正銘囮だ。この蟲毒は、どうやらそれなりのおつむを持っているらしい」

めんどくせえ。そう吐き捨てた葛葉が、身体ごと振り返って静馬の眼を掌で覆った。それといっしょに小声で呪を呟いて、一時的に静馬から視力を奪う。なにするんだ、とか、封印しなきゃ、とかなんとか言っているのを放っておいて、もう一度その呪具に目をやった。血の染みが洩れ出て黒ずんでいるその匣は、おそらくは尾が分たれはじめた猫又あたりを放りこんだものか。哀れなものだ、と眷族を思いながら、葛葉は匣に手を翳す。

…霊力を辿った。行きつく先は、無論内裏にある帝のいどころだ。成程これではあのいけ好かない陰陽師が弟を寄せつけようとしないはずだ、と思う。…少なくとも当代に入ってからは、紛れもなくもっとも厄介な相手に間違いなかった。意志を持つ蟲毒など、なまなかの術者に展開できるわけがない。

「葛葉!命令だ、術を解け」
「やなこった。…お前じゃ無理だよ、黙っとけ」

視覚を奪われてふらふらしている静馬にそう言って、葛葉はゆっくりと意識を集中させた。怨嗟の声が耳をすり抜けるのは、そこに何の感情も灯らないのは、葛葉が静馬の従属であるからだ。尾が九に裂けて初めて寄り添ったひとの子というものは、なかなかにあたたかい存在だったから。

「…」

ふいに気付いた。ここは羅城門にほど近い民家。朱雀大路の端となるここは、京の都の南端だ。そしていま内裏ではおそらくは呪詛による病に伏せる帝の平癒の祈祷が行われている。つまりそれが、意味することは。

「静馬」

散々に暴れていた静馬が、けれど葛葉のいつになく真剣な声に言葉を失った。視界が黒一色に染まったまま、静馬は葛葉の姿を求めて左右を振り仰ぐ。その金色の気配は、すぐに見つかった。

「朱雀大路の上下と四条大路の左右。間違いなくそこに術式の封印がある」
「…蟲毒のか?」
「おそらくはな。…掴まっとけ、内裏まで急ぐ」

葛葉は再び静馬の身体をひょいと俵抱きにして肩に担ぎあげた。それから下駄でもって地面を蹴り、大した加速もなしに飛び上がる。再び霊力で作り上げた足場を踏みつけ、韋駄天のような速さで向かって京の都を駆け抜けた。羅城門から内裏といえば街の南から北を横断することになるが、それも妖の足にとっては一呼吸の間のようなもの。抱えた大事な主さまを落とさぬようにしながらも、葛葉の意志はひどく急いた。

「葛葉!まず、僕の目を戻せ!」
「いいや、ちっと待ってろ。…お前にゃ汚すぎる」
「僕は陰陽師だぞ、そこらの呪詛になんて…」
「そういう一端の台詞は、せめて自分で祓いのひとつやふたつやれるようになってから言え」

内裏の正面にある広場の真上まで来ると、どうやら騒がしいらしいことはすぐに知れた。ち、と舌打ちをして、葛葉は僅かに顔を顰める。流石に帝の平癒の祈祷ともなると、不浄なるものを寄せ付けないように多少の封印が施してあるようだった。

「それどころじゃねえんだっての…」

といっても、これは兄を始めとする陰陽寮屈指の陰陽師たちが協力して練り上げた結界だ。解呪はそう簡単にはいかないだろう、とその肩のうえで静馬は思ったのだが、どうやらかれの妖はそうは思っていないようである。

「撥」

それほどやる気の籠っていたように見えない号令と共に、霊力の発現のせいか長く爪の伸びた葛葉の指先が結界に触れた。その刹那、ぐにゃりとその練り上げられた呪がねじ曲がるのを静馬の陰陽師としての『眼』は感じている。まだ視覚は葛葉に奪われたままだったけれど、かれが結界を破ったのだ、ということだけは知れた。

相変わらずとんでもないことを、簡単にやってのける男である。…普段暮らしているとかれは普通の人間と大差がないから、時折静馬は忘れてしまいそうになるのだった。かれがおのれがまだ童だったころから、まったく変化のない容貌をしていることに。その名を付けて呼んだ時分からずっと、かれが自分の妖であることすら。








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