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19



「出られるか」

郁人がラインハルトたちの部屋に飛び込んできたのは直後のことだった。扉の向こうでは、洸が窓から身を乗り出して東の方角を見ている。

「ああ。…間に合うかどうかはわからないが、行こう」
「…すまないラインハルト。半ば私情だ」

僅かに安堵したように郁人が笑う。自嘲気味な笑顔は、かれには似合わなかった。何事かと町の人びとも家の窓から顔を出している。宿屋を飛び出した洸の背を追いながら、ラインハルトは素早く左右に視線を廻らせた。

「大丈夫です。騎士はおろか兵士もいません。…相当だ」

シオンが応じる。微かに頷いて、町から出て街道を走る二人の背を追った。かれらの故郷まではそう離れていないはずである。郁人が僅かに息を整えながら、二人を振り仰いで困ったような顔をした。

「先ほどの騎士や兵士の様子からいって奇襲だろう。おそらくは最大規模だ。…基本、東西南北の街はお互いに干渉をしない。存続の危機を除いて」

その瞳の奥にある炎が揺れている。不安定な魔石のように。

「傭兵団の侵略が、おそらく町に及んだのだろう」

少しも焦った様子がないかれの声に、僅かにシオンが動揺をする。冷静なのは良いことだ、しかし。遥か前にある町を囲む外壁は沈黙を保っていた。中で何が起こっているのか、にわかには判別することができない。

「郁人」

ラインハルトがそして、かれの名前を呼んだ。まるで諭しているような声音だと、シオンには分かる。ラインハルトが人の名前を呼ぶのは珍しい。びくりと郁人の肩が跳ねた。先を走る洸は一度も振り向かず、また何も言わずに走り続けているけれど、どうやらかれよりもずっと郁人は動転しているらしい。

動揺をし、焦っていると、それと裏腹に冷静になることが出来る人種だ。かれが依頼人の評価いわく名探偵、なのが、なんとなくわかった気がした。

「俺たちが前線を見てくる。…先に邸にいけ」
「ラインハルト!」

泣き出しそうな、声だ。付き合いの短いシオンにもそれくらいは分かる。もともとシオンは、人の感情の動きにひどく聡いのだ。かれはいま、とても泣きそうな顔をしているんだろう。ラインハルトの横顔を振り仰ぐと、僅かに困惑しているのが見てとれた。

「大丈夫ですよ、郁人さん。僕とラインハルトさんに任せて」

家族がいるのだろうか。それを持たないシオンにとって、その大きさはあまりわからない。けれどもっとも近しい位置にいるかれ、のことを考えると、なんとなくわかる気がする。

「…すまない。すぐ向かう」

辿りついた町の入り口は開け放たれている。本来ならばうつくしい石造りのアーチの下に立っているはずの見張りの兵もいなかった。なんら感慨を抱けぬままに、洸は生まれ育った町に飛び込んで立ち止る。周囲を見ると、僅かに剣撃の音が聞こえた。

「入り込んでやがるな…」

吐き捨てて、左右を見回す。家々の灯りは消えていたが、何にせよ今は騎士団と傭兵団の戦いだろう。町の者に手を出すのは最後と相場が決まっている。先だって救援をする必要はないと判断して、それから洸は背後を振り向いた。町へ入った三人が周囲を見回している。幼馴染の傍まで駆け寄って、洸はラインハルトとシオンを振り向いた。

「この道を真っ直ぐ行くと国境だ。…頼む」

普段は人間かと疑うような鉄面皮が頷くのを、これ以上なくこころ強く思う。震える手指が腕を掴むのを感じて、洸は脇目を振らず大公邸へと駆け出していた。

騎士学校では無論、敵国に攻め込んだ場合の訓練もする。騎士といえども武装集団だ。民に手を出すな、という教えはあるが、公的施設を破壊するな、という教えはない。侵略作戦の第一に挙げられていても不思議ではなかった。

「…は、」
「大丈夫だ」

篝火の集まった大公邸を見て震える息を吐きだした郁人の手を、剣を握っていないほうの手でぎゅっと洸が握る。かすかに握り返した指を感じてから、郁人より早く駆け出した。

「誰…!」

叫びかけた男を一撃で仕留め、どうやら見張りをしていたらしい周囲を一、二の三、で綺麗にする。そこを駆け抜ける郁人の背中を追いながら、左右を確認した。うつくしい庭園には呻く兵士や騎士、そして傭兵団の身体が転がっているだけだった。じり、と胸が焦げる。

「お前は奥方さまのところに。俺は他を当たる」
「…まかせた」
「おう」

エントランスから二階へ続くらせん階段を駆け上がった郁人を見ると、突然の闖入者にざわついている傭兵団をちらりと洸は見やった。うつくしく掃除されていたであろうエントランスはひどいありさまである。壁に血は飛び散り、花瓶は割れ薔薇は踏みにじられていた。

「くそ」

郁人がどこかの部屋に入ったのだろう。扉を閉めた音がする。同時に駆け出した洸の足元に、ごろんと胴体がいくつか転がった。

応接室にはメイドが二人倒れていた。どちらもまだ脈はある。首を絞められたようだと判断し、洸はふたりを担いで目立たない場所へと運んでおいた。ほかに人影はない。土足の足跡が連なっているのを確認し、それを追うように走った。一階は主に召使や騎士が使用している。幾人かは騎士が詰めているはずだが、この分では。こころの何処かで兄の姿を探しながら辿りついたのは厨房だ。

どうやら鍵がかかっている。どうしたものかと考えるより先に、思いっきり扉を蹴り飛ばしていた。ぎいと鳴きながら扉が向こう側へ倒れる。

「ひっ…!」

厨房には、数人がいた。素早く視線を滑らせ、傭兵団らしき人物がいないことを確認する。奥の方で震えている女子供を守るように立っていたのは、包丁を構えたコックだった。

「…無事だったか」
「…おまえ、まさか…洸?」

見覚えのある顔に安堵のため息をつき、洸はぐしゃりと前髪を掴む。メイドたちがざわめくのがわかった。かつてよくやんちゃをする洸に文句を言っていた新人コックは、どうやら立派になったらしい。

「他には?応接室に二人。生きてるからあとで運んでやってくれ。一階は綺麗にする」
「夢じゃないよな…?帰ってきてくれたのか」
「帰ってきた―――とはまた違うけど。まあ、そんなところ。兄貴はなにしてんだよ」
「悟さまは或人さまと城にいらっしゃるはずだ。大事な会議があるとかで…」

ちっと舌打ちをし、郁人は背後から雄たけびを上げて斬りかかってきた二人の胴をまるで障子でも破くような動作で薙いだ。真っ白なコックの服に、さあっと血がかかる。悲鳴を上げたメイドたちに悪い、と軽く謝罪をして、洸は自分が蹴って壊した扉を乱暴に枠に嵌めた。

「終わったら誰かに呼びに来させるから、絶対にここから出るなよ」

それだけ言い置いて返答を待たず、洸は再び応接室に戻った。濃厚な血の香りだけがする。動くものがいないことを確認して、エントランスを挟んで反対側に駆けた。

東の騎士団長が留守ならば、間違いなくここは手薄だ。郁人を案じるように二階を振り仰ぎ、洸は頭を振って残党を探した。メイド室を開け、騎士の詰め処を探し、強奪まがいのことをしている傭兵団を見かけたさきから両断していく。ようやく見つけた生き残りは、庭仕事の道具をしまう倉庫にいたメイド三人だけだった。

洸さまと縋りついていく彼女らを厨房へ逃がし、敵とも身内ともつかぬ血にまみれた大公邸を見回す。反吐が出そうだ。

僅かに逡巡し、二階へ駆けあがりたい衝動をぐっと堪える。まだ他に残党がいるかもしれない部屋が、たくさんあった。拳を握り新たな通路のほうへ駆け出して、洸は祈るような思いで無二の命の名前を呼ぶ。絶望の表情をした郁人は見たくなかった。







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