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学校祭が近付くにつれ普段の授業の間もなんとなく浮ついたような雰囲気が流れていると思う。黒板に踊る文字を頭の中で整理しながら、悠里は細く長く息を吐いた。ゆうべの邂逅。秋月の言葉は声は、ひどく鮮明に悠里の頭に残っていた。

かれの目。かれの声、言葉。違和感。
いつもからりと笑って、ごく普通の友人のように『氷の生徒会長』である悠里にも接してくれていたはずの秋月のあの真剣な眼差しに、悠里は思ったよりも衝撃を受けている。授業が上の空になるくらいにはあの事ばかり考えていた。

かれの目には悠里の姿は臆病に見えていたのだろうか。柊と出会ったときのように、かれが悠里のほんとうを感づいていたように、秋月もまた自信たっぷりに傲然と振る舞う氷の生徒会長に違和を覚えて怪しんでいたのだろうか。いいや、違う。あれは確信だった。悠里のほんとうが『氷の生徒会長』でないと、確信を含んだ眼差しだった、と思う。けれどそれが分かったところでどうする?秋月に直接聞いてみるのが一番早いかもしれないけれど悠里にその気はないし、秋月が素直に答えてくれることもないだろうと思われた。

結局、放課後になるまで悠里は頭のなかのもやもやを整理することが出来なかった。ピアノの旋律が流れる第二音楽室で、放課後活動が始まるまでの僅かな時間を過ごしている最中でさえ、どこかもの想いに耽ったままである。そんな悠里を見かねてか、そのリクエストの曲を弾いていた柊が鍵盤から顔を上げて悠里に声をかけてくれた。

「で、どうしたんだよ?」
「…いや、なんていうか」

けれどそうして話を聞いてくれる柊に、どうやって昨日の出来事を話せばいいのか悠里にはわからない。愛を恐れる理由であるあの夢。あの夢のことを柊に話していいものか、迷ったせいである。だって柊は、――悠里のことが、好きなのだから。そんな相手に話せる内容ではないと思う。だから柊になんといって話し出せばいいのか、悠里はひどく悩んだ。恋をするのが怖いのもそのきっかけであり病原であるあの夢も、自分のことを好きといってくれる相手に告げるには抵抗がある。けれど聞いてほしかった。柊なら、悠里のこころの暗雲を晴らす答えをくれるような気がしていたから。

「悠里?」

いつもよりちょっと疲れた顔をした柊が黙り込んだままの悠里に声をかけた。跳ねあげる様に面を上げ、悠里はぱちぱちとまばたきをする。

「どうかしたのかよ」
「…いや、ちょっとな」
「忙しいったらねえよな。おまえんとこは割とスムーズに進んでるみたいだけど」

そしてピアノの鍵盤から指を離し、柊は身体ごと悠里に向き合った。かれのきれいな顔がくしゃっと歪められ、それで嘆息を吐き出すのを、悠里は抱え込んだクッションに顎を載せて見上げる。

「大変なのか、柊のとこ」
「今ほど王道転校生の能天気さを羨んだことはない」

柊のマニュアルは椋を無事に見つけ出したことで用済みになった。けれどなんとなく柊の立ち位置がこの学校でも一風変わった魅力のある転校生、で固定されてしまったせいでそんなイメージはつねに柊につきまとっている。王道転校生、と聞いて、悠里はマニュアルに乗っている眼鏡やカツラで変装をしているらしいかれらを思い浮かべた。

たしかにそういうのにはえてして自分がちやほやされて争奪される存在であることに疑問を持ったり面倒くさがったりする様子はない。やっぱり柊は王道転校生の役回りは向いてない、と思いながら、悠里はなにか躊躇ったような柊が言葉を吐き出すのを待った。

「俺の相手役で揉めてんの」
「…まだ揉めてたのかよ」
「で、俺は三蔵役を放棄したわけだ」

…悠里は、柊がこれほど機嫌悪そうな理由をはっと思いついた。どうしようもなく口元を緩めながら、その目に目線を合わせて密やかに口にする。

「孫悟空か」
「…しょうがないよな。俺がそう言わなきゃいつまでたってもあいつら納得しねえし、クラスの奴らも困るし」
「…似合うと思うぞ」

どうしようもなくて笑いを漏らしながらそういえば、ピアノのまえの椅子から立ち上がった柊に両のほっぺたをつまんで引っ張られた。

「笑うな!」
「無茶言うなよ!ぜったい似合うって!」

たいへん不本意そうな柊は思うさま悠里のほおを蹂躙すると、放課後活動の合図のチャイムに手を止めた。悠里も立ち上がる。きょうはついに台本が決定するはずであった。

「で、おまえは何かあったのか?」
「いや、なんか柊の孫悟空姿考えたら大丈夫な気がしてきた」
「なんだそれ」

ぽかりと痛くないくらいのちからで後頭部を殴られた。今はもう昨日感じた僅かな違和は遠い。いつも通りの柊の姿は、悠里を力強く日常へと引き戻してくれたから。…悠里の仮面を外してくれたかれは、悠里にとって「東雲悠里」の象徴でもあり、また、ある意味ではあのマニュアルが生み出した悠里の象徴でもあるのかもしれなかった。

今度秋月に会ったら聞いてみようと思う。あの言葉の真意。あの表情の真意。今度は氷の生徒会長としてではなく、悠里自身の言葉として。それからそうだ、忘れていた。かれはハムレットなのだ。きっと難しい哀しい男の役を演じるかれを応援しようと思っていたのに、昨日悠里にはその余裕がなかった。次会ったら忘れずに言おう、と思う。

「ほら、行こうぜ、柊」
「…なんか納得いかねえ」

憮然とした柊を急かして部屋を出た。忙しなく移動を始める生徒たちに見つからないうちに、じゃあまたと言って別れる。ひとつ深呼吸して、悠里はふたたび氷の生徒会長に戻ることにした。その慣れた作業は、悠里のこころをすっと冷静にさせる。…すぐに人魚姫にならなければいけないと思うと、すこし憂鬱だったけれど。









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