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アドニス




頂上に辿りつきシルヴァがスグリの手を取って指し示したのは、先ほどより距離の近くなった満天の星空だ。遮るものの無くなった景色は圧巻だった。時折雲に隠れる満月はほのかな輪郭を残し、流れる雲の形を明瞭に映し出している。星雲は淡い色合いを覗かせ、普段は見えないような星の光でさえ、スグリの目にはっきりと見えた。

「…すごい」

思わずぽつりとつぶやけば、シルヴァが首を傾げた。きれいだ、とても。そうかれに伝えると、かれはひどく嬉しそうに笑う。一緒に見たかった、と、そんなようなことを言ってくれた。胸が一杯になる。

それから、シルヴァはムラの灯りの方を指差した。煌々と篝火を焚いたムラの門が見える。シルヴァはスグリの手をそっと離すと、背にしていたあの大弓を下ろして握った。スグリは数歩下がってかれの姿を見守る。太い弦を持つその弓にシルヴァが矢を番え、そして大きく深呼吸をしてから引き絞った。

この神聖な新年の儀式は、山の頂上に設けられたこの場所からムラの門を射抜くという、ある種の願掛けのようなものであった。アザミが教えてくれたところによると、だからこそこの役に選ばれることは大変な名誉なのであるという。思わずスグリは、自分のことのように姿勢を正して聞いたものだ。

―――もしも射手が門の柱を射ぬけたならば、その年、ムラは豊穣する。

そんなふうな言い伝えが、あのムラにはある。スグリはなんとなく、シルヴァがここに自分を連れてきてくれた理由が分かったような気がしていた。もしも自分がいることでシルヴァが少しでも気負わずに弓を射られるのなら、それはとてもしあわせなことだ。スグリは星々の下で懸命に祈る。けれど頭のどこかで、シルヴァならきっとやってみせるだろうという確信が、あった。だってシルヴァはいつだってすごい。スグリは、そう思っている。

「…ッ」

弓を限界まで引き絞ったシルヴァの裂帛の声が空気を裂いた。かれの手指が矢を放つ、その刹那。スグリが身を竦ませるような弦音が響き渡る。そしてそれが木霊し終わるまで、息が詰まるような沈黙があった。息を吐いて弓を下ろしたシルヴァを合図に、スグリはかれにそっと近づく。

「…シルヴァ」

初めて見たシルヴァの弓を射る姿は、言葉を失うほど清廉で真摯なものだった。これほどゆっくりと大きな弓を引いたのはこれが儀式であるからだろうけれど、きっとシルヴァの狩りをする姿もこのようなものなのだろう。スグリはほうっと息を吐き、ぴりぴりと身が引き締まるような緊張感を払拭するように身体を震わせた。弓を雪に預けてスグリを片腕で抱き寄せたシルヴァが、手甲を外した反対の手でぐしゃぐしゃとスグリの頭を撫でる。心なしか安堵の見える表情だった。

――静寂の中に鳴り響く、高らかな笛の音。

その音は、決してムラから近いわけではないこの山の頂にも微かに届いた。シルヴァが深く深く息を吐くから、スグリにもこれが矢の行方を知らす合図なのだと分かる。かれの顔を窺えば、シルヴァは大きく頷いてくれた。かれは儀式に成功したのだ。自分の事のように嬉しくってかれに抱きつくと、バランスを崩したシルヴァが雪の上にしりもちをついた。一緒になって倒れ込んだスグリは顔を上げ、シルヴァと目を合わせて笑う。

「おめでとう!」

そうスグリが声を震わせると、シルヴァは頷いて、強くスグリを抱きしめた。それからもう一度、さっき聞きとれなかった言葉を繰り返す。今度こそそれはスグリにだって聞きとれた。

スグリは知らない。…新年の儀式に成功すれば、願いが一つ叶う。そんなこの儀式の、もう一つの言い伝えのことは。

来年もそのさきもずっと、ずっと一緒に。シルヴァが口にしたそれはとこしえを誓う、ひどくやさしい言葉だった。








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