main のコピー | ナノ
per ardua ad astra



小さな一戸建てに籠城を始めて一週間ばかりになる。俺は父の遺した小部屋に篭り、この光害のあまりない近郊の街で天文写真を撮ることに躍起になっていた。

天文という趣味は、本当に学生には向いていないと思う。星が肉眼で見えるのはもちろん夜だ。真夜中だ。だけど学生という身分では学校に差し支えるからと親がいい顔をしない。母は理解があるひとだけれど、学校から毎回のように居眠りを注意する電話が来ては俺に深夜の天体観測を禁止するしかないらしかった。

休日だけの天体観測に鬱々としていた俺はそれでもしばらく大人しく高校に通っていたんだが、ついに先週、学校よりも天体を取る決断をしたのである。

理由は簡単だった。親友だと思っていた俺の数少ない学校での友人に、「星とかよくわからないけど、」と言われてしまったからだ。たしかにいつも星や月の話しかしない俺は退屈で偏屈なやつだと思うよ。だけど何が楽しいんだかそんな俺の話にいつも耳を傾けてくれていたクラスのヒーローにそんなことを言われてしまっては、もはや俺に学校で退屈な授業を受ける理由はなくなってしまったわけである。俺はあいつに星の話を語って聞かせるためだけに学校に通っていたふしがあった。

もちろんそいつからは、俺がきっぱりと学校に通うことを放棄してから何度も連絡が来た。わざわざ遠い電車を乗り継いで、プリントを届けに来てくれたりもした。だけど俺はひどくあいつに冷淡だ。わざわざ部長兼エースであるサッカー部を休んでまで来てくれたあいつ、渡里には悪いけども、それほどまでに俺のショックは大きかったのである。

俺には夢があった。それは、将来天文台に就職して、未発見の星を見つけて亡き父の名をつけることである。たしか渡里にも語ったことがあった。渡里はそのとき、たしかあの学年にファンクラブをもつかっこいい顔にびっくりした表情を滲ませて、叶うといいなっていってくれたっけ。そんな夢まで打ち明けるくらい信用していた渡里が実は天体に興味がないと知って、俺はたいへんにショックである。いまだ失意の中にいる。新種の星なんて見えっこないふた昔前の望遠鏡を毎日覗き続けてしまうくらいには傷心だ。

なので俺は渡里には会わない。在宅で仕事をしている母がいるので、渡里がプリントを届けてくれたときには対応を母さんに一任していた。だって夕方とか、前の晩に撮った写真を現像してやっと寝てるころである。起きていられる訳がない。学校に通わなくなって自由な時間を取れるようになった俺はこうして星の写真を撮り、天体や自然を扱う写真家であった父のコネを使ってニート予備軍なりに金を稼ごうとしているわけだった。趣味と実益を兼ねた素晴らしい商売だと思う。

この小さい部屋にはびっちりと天体の本や写真や土星儀に月儀なんかが飾られている。ちいさいころから入り浸っていた部屋は俺を安らがせた。ここにいれば何も考えなくていい。同年代のやつらなんかには理解してもらえない俺の趣味に、心置きなく浸っていられる。

時刻は午前三時。天文写真は一晩かけて行うことが多かった。ほんとうは星雲の見えるアラスカなんかに行きたいんだけど悲しいことにそんなお金もパスポートもないので、俺が撮るのはもっぱら月が多い。誰も彼もが寝静まった時間に空を見上げるのは、世界で一人きりになったような静寂を俺に齎した。満月が近い。

…ほんとうは今度の満月、渡里を家に呼んでこの望遠鏡で見せようとおもってたんだけど。いつも笑って話を聞いてくれていた、てっきり星や月や天文に興味があると思っていた同級生のことを思い出してちょっぴりアンニュイになりながら、俺は部屋にごろりと横になった。

渡里は、すごいやつだ。高校に入って天文部がないことに絶望し不貞腐れて寝てばかりいた俺に声をかけてくれてなにくれとなく構ってくれた。俺がそれなりにクラスに溶け込んでいたのは、ひとえに生徒教師問わず人気の高いあいつが俺の手を引っ張ってくれていたからだと思う。

海外の論文を読むために必要だから身につけた英語と星の研究に不可欠だから得意になった数学以外は壊滅的な成績の俺の宿題とか勉強に付き合ってくれたり、その傍らサッカー部だけじゃなく色んな部活の助っ人してる渡里は、ほんとうにすごいやつだった。だからこそ俺はそんな渡里が俺と仲良くしてくれるのが嬉しくてたくさんの話を渡里にした。会話めんどいと普段から思っている俺にはありえないことである。

そんでそんな俺の話に付き合ってくれてんだから、もちろん俺は、渡里が天文好きだと思って疑わなかった。けれどいつも俺の話に付き合ってばかりいたかれに焦れたらしい女子たち(まあ渡里モテるしな)が渡里に、ずっとそんな話聞いてて面白いの、と聞いた時、かれは「面白いよ、星とかよくわからないけど」と言った。

面白いよ、と言ってくれて辛うじて救われたが、俺はこれまで同好の士だとばかり思っていた渡里の評価を百八十度改めなくてはいけなくなったのである。ちなみに方位角は天文でよく出てくるんだけど、180°違うと世界が違う。つまりそれ程まで大きく、俺の世界は変わったわけだ。

俺何かした?と渡里の字で書かれたメモが論文や学校のプリントが散乱している床に転がっていた。プリントに混ざってたから、渡里が意図的に入れたんだろう。まあ電話メール完全無視なら普通そう思うよな。誤解を避ける為に言えば俺はなにも渡里を嫌いになったわけでは決してない。ただクラスの人気者をえんえん興味のない話で拘束していた自分が申し訳なくなったのと、学校と天文の比重がひっくりかえってしまっただけだ。渡里のあの嫌味でない押しの強さの前では、趣味は天文で特技がギリシャ語なんていうアウトドア系男子の意志なんて紙切れみたいなもんだ。もういちど学校に通わなきゃいけなくなって、しかも渡里に前みたいに話を出来ないのは、息苦しすぎる。

「…またか」

携帯がメール受信を告げて点滅を繰り返していた。その光は星々のあわい輝きとはまるで違う無機質なものだ。けれど咄嗟にそれを掴んでしまったのは、ディスプレイに表示された名前が渡里のものだったからだ。

渡里恭介。

俺の不登校と、そんでもって学校に通っていた理由である男の名前が、そこに表示されている。









top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -