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「…いつの夢?」

秋月は僅かに声のトーンを落としてそう尋ねた。何度か瞬きをして、悠里はひとつ息を吐く。ああ自分は秋月に、仮にも自身の親衛隊の副隊長であるかれにとんでもない告白をしようとしている、と思いながら言いたいことをまとめるのに、少し時間が必要だった。

悠里は至極勝手なことに、秋月が今ここで悠里から聞いたことを誰にも話さないと確信していた。かれはきっと悠里の告白を聞いてもなにも思わないだろう。きっといつもどおり笑って大丈夫だなんて励ましてくれる。ひとつ年上の、親しみやすく明るく頼れる兄貴分として振る舞ってくれる。そしたらきっと自分は氷の生徒会長に戻れると、悠里はそんな気がしていたのだ。

「こどものときの。…俺もあまり覚えていない」

僅かに秋月の顎が上がる。じっと悠里を真正面から見詰めていた秋月が、空を仰いだのだ。冷え切った空に浮かぶ鋭い月を見上げて、かれは何を思うのだろう。

「ただ、俺はそこで、たいせつなものを喪うんだ」

秋月がなにも言わないことをいいことに、悠里はぽつりぽつりと吐きだした。きっと長い間、無関係な誰かに聞いてほしくて仕方なかったのだろうと思う。けれど無関係な誰かを見つけるには、悠里の周りはひどくやさしい恋をしていたから。恋とか愛とかそういうものを悠里に向けない、けれど信頼できるという人物は、そういえば秋月が一番適任だった。

「俺はその虚無感が怖い。もうあの恐怖を味わうのが怖い」

氷の生徒会長が吐きだすそんな弱音を聞いても、予想通り秋月はすこしも動揺をしなかった。けれどその代わり、月を見上げていたその瞳が、何かに耐えるようにぎゅっと閉じられる。悠里は僅かに言葉を切った。肩先が触れ合う先で秋月がなにかを言うのをひそやかに待つけれど、かれに言葉をくれる気配はない。けれど悠里は話を聞いてもらうだけでよかったから、再び口火を切ったのは悠里だった。

「歩き出さなきゃいけないと思っていたんだ。その矢先に夢を見た。怖くなった」

すると秋月が、ついにゆっくりと悠里に向き直る。かれの瞳は吸い込まれてしまいそうなくらいに深かった。悠里は言葉を止めて、かれの戦慄いた唇を見つめる。その形のよい眉の下の瞳が真っ直ぐに悠里の目を見ているのがわかった。かれはその目に何を読み取るのだろう。不安に揺れて迷う瞳。氷の生徒会長にはにつかわしくないそれ。そしてその秋月の瞳に浮かんだ感情に、悠里はすこしたじろいだ。闇すら弾き返そうというように輝くその瞳。昏く濡れた激情に、思わず身体が強張る。痛いくらいに真剣なその目。

「愛をすることは、こわい」

…秋月がうたうように口にしたのは、そんな一言だった。

「時間ですら癒せないのなら、俺はなにをしてやれる」

思ってもみなかった答えに固まった悠里に追い打ちをかけるように、秋月はそんなことをいう。けれどその言葉に宿るのは当惑や疑問ではなかった。秋月の表情から目が離せなくなる。先ほどまでコーラのボトルを掴んでいた手が、それをベンチに投げ出して、ぎゅっと強く悠里の肩を掴んで捉える。目を逸らせなくなって、悠里は息を呑んだ。

「…悠里」

かれの、自分の名を呼ぶその声が。あんまりに、せつなかったものだから。

「秋月…?」

思わずかれの名を呼んでしまった悠里に、秋月はますます表情を暗くする。先ほどの言葉に込められた感情は、間違えようもない懺悔と悔恨だ。まるでかれが夢を見せたかのように、かれはひどく悔やんでいる。どうしていいかわからなくなって瞬きを繰り返す悠里に、秋月は僅かに唇を歪めた。自嘲するような笑みだった。かれには似合わない、笑みだ。

「…親衛隊の副隊長なんてやってるくせに、うまく助けてやれなくて、ごめんな」

そして先ほどまでの悠里を当惑させる声をむりやりに明るいものに変えた秋月は、そうやっていって笑った。言葉を失った悠里の肩から手を離したかれの、その暖かい指先がまたコーラのペットボトルを掴むのを、悠里はゆっくりと目で追う。

―――いまのは、なんだ?
悠里の胸に浮かんだのは、そんな疑問の言葉だった。今垣間見えた秋月の激情。明らかに何らかの違和感を覚えたのに、悠里はそれをうまく言い表せない。いっそ秋月が悠里を強く抱きしめたのなら。不安を取り除くようにあの手で頬に触れたりしたのだったら、すぐにわかった。かれは普通のひとなんだ、この場所で恋や愛をしたりしないんだ、と思っていた認識を改めればいいのだと、ただそれだけ。けれど秋月は違う。どうしてあんなにつらそうなのか、どうしてあんなに苦しそうにしたのか、すこしもわからない。悠里の夢の内容なんて知る辺もないはずなのに肩代わりしてくれるかのようにつらい顔をされたせいで、戸惑いばかりがぷくぷくと浮かび上がっては消えた。

結局何も聞けないまんまに、秋月は悠里に落ち付いたみたいだな、というと、いつも通り飄々と笑いながら寮の入り口まで送ってくれた。それじゃあ、また。と普段と同じ声色で言った秋月の背中を見送りながら、悠里は悪夢を塗りつぶした違和感の形をゆっくりと探す。あした柊に、話を聞いてもらおう。そう思いながら、再び眠りに就いた。もう夢は見なかった。









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