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僅かな沈黙に、不安げに亜麻色の瞳が揺れるのを、洸は大きく息を吐いて見ていた。郁人が語った論理は筋道が通っているものである。もとより洸は、かれの言葉を疑うなんていう選択肢を持たない。

郁人は、考えを、洸に話すことでまとめていくのが癖だった。洸に話しながら、新たな側面に気付き、勝手に納得して勝手に話しを進めてしまうことも多々ある。だから洸は良く知っていた。かれがかれらしくもなく歯にものが挟まったような物言いをするときは、ひどく状況が悪いということを。

「つまりは、こうだな。山の国が東の街に攻め込んだら、その兵器は使用される、ってわけだ」

だから、かれに口を開かせる前に洸は先回りをする。それを聞いて郁人はかるく頷いた。救いを求めるようにかれの目が洸を追う。そのまま請われるようにして、洸は郁人の隣に腰掛けた。机の上でランプがまろやかな光を漏らしているのを、洸は見るでもなく見すえている。郁人がひとりで座っていた二人掛けのソファが軋み、しぜん、郁人の身体が洸の側に傾いた。肩で郁人を受けとめて、洸は覚束ない情報をひとつずつ積み上げていく。郁人が断片的にばら撒いた話を繋ぎ合わせていくのだ。自分だけ飛躍してものごとを考えている郁人だから少し難しかったが、たらないぶんの言葉を補うほどには、ふたりの関係は深かった。

「それから、そうだな。…その攻め込んでくる、っていうのは、さしあたっての問題だ。違うか?」

洸は、驚くほど落ち着いている。東の街には郁人の家族がいるし、洸の兄だっているはずだ。だが少しも動揺をしていないのは、郁人が見るからにうろたえているせいだと自己分析をする。郁人にとって、家族というのは大切なものだ。それは無論当然だか、かれの場合、それに、負い目というものが加わってくる。本来ならば正々堂々と戦って負けてやりたかった兄、かれのことを信じ切っていた妹、ひとしく兄弟を愛していた母、そしてかれに期待をしていた父。それら全てを置き去りにして、郁人が掴んだのは洸の手だったのだから。

「…それだけじゃない。ここに入る時、山の国の傭兵団に襲われただろう?海の国で山の国の傭兵団に襲われるなんておかしいと思っていたんだ。おそらく向こうにも、この兵器のことは漏れている」

郁人は少し躊躇ってから、そう口にした。姿勢よく、締められたカーテンの向こうを見ている。その肩に腕を回して引き寄せると、頭がごつん、と音を立ててぶつかった。

「当ててやろうか。お前の見立てだと、山の国が本格的に攻め込んでくるまでのカウントダウンは始まってる」
「やっぱりお前は甘い、洸」

薄く息を吐きだして、郁人はそのまま身体の力を抜く。僅かな間洸に身体を預けて、瞼を降ろした。考えをまとめているのか、それとも続く言葉を吐きだすのを躊躇っているのか、そのどちらかまでは洸には分からない。だから黙って郁人を待った。かれを待つことには慣れている。…昔から、かれがあの分厚い探偵小説を読んでいたころから。

「洸。おれは、ほんとうは、怖い。あの街に戻るのも、母上や、鈴音や、父上や、…兄さんに会うのが、怖い」

郁人はそういうと、躊躇いを含んだ眼差しを持ち上げた。洸の横顔にちらりと視線をやる。五年前のあの日と同じように、前だけを見つめている横顔だ。自分は動揺をしているのだなと郁人はいまさらながらに思う。ぐしゃりと髪を掻き混ぜる手が、どこか慈しむような梳る手つきになった。

「だけど、ほんとうに怖いのは…、何もいえないままに、謝れないうちに、それを失ってしまうことだ」

かれらとは、何も言わぬまま、どんな思いでいるかも告げないままに別れてしまった。郁人はそれを、ずっとこころのどこかに負い目として持っていたのだ。凪へ対してのように、夢を語っていたわけでもない。ましてや、共に来てくれと乞うたわけでもない。だのに今思うのはただ、ひとつだった。

「おれたちへの追手が少なかったのは、きっと東でなにかが起こったからだ。おれは、行かなきゃならない」
「そうか」
「洸、もうおれは、ついてきてくれるか、なんて、聞かないぞ」

郁人は少しずつ、成長をしている。それはかの騎士とともに国を出て過ごし、郁人のなかの知識が本で身知っただけのものから実体験へと移り変わっていったせいかも知れない。そして洸は、それがとてもうれしかった。少しずつ郁人が名実ともに自由になっていくさまを傍で見ているのが、心地よく楽しかったのだ。

「当たり前だ、ばか。俺を差し置いてだれがお前を守るっていうんだ?」

そして洸は、そういって手の甲でかるく郁人の頭を叩いた。勢いをつけて立ち上がる。カーテンを勢いよく開ければ確かに東の方角に、篝火だろうものが照っているのが見てとれた。かれの読みは当たったらしい。

「急ぐぞ、郁人!」
「…ああ」

洸は騎士の証である剣を手に取り、一足先に部屋を飛び出す。だからかれは、背後で仰のいた郁人の、今にも泣きだしそうな表情を見ることはなかった。






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