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忍はすごく驚いた顔をしていた。それから弾かれるように立ち上がって、荷物をまとめて飛び出していく。泣きそうな顔に見えたのは、たぶん、気のせいじゃないだろう。

あいつの俺に対する鈍さは筋金入りだと思っていたけど、ここまでくるとこころも折れる。そもそも俺がしたことが悪い。なんにも言わないで、関係を変質させてしまうのが怖くて黙ったまんまで、それなのにあんなことをして。

けれど、ストレス発散なんて思われたことはどうしようもなくショックだった。好きで好きで大事で大切でどうしようもなくてだからずっと隠してきたのに、黙ってたのに、結局伝わらなかった気持ちだけが宙ぶらりんにぶら下がって。

挙句に「お前は高木龍一郎だから」ときたもんだ。俺は、俺はいつだって何より先に、あいつの幼馴染であるつもりだったのに。何もかも上手くいかなくて、どうすればいいのかわからない。がらんとしたマンションはひどく冷えて感じた。休みだってことをいまさら思い出す。丸一日撮影のない日は一か月ぶりだ。何でこんな日に限って忙しくないんだろう、と思いながら、俺はソファに寝っ転がった。

ゆうべ忍のやつを押し倒した場所だ。天井が見える。くそったれ。腹筋の力で起き上がって窓のそとを見ると、日差しまで俺を嘲笑っているようだった。昼下がりの光が目に刺さる。忍にはひどいことをした、と思う、けれど電話をかけることはどうにも出来そうになかった。キスをして、それだけで十分困惑させただろうに帰れと言ったり大事なんだと言ってみたり。俺も混乱してるが忍もわけがわからなくて困ってるだろう。

忍の住むボロいアパートからここまでは徒歩で十五分といったところだ。そろそろあいつも家についていておかしくない頃合いである。謝らなきゃ、誤魔化さなきゃと思っちゃいるんだがどうしても身体が動かなかった。忍が付けっ放しにしていったテレビには俺が映っている。むかしストーカーの影におびえて部屋の外に出たがらなかった忍と、よくひっついてテレビを見ていたことを思い出していた。思えば忍があれだけテレビのなかの女優やアイドルに興味を示すのは、そんなところから来ているのかもしれない。

やっぱりあいつからすれば俳優ってのは遠い存在なんだ。志望していた大学だって別々だったから明確なつながりが欲しくて軽い気持ちで始めた『高木龍一郎』がいつしかあいつのなかでの俺の質量の比重を増していることがひどくこわい。どうやら俺は俺に妬いているらしいと思いながら、呆れて深くため息をついた。

こんなに好きなのに、どうしてなにひとつ伝わらないんだろう。ずっとずっと自分でも呆れるくらい好きで大切で大事にしてきたのに、自分の深層心理まで誤魔化せないで知らない間にそれを踏みにじるような真似をして。挙句に八つ当たりをしてひどいことをいった。このままじゃあ忍を失ってしまうかもしれないって分かっているくせに動けない。次に口を開いたらきっと言ってしまうに決まっているからだ。ほんとうはずっと好きだった。愛してる。俺たちの間にある積年の信頼を、友愛を踏み砕く一言を。

「しあわせにする、愛してるよ」

ふざけてなら簡単に言える言葉もけれど、もうきっと俺はあいつの前で口には出せないのだろうと思う。だって、忍はもう、俺があいつの名前を呼んでキスをしたことを知っている。

二日酔いの疼痛が残る頭に腕を乗せ、俺はゆっくり目を閉じた。どうすればいいのか何も分からなかったから、せめて今だけは忘れていたかった。

なのに。

「…っ、この、ばか!」

忙しない足音と声が部屋の沈黙を破ったから、俺は驚いて飛び上がった。はっとして顔を上げれば、部屋のドアを開けて飛び込んできたのは、さっきここを出て行った忍で。さっき思ったことなんか口をつくわけもなく、俺は呆けてそっちを見る。顔をくしゃくしゃに歪めた忍は、真っ直ぐ俺のほうに歩み寄ってきた。ソファの上に上体だけ起こした状況で、俺はその手に肩を掴まれてどんと背もたれに押しつけられる。

忍の手が、ひどく冷えている。外の匂いを連れた忍を見上げると、眉をぎゅっと寄せた幼馴染がその唇を震わせていた。数時間前に俺がキスをした、その唇だ。

「なんで追いかけてこないんだよ!ばか!しね!」

そして忍が俺を怒鳴りつける。ちっとも理解できなくて瞬きをしていたら、俺たちの間にいたたまれない沈黙が横たわった。…なんで。って。追いかけられるわけがないだろう。追い掛けて駆け寄って、その背中を抱きしめて。ほんとうはお前のことがずっと好きだったって、三流ドラマみたいに俺だって本当は言いたかったさ。だけど。

だけど俺は、お前の無二の親友で幼馴染だろうが。

「マンションの外でずっと突っ立ってた俺の身にもなれよばか太郎!なんとか言え!」

お前は俺がずっとどれだけ我慢してたと思ってるんだ。お前に失望されるのが怖くて、お前の信頼を踏みにじるのが怖くて、けどそれでもきっとお前は笑って俺が伸ばした手を取ってくれるって頭のどこかで分かってたからこそ、何も出来なくて、苦しんでもがいて。なのになんでそうやって、お前ってやつはいつだって、立ち竦んだ俺の前まで戻ってきて俺の手を取るんだろう。ああ、そんな奴だから好きになったんだっけ。ずっと昔のことだったから、忘れていたけれど。

「大事だっていったくせに!おまえは大事なやつを寒空の下に放置して平気なのかよ!」

口ではそんなことを言いながら、忍の表情は不安と逡巡を明らかに映し出していた。不安にさせただろうか。俺ともういつも通りの関係に戻れないと思わせて、焦らせて、こわがらせてしまっただろうか。もうどうしようもなくなって、俺は二本の腕で忍を思いっきり抱きしめた。後戻りはできない。覚悟を決めるしかない。けれど俺にはやっぱり、忍を失うことだけは出来そうになかった。十年ものの片思いに決着を付けるときが、ついに来てしまったのだと思う。忍はきっと俺を拒まない。足を踏み出しさえすれば、忍が大事にしてくれた長年の信頼を踏み壊すことさえできれば。

「…好きだ」

…息をするように滑り出た言葉に、俺はこころの何処かで安堵していた。










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