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「辛くなったら言えよ。背負ってやるから」
「むかし、泣くおまえを背負って帰って来てたのはおれだったのにな」

山も中腹に差し掛かり、洸は気遣わしげに郁人を見てそう声をかけた。くすくすと小さく囀った郁人はまったく相変わらずで、小さいころから変わらずにいつも洸を先回りして、安心させるように笑っている。変わったのと言えばそんな郁人の余裕ごと抱え込もうと出来るほどには伸びた洸の腕の長さだろうか。

「しかし綺麗な山だな。うちの裏山よりも険しいか」
「あんまり人通りもねえみたいだし」

すでに先をいく探偵たちの姿は見えなくなっている。となりの白皙に苦痛が浮かばないかどうかを注意深く眺めながら、洸は歩き出した。郁人は苦痛を隠すタイプだ。というより、自分の苦痛に疎いのだと思う。この世で最も遠慮のない洸相手でさえ痛いだとか辛いだとかその口から聞いたことはかぞえるほどしかないのだから相当だ。だからこそ気付いてやりたい。

「依頼人の本命はおれたち。いうなれば他の探偵は囮だ。手の込んだ舞台を整えている。どうやら依頼人の閣下は死ぬ気らしいからな」
「どういうことだ。死ぬ気?」
「遺産相続の証書の在り処を吐かない依頼人に焦れた危険分子たちがいつ暴発するかはわからないからな」

わかるんだかわからないんだかわからないような顔をしている洸に微笑ましそうな目をした郁人が、隆々とそびえる山脈を扇いでまぶしそうな顔をした。

「どうなるかはおれもわからない。ただミステリ小説の導入みたいな依頼だったからな」
「二つ返事でオーケーしたわけだ」
「もちろん」

郁人はにっと笑みを深めて言った。

「表向きは、洋館の前の持ち主が遺した暗号を解くという名目で探偵を集めているはずだ。おれたちはそれを適当に調べつつ、息子たちのなかで誰が殺意を抱き、どれだけ協力者を集めているのかを探る」
「暗号か。お前向きじゃねえの」
「えてして暗号というものにはそれを施した人間の性格や趣味が絡んでくる。少なくとも二日三日で解けるものではないだろうな。前の持ち主を調べ上げる時間がおれたちにあるかどうか」
「あー今のなしで」

ただでさえ敵地に飛び込むようなものに余計な厄介は抱え込みたくなかった。とりあえずそう言っておいて、洸は少しずつ近づいてきた洋館を見る。蔦に覆われたそこはまさしく波乱の予感を感じさせていた。

「そうだ、洸。忘れていた」
「……、なんだよ」

少し、いや、だいぶ嫌な予感がしてぎぎぎと音が立ちそうなほどゆっくりと郁人を振りかえる。見えたのがそれはもうきれいに笑った郁人の、ろくでもないことを考えるときの顔だったので、洸はとっさに耳を塞ぎたくなったくらいだった。

「館についたらお前が探偵だ、いいな」
「…、…は?」

けれど言われた言葉があんまりに予想外だったもので、耳を塞ぐ気すらなくなった。とりあえず間抜けな顔をして郁人を見ていたら、あくどい笑みをますます深めた郁人が両の頬をぐっと引っ張ってくる。

「おれは助手。そのほうが動きやすいからな」
「おいちょっと待て、それってつまり」
「お前は偉そうにふんぞり返って、おれに指示を出せばいいんだよ。たまには立場をとりかえてやる」

待てって、という間もなく言葉をつづけられたせいで、洸にツッコミを入れるチャンスは完全になくなった。たまには立場をってお前自分の歳分かってるのか、とか、言いたいことは山ほどあったのだけれど。あいにくなことに郁人はどうすれば洸が折れるのか、多分この世で一番心得ているわけであって。

「…探偵のほうが狙われやすい、おれとしては助手のふりをしていたほうが楽なんだがな」

とぼそりと郁人が付け足したせいで、洸はついに反撃の機会を一切失った。無言を了承と取ったらしい郁人が口元をゆるゆると綻ばせて笑う。

「なに、難しいことをやれと言ってるんじゃない。お前は自分が探偵だといって、あとはおれの指示したように動けばいいだけだ」

館までの道のりはまだ少し残っていたが、洸は途端に足取りが重くなるのを感じていた。病み上がりの郁人を気遣って十分にゆっくりした進み方だったのが、ますます遅くなる。郁人のほうが半歩ほど先を歩いている状態だった。すでに洸の疲れはピークに達しているも同然である。産まれてこのかた自分と郁人の立場をひっくり返したことなんて一度だってなくて、洸はそれに何の不満も疑問も抱いていない。

幼いころから『東の大公の次男坊』ごときの座に郁人を封じ込めておく気などさらさらなかった洸にとって、口には出さないけれど郁人の存在は絶対なのである。だのに半ば不可抗力とはいえこんなことになると、初めてづくしでどうすればいいのかわからないのも当然だった。

「帰りてえ」
「まあそういうなよ。おれは久々の依頼で楽しみだぞ」

なんて楽しそうに歩いている郁人を見ているとそのふくふくしあわせそうな頬を引き伸ばしてやりたい衝動に駆られる。暗澹たる洸の気持ちに呼応するように、雲行きも怪しくなってきていた。

「おい、郁人。雨降りそう」
「雷鳴鳴り響くなか辿りついた先が怪しげな洋館っていうのも、ミステリでは常套手段だからな。お、降ってきたぞ」

だがしかしそんなこともかの探偵閣下のまえでは気分を盛り上げる結果にしかならなかったらしい。ぽつぽつと降り始めた雨に、子供のようにはしゃいでいる。とりあえず上着を脱いで郁人の腕を引っ張って、なんとか濡れないように頭の上に上着をかけた。本降りにならなければ凌げるが、郁人が言ったように雷鳴が響くようになってしまったらこれでは気休め程度にしかならないだろう。前が見えないぞ、とか郁人がもぞもぞ暴れているが無視だ。風邪でも引かれたら困るし、出来ればまだ走ったりはさせたくない。おそらくは汽車の振動に合わせてだろうが、昨日と今日痛み止めを大目に飲んだのを洸は気に留めていた。傷がふさがるのと、傷が痛まないのは別ものである。

「…で、その常套手段ってやつには、探偵が助手を背負って洋館に辿りつくパターンは含まれてるのか?」
「犯人が被害者を引き摺ってっていうのは見たことあるけど、さすがにそれはないな。ていうかべつに背負われる必要はないぞ」
「走らせたくねえんだって。お前、傷が開いたら問答無用で強制送還だからな」
「…そればっかりは傷口に聞いてみないとわからない」

ぽかんとひとつ頭を殴ってから、だんだんとジャケットに大きな音を立てて落ちて来る雨音に覚悟を決めた洸は郁人のまえでしゃがみこんだ。ほんの少しだけ躊躇をした気配を見せて、郁人がすまない、とその耳に囁く。背中にかかった体重は、相も変わらず軽かった。せめてもの雨よけにとジャケットを郁人に手渡し、洸は先ほどよりずいぶん早いスピードで地面を蹴り飛ばす。

「掴まっとけよ。本降りにならないうちに着く」
「…お前、ほんとうに体力馬鹿だよな」

洸の頭もまとめて覆うように広げたジャケットに当たるぽつぽつという雨音が、どんどん大きくなってきていた。郁人はこの年になって背負われるなんて、とかちょっと恥ずかしく思いながらじくじく痛む腹部に僅かに眉を寄せる。筋肉の引き攣りがあとを引いているということは分かっていたが、如何せんそれは薬で誤魔化す程度しか対策がないわけで。おそらくは危険な依頼になるから、どうにか上手く立ち回らなければならない。なんて探偵らしいんだろう。頭の中でロジックを展開させながら、郁人はそれでも胸を高鳴らせていた。









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