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アヴァロンは未だ遠く 第二幕



ひたひたと夕暮れの気配が迫るのを、郁人はぎいぎいと安楽椅子を揺らしながら眺めていた。安楽椅子探偵、というミステリ小説のジャンルがある。安楽椅子を揺らしながら、事件を話を聞くだけで解決する探偵―――、郁人の憧れた探偵とは真逆のそんな探偵に、近頃郁人は甘んじていた。

というのも、そもそもは先の政変で郁人が無茶をしたのがきっかけであった。親友である皇子を凶刃から庇い腹部を刺され、ひどい怪我を負ったのである。なんとか生き延びてこの探偵事務所に帰って来れたはいいものの、過保護に磨きをかけた騎士兼助手が郁人に調査を許してはくれなかった。

なので郁人はここしばらく、かれに命じて情報を集め、ついでに謎解きをしてそれを洸に暴かせるという安楽椅子探偵そのものになっているのである。正直いって退屈だった。かの騎士どのは毎日郁人に国立図書館から借りてきた本の山というエサを与えたが、たいてい郁人はそれを午前中に読み終えてしまう。それから午後にこうして安楽椅子を揺らしながらうとうとして、小腹が空いたころに洸が戻ってきてなにくれとなく郁人の世話を焼いて調べたことを告げにきてついでになにか食べるものを用意してくれるので、郁人はなにもすることがない。運動不足もいいところなのでふらふら散歩したりするのだけれど、ひとりでそこらをほっつき歩いてもさほど楽しくない。なにかに巻き込まれて怪我をしようものならリードをつけられかねないので無茶もできなかった。

そろそろ傷口も完全に塞がる。そうしたら洸も、前のように調査を自身でやってもいいといっていたから、それまでの辛抱だった。しかしいかんせんそれまでが長い。ひとりのへやは静かで薄ら寒くて、どうにも感じが悪かった。

郁人は、いつも洸を待っている。かれだけが学校にいっていたころ、家庭教師にいろいろ習っていたときなんかは退屈で死んでしまいそうだった。それが結局郁人に本を読ませそして探偵を目指すきっかけになったのだが、たったひとり本の世界に溺れるのは楽しいけれど孤独だった。学校を放り出して洸がさっさと帰ってくる晴天の日の午後三時が、どれほど待ち遠しかったことか。

いまはそれよりも、ひとりの時間はずっと長い。あのときより十も年上になったのにまだ退屈で死んでしまいそうなのだから、人間は年を取ると無感動になるというのは多分一概には言えないのだろう。

「退屈は人を殺せる、というのは、たぶんほんとうだ」

郁人は独りごち、それから手元の小説のページをぺらりと捲った。感動的な恋の終わり。時代に引き裂かれた恋人たちが、十年を経て再会するはなし。

ちっとも面白くないけれど無音の空間に置いて置かれるよりはましで、郁人は無理やりに本の世界に浸ろうとしていた。けれどヒロインの外したはずの眼鏡がヒーローの手によって外されたという文意の一節で再登場したことに疑問を覚え、もしや彼女は眼鏡を二つかけていたのだろうかなどと思い始めたところで考えることを放棄する。自分はどうやら細かいことを気に留めるタイプらしいと思いながら、ページの内容がまったく頭に入って来なくなってしばらくして、玄関ががちゃりと開く音がした。

「ただいま」
「おかえり。遅かったな、洸」
「お前が無茶ぶりするからだっつーの!」

外の匂いを連れた洸は腰に提げた剣をホルダーから外したあと、まっすぐ安楽椅子のそばまで歩み寄ってきて郁人の髪を乱暴に撫でた。あたたかい郁人に触れてどこかが綻んだのか、翡翠の色の瞳がやんわりと細められる。まだどこかに子供っぽさを残しているくせをしてずいぶんと一人前の男の顔になった騎士殿は、相変わらず汚い字で書き殴られたノートを郁人の膝の上に置いた。

「どうだった?」
「完全にクロ。お前の読み通り。浮気相手を締め上げたら依頼人は満足したみたいだぞ」

なんとなく甘えるようにノートの文字を辿る指先を掴んでしまったのは、たぶん、夕暮れの景色があんまりに幼いころの風景に似ていたせいだと思う。郁人の様子が平素と違うことに気付いたらしい洸が、僅かに形のよい眉を上げた。斜陽に照らされて触れたら融けてしまいそうなあえかさを見せるその亜麻色の輪郭を、じっと見据える。

「…郁人?」
「なあ、洸。おれだって外に行って調査したい。もう大丈夫だから」

ぎゅ、と握った指先は冷たい。外はすこし冷え込みはじめているようだった。ノートのページをいたずらに捲っていた郁人のもう片方の手を、今度は洸が捕まえる。自分の立てた筋書きに寸分も違わないつまらない資産家の妻の浮気の物語を目で辿るのをやめた郁人は、そっとあまいいろをした視線を持ち上げた。

「…無理はさせねえからな」
「うん」

洸が自分の縋るような目を無碍にすることが出来ないということなんて、郁人はとっくの昔から知っている。ちょっとだけ呆れたみたいに目を細めて、それでも洸はそう言ってくれた。最後にぎゅっと強く郁人の細く長い手指を握りしめた洸が、何か食うか、といってこの所帯じみた探偵事務所の台所のほうへ歩いていく。その背中になんとなく口元が緩んでしまうのを感じながら、郁人は机の中から一通の封筒を取り出した。

仰々しく蝋で封のされたそれ。差出人は郊外に住まうさる大資産家。

「洸」

猫なで声もいいところで頼れる騎士さまの名を呼び、郁人はいやな予感に振り向いた洸へとびっきりの笑顔を向けた。ああこれはもうとんでもない厄介事だね、と洸がどこか諦観を含んだ目をするのを見て、さらに笑みが深まっていく。

「山奥の洋館に住む資産家の老人から、遺産相続がらみの大事件が起こりそうだと依頼を貰っていてだな」
「……ソウデスカ」
「なにも、いやなら、おれひとりで」
「行くっての!お前、俺がはい行ってらっしゃいなんて言うと思ってんのか?」
「思ってないに決まってるだろ。汽車の切符はもう取ったぞ。おれ窓際な」
「……はい、大先生」

諦めたように、洸が頷いた。なんだかんだいって元気になった郁人に振りまわされていることを嫌がっていないのだから、自分はそうとうだと思っている。









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