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鶺鴒はかく囀り





獣人が世界を支配するようになって二世紀あまり経った。純血の人間はめっきりと減り、政府によって設けられた保護区で生きている人間たちも最早獣人への従属になんら疑問を抱かなくなっている。

圧倒的な身体能力、また人間と同じかそれ以上の優れた頭脳を持つかれらたちに逆らおうという気をなくした人間たちは、かれらの機嫌を損ねないように生きるために精一杯だった。自由を制限された区画内で、ひっそりと生きている。

例外はといえば世界広しといえどもここくらいだろう、とマヒロはそう思っている。ここは王都の端に作られた豪奢な館で、名は春華楼という。いうまでもなく楼閣であった。獣人たちのなかには弱くて脆いけれどそれゆえの繊細さをもつ人間を好む者たちもいる。そういった客の要望に答えるために、政府は一世紀前あたりにこの界隈に遊郭を拵えた。政府が人間に唯一許したのがこの区画のなかでの商業活動であったのである。人間の政府が頭を絞り、人間のなかでも見目麗しいものが集められて、しばらく。今やこの春華楼のある区間は、王都でも随一の不夜城となっている。春華楼はそのなかでも格式の高いことで有名な廓であった。もし楼閣で獣人に見染められ落藉してもらえれば、人間でも外の世界に出られるのだ。身請けと呼ばれるそれを願って遊郭を志望するものもすくなくなかった。

「マヒロ?なにを考えている」
「…いえ、なにも」

マヒロはといえば、この廓には到底似つかわしくない地味な身なりをしていた。ほかの人間たちとは違ってとりわけかんばせに花があるわけではない。肌はしっとりときめ細かかったけれど抜けるように白い、というわけではないし、そもそもその輪郭線には円やかさがない。それも当然、マヒロは歴とした男であった。この遊郭の従業員だった人間の男と遊女の間に産まれたマヒロは、この遊郭で小間使いとして過ごしているのである。おそらくは生まれる子が女だったときのために母は妊娠を許されたのだろう、とマヒロは思っていた。飯をもらっている以上、マヒロはここで雑用をして生きていくことに不満はない。恵まれた楼閣であるから優しくおっとりした人が多い姐さんがたもマヒロにとても優しかった。

そんなマヒロに声をかけてくれたのは、豊かな銀の尾と見上げてしまうような恵まれた体躯をした狼族の青年である。狼族といえばその精悍さからこの春華楼でも姐さんがたの間では人気が高い。かれはちょうどいま番台で受付をしているこの国でも屈指の大企業の社長を勤めるお人の付き人というか、後継候補と目される人であった。
いつもマヒロは獣人たちを恐ろしい、怖い、と思うのだけれど、かれとだけはいつも優しくしてくれるから普通に話すことができる。どんな相手でもにこやかな笑みを絶やさない姐さんたちは本当にすごい、と美しい着物を纏った花魁が獣人の相手をして部屋に向かっているのを眺めながら、マヒロはほうっと息を吐いた。

「社長にも困ったものだ。このところ週に一度はここに来ている」
「そうですね、カザハヤさまは退屈でしょう」

マヒロのとなりで手持ち無沙汰に尾を揺らしているかれ、カザハヤは、決まって女を買わなかった。もちろん獣人の中には人間などという劣った種族、とこの春華楼やここに通う獣人たちを馬鹿にする者もいる。かれもそうなのかな、けれどいつもマヒロと話してくれるしな、と、マヒロはかれを分かりかねていた。かれのことをひどく好ましく思うから、もしここにいるのが苦痛なら、なんとか理由をつけて外で時間を潰せるようにしたやりたい。

「…、そんなことはない」
「だって、一刻も二刻も俺としゃべっているのは、退屈でしょう。せっかくのお休みだというのに」

カザハヤは律儀な性分なのか、社長を待つ間もずっと番台のそばに設けられた椅子に座っていた。外で時間を潰す、なんてことはない。そしてそんなかれの話し相手を勤めるのは、決まってマヒロなのだった。まえに飲み物やちょっとした軽食をかれへ出したときに気に入られたのか、かれがマヒロを請うのでカザハヤが廓に居る間、マヒロはほかの用事の手を休めてかれの話し相手をする。かれはマヒロに、楼のそとの話をよくしてくれた。

いろいろな種族が行き交う市場。郵便を運ぶ鳥人たち。牛族たちが頻繁に集団で引っ越すから、迷惑この上ないという話。

廓の外に出たことのないマヒロにとって、カザハヤの話はとても楽しい。それも相まってマヒロはかれの上司の登楼とカザハヤの来訪を、かなり楽しみにしているのだった。

「…マヒロは、迷惑か?おれの話し相手は」

かれのきれいな銀の耳が、ぴくりと動いた。いつもマヒロはそれに触れてみたい、と思う。以前かれの尾を撫でさせてもらったことがあるのだが、見事な毛並みだった。どうやら血筋も関係しているらしい。

「いえ、そんな。楽しい、ですけれど」
「なら、おれは、いいんだ」

そういってわずかにはにかむカザハヤは、マヒロの前ではその驚異的な身体能力の鱗片すら見せない。酔って暴れた客に投げ飛ばされたときの話をしたら、かれはたいそう立腹していたようだったし、おそらく獣人には珍しいほどおだやかな人であるのだろう、と勝手にマヒロは思っている。

「ですけれども、この廓の花魁たちは本当にきれいですよ。一度でもいいので、気に入った妓がおりましたら是非お試しくださいませ。店のほうも、いつもカザハヤさまがたにはお世話になっておりますし」

実のところこの廓はカザハヤを持て余し気味だ。国屈指の武器会社の次期社長たるお方を小間使いごときに接待させることを苦々しく思っているのは明らかだし、無償でもいいからかれに花魁を買ってもらってコネを作りたいというのが本音であろう。

「…いいんだ」

けれどカザハヤは、なぜかちょっとだけさみしげに笑ってそっとその見事な尾を揺らしただけだった。マヒロの背のすぐそばを、ひらひらと動くそれ。

その笑みにマヒロは、もしかしたらかれには獣人の恋人や心に決めた人がいるのかと、ほんの少し胸を痛めたのだった。どうして胸を痛めたのだろうかと、わからないままにして。





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