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10


ぽたぽたと顔面から滴る冷たい水に、急激に意識が覚醒する。ってことは、つまりこれは現実だ。ソファに組み敷いた、びしょぬれの忍。さっきまで俺がしていたことを思い知らせる鎖骨の歯形と、唇に残る感覚。茫然として忍を見下ろすと、ほっとしたように忍が笑った。

―――こんなときですら。安心したように目を細めて、笑う。

「あーもう超つめてえ」
「…忍、」
「これ見られたらどうする気だよ、もう!明日ハイネック着なきゃ」

けらけら笑いながら鎖骨の噛み痕を指差して、混乱して動揺するあまり何にもできない俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でた忍はソファに肘を立てて起き上がった。タオルとってくる、といって立ち上がった忍の足音が遠ざかるのを、俺は聞くでもなしに聞く。

嫌な酔い方をしていた自覚は、あった。そのせいで酔いきれなくて、どこかに意識がのこっていた。…呑み会の会場を出て、マネージャーに愚痴を言いながら車に乗せられるくらいまでは。そこからは夢なんだか現実なんだか全部曖昧で、俺はただ何にも考えないで好きなように振る舞った気がしている。忍とマネージャーが何か話していて、マネージャーが扉を閉めて、忍が大丈夫か?なんて言いながら俺のほおに手を当てた。冷たいその手が気持ちよくて、そのままぎゅっとその身体を抱きしめた俺は、くっついたままでなんとかソファまでやってきて。

水を呑んで少しは意識がはっきりするかと思ったのに、となりに忍が座ったせいで理性はまた簡単に飛んだ。抱き寄せてこれ以上ないくらいに深いキスをして、押し倒して。ついこないだ忍が言ったように、忍に俺を怖がったような気配はなかった。それだけが救いだったけれど、それでも。

―――どんな顔をすりゃいいんだ。

忍にキスをしたのは初めてじゃない。寝てるときに唇を奪ったことは何回もあって、だけど、忍にキスをしたことを知られたことは、なかった。誰かと間違えたって言い訳をするには俺は忍の名前を呼び過ぎたし、なんていうか、忍の対応が冷静すぎて怖い。なんで怒らないんだ。なんで殴り飛ばさなかったんだ。普段は俺のことを足蹴にするのに躊躇うことなんてないくせに。

「ほら、顔拭け。すっきりするぞ」

バスタオルで濡れた髪を拭いて、ついでにそれでソファを拭きながら、戻ってきた忍が冷たく濡らしたタオルを俺に手渡した。正直もう酔いなんて全部吹っ飛んでいたけれど、俺はだまって顔を拭く。ますます冷静になった頭はもういっぱいいっぱいだった。忍、とその名を呼びたいのに、ごめん、と言いたいのに、できない。

―――本心だった。キスをしたいのもその先をしたいのだって、ただ酒のせいで理性が緩んだだけで本心だった。だから俺は、どう謝っていいのか分からない。けれど俺は忍の信頼を失うのが怖いから、決定的な一言は口に出せないでいる。自分の気持ちをストレートに忍に言うことが、どうしても出来ない。

「頭痛くない?もう寝といたほうがいいんじゃねえの、明日久々のオフだろ?」
「…、忍、お前」
「ん?」

なんで、とタオルで顔を覆って弱弱しく口にした俺に、忍が微かに笑った気配がした。それからあんなことをされたあとだってのにまったくそんな素振り見せないで、そばによって俺の肩を抱く。ぽんぽん、とまるであやすみたいに肩を叩かれた。ストーカーの影におびえるたびに震えて小さくなる忍に、よくこうしてやったのを思い出す。胸がくるしかった。

「…龍太郎、ショック受けるかもだけど」
「…なに」
「お前な、酔うといつもこうだぞ」

驚いたあまりタオルから顔を上げる。きっとそうとうな間抜け面だったんだろう、忍が笑った。どういうことだ、と聞くのが怖くて茫然としたまんまの俺に忍はさらりととんでもないことをいう。

「自覚ないかもだけどお前、キス魔。余所でしたら大スキャンダルだからな?気をつけろよ」
「いつもって…、まさか」
「そんなにショックうけるなよ!俺が悪いことしたみたいだろ!」

酔って帰ってきたときなんてもちろん記憶が残ってなくて、それでもそのたびにああして自分の胎に凝った欲情を忍にぶつけていたのだとしたら。忍が全く態度ひとつ変えないから、いままで全然気が付かなかった。けれどそれが事実らしくて、忍は変わらずへらへら笑っている。

「まあ、なんだ。俺はちゃんとお前が酔ってるってわかってるから、べつに」
「…ごめん」

ようやっと言わなければならない言葉が口を滑る。忍はいいっていいって、とわざとらしいくらい明るく言った。俺にはそれが耐えられない。その腕を掴んで、責任転嫁もいいとこだって分かってるのに忍に言いがかりをつけることしかできなかった。

「なんで、怒らねえんだよ。蹴ればいいだろ、抵抗しろよ…、教えてくれたら、酔わないようにできた」
「だってお前…、それだって仕事のうちだろうが。飲みたくない酒のんで嫌な気分になってるお前みてたら、そんなこと」
「…この、馬鹿」

このまま気付かないままだったら、俺はきっといつか必ず、自分で気付かないうちに忍を取り返しがつかないくらい傷つけていた。欲望のまんまに力ずくで組み伏せて押さえこんで、それをいけないと思うことが出来なかった。今日だってきっと忍が止めなきゃ、俺は忍を。

傷つけたくない。大事に大切にしたい。怖がらせたくないし嫌がられたくない。いつもそう思っていたはずなのに知らないうちにそれ全部を覆すようなことを自分がやっていたと知らされて、俺は相当に混乱していた。再び顔を掌で覆った俺の背中を宥めるように忍が撫でるのでさえ、今は俺を苦しめる。

「…」
「…、りゅうたろ、ごめん…」

違う、お前は悪くない。言わなきゃいけない言葉はすぐに見つかったのに、俺はそれを口にすることすら出来なかった。どんな顔をして忍を見ればいいのか分からない。普段はすこしだってそんな素振り出さないように隠していたのに、そりゃあもう周到に隠していたのに、酔った拍子に全部駄々漏れで?忍はそれを知っていて、それでどう思っていたんだろう。酒癖のわるいやつだって笑って流して、それだけ?そうだったらそれで俺は立ち直れない。頭がパンクしそうだった。酒のせいもあって、がんがんと頭を締め付ける疼痛がひどい。

「龍太郎、もう寝よう?な?」

そういってちょっと困ったように笑った忍が、俺の腕を取った。沈んだ俺を慰めるみたいに笑いながら、寝室のほうへ連れていこうとする。忍に触れられている腕が、燃えるように熱かった。

「―――忍」

だめだ。これ以上触れられたら。こんなに無防備でいられたら、ほんとうに俺は取り返しのつかないことをしてしまう。腕を振り払い忍を押しのけ、俺は力なく忍の肩を掴んだ。

「ごめん」

ぽかん、と間抜け面をして俺を見上げた忍に背を向ける。もう全部後回しにして、今はとにかく逃避をしてしまいたかった。

「…なんだよ、それ」

そうぼそりと呟いた忍の声だけが、耳の底でリフレインを続けている。










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