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リリイ




冷え込みも厳しくなってきて、山間に位置するこのムラにも毎日のように霜が降りる季節を迎えていた。シルヴァの同居人はといえばシルヴァからすればほんとうに危なっかしいことこの上ない身体の弱さなので、かれは例年よりずっと部屋の温度に気を配っている。その甲斐あってかスグリはまだ体調を崩していなかった。

かれの住んでいたムラよりずっと寒いだろう気温にも負けず、かれは毎日きらきらと笑っているのでシルヴァは微笑ましくなる。だれかのいる空間、待っている人のいる家というものは、シルヴァにとって信じられないくらいに暖かい場所だった。

「…よく寝てる」

いつもスグリより早く目が醒める。満月の夜の一件があってから心なしか近付いた距離で、スグリはあたたかい掛布に包まってぬくぬくと眠っていた。ふっと笑って、シルヴァはそっとその頬に手の甲を滑らせる。形を確かめるように何度か撫でると、スグリがむずかるように肩をもぞもぞと動かした。起こしてしまうのはかわいそうだから、シルヴァはかれが目を開けてしまうまえに手を離す。

不可抗力とはいえスグリをこのムラに攫うようにして連れてきたシルヴァは最初、かれに怯えられ恐れられるのだと、思って疑わなかった。けれどかれはすこしもシルヴァを恐れないで、まして不器用ながらもそっと寄り添ってくれたから、シルヴァはかれを手放すことが出来なくなったのである。ムラの若者たちのリーダーとして孤高を歩んできたシルヴァにとってスグリは、いうなれば一種の精神安定剤なのかもしれなかった。

「…シルヴァ?」

さらさらとかれのほおにかかる栗色の髪を指先で梳いていたら、まだ眠りの淵に足を突っ込んだような声がする。手を止めて薄い瞼を下ろしたかれを覗きこむと、ゆっくりと髪と同じ色をした睫毛が瞬いてそのうつくしい蒼のひとみが緩慢に開かれる。

かれと初めて出会ったときのことを、シルヴァは鮮明に覚えていた。弓を取ったそのときには鹿の影になって見えなかったけれどそこに座っていた、小柄な少年の姿。零れそうなくらいめいっぱいに見開かれた、吸い込まれそうな蒼の目。シルヴァの生まれ育ったムラではみたことのないそのうつくしい瞳に、シルヴァは鮮やかに目を奪われた。

「…おはよう、シルヴァ」

挨拶程度ならスグリは淀みなく口に出来るようになっている。かれが日ごろから自分の言葉を勉強していることはよくしっていたから、シルヴァも頬を綻ばせておはよう、と返した。ゆっくりと瞬きをするかれの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。布団のそとにだしたせいで冷えてしまった手指が淡い熱に綻んだ。あたたかいかれのほおを今度は掌で撫で、シルヴァは一足先に寝台から起き上がる。

「…」

するとスグリがふたたびとろんと瞼を閉じて、なにかを口の中でもごもごと呟いた。それに気付いてかれのほうを見ると、今度は明確な意志を持って、スグリの唇が音を発する。

ちっともシルヴァには分からない内容の言葉だった。どうやら寝ぼけているらしい、と思いながら、シルヴァはそれでもなにか単語を拾おうと注意してかれの言葉に耳を澄ませる。スグリと暮らすようになってシルヴァもアザミにある程度のスグリのムラの言葉は習ったから、スグリが自分の言葉で話しても、簡単な挨拶ならシルヴァだって理解できる。

けれど寝ぼけたスグリの唇を洩れるのはアカネやアザミと話しているときと同じひどく流暢な言葉で、シルヴァにはどうも理解できそうにない。声が自分に向けられているとわかっているのに、スグリがシルヴァになにかを伝えたがっているのにわかってやれないのは、ひどくもどかしかった。

「スグリ」

そっとかれに呼びかけると、かれは僅かにまた目を開く。そこから覗く甘い色をしたあおいろが、ふいに焦点を紡ぎ出すのを、シルヴァはじっと待った。あたたかい寝台から抜け出せば部屋の空気は冷え切っていたけれど、こうしてそばに人の熱があると、シルヴァは昨年ほどの冷え込みを感じずに済む。

「…スグリ、何て言ったんだ?」

かれとの間で幾度となくかわされた、この言葉。スグリが真っ先に覚えた挨拶以外の言葉はこれだった。それでゆっくりと覚醒したらしいスグリが、まだ寝ぼけたように瞬きを繰り返している。

「シルヴァ」

さっきのはやっぱり寝ぼけていたらしい。おはよう、とさっきよりは明瞭な声でもって言ったスグリの額に音を立ててキスをして、シルヴァはもう一度おはよう、と繰り返した。

するとスグリは、とろんと甘ったるく目を細めてあわあわと笑う。しあわせでうれしくていっぱいだっていう顔をスグリがしてくれるから、シルヴァもうれしくなる。スグリは手を延ばしてぎゅっとシルヴァのてのひらを捉え、それから懸命に言葉を探しているようだった。

「…俺、何か、言った?」

ようやっとスグリが拙く紡いだのは、そんな言葉。シルヴァは破顔するとスグリのてのひらを両手で包み、鼻先が触れそうなくらいに顔を近づけた。

「たくさん」

そうやって言ってやれば、スグリは顔を真っ赤にした。鑑みるにどうやら内容を思い出したようなので、シルヴァは間近でスグリの解答を待つ。何か言おうとして、言葉を探しているスグリは何度も慈悲を請うようにしてシルヴァを見上げていた。あまり言いたくないらしいけれど、シルヴァはどうしても聞きたかったからスグリの言葉を待っている。

するとようやっと言葉をみつけたらしいスグリが、腕を伸ばしてシルヴァの首にぎゅっと抱きついた。その身体に手を回し受けとめてやって、シルヴァはその暖かい背中を撫でる。

「シルヴァ、好き」

そしてスグリがシルヴァの耳朶に押し込んだのは、スグリが先ほど言っていたことをたった二文字に集約した一言だった。思わず目を見開いてしまうくらいにその言葉が嬉しくて、シルヴァは胸いっぱいに息を吸い込んだ。それからスグリを強く抱きしめて、同じ言葉を返してやる。するとスグリは、ひどくうれしそうに甘い笑顔を見せてくれた。








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