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雅臣が悠里を連れてきたさきは、屋上だった。青空が広がるそこは、秋の気配が混ざり始めた風に吹かれて心地よい。

「秋は夏と一緒にやってくる。…っていったのは、誰だったっけ」
「太宰?」
「あー…」

人々は秋に気付けない。人は、炎熱にだまされて、夏ばかりがそこにあると思ってしまう。…かの文豪の、短編小説の一節である。

「小学生のころは太宰ばっかり読んでたな。退廃的で好きでさ」
「そんな小学生いやだ」

なんてなんとなく笑いながら、悠里は欄干に肘を乗せる。雅臣がとなりに並んだ。秋の気配を忍ばせる風に目を細め、木々が葉を擦らせ奏でる音に聞きいっている。

「―――ダンス。ってやっぱり、皆踊れんの?」
「さあ?柊ちゃんとかは踊れないだろうし。あ、でもあれだけ運動神経よければなんとかなるか」

どうせ平均的な運動神経ですよ、と半目になった悠里に声を上げて笑い、雅臣は「これは失礼」なんて言って優雅に一礼してみせた。そして悠里の前に手を差し出して、何事かと身構えたその耳に囁く。

「お手をどうぞ、お姫様?」
「っ…」
「なんで笑うの!?」

思わず噴き出した悠里に納得のいかない様子だった雅臣が、それでも掌を重ねてくれた悠里の腰に手を回す。ワルツだと聞いていたから、あまり手間取ることはないと思っていた。ことダンスにかけては、真摯に学ぼうとする姿勢にまさる才能はない。

「雅臣。…俺、何もわからない」
「大丈夫だって。…全部俺に任して」
「…」
「だからなんで笑うのって!」

俯いて笑い声を噛み殺している悠里に解せない気持ちになりながら、雅臣は安心させるように悠里の背中をぽんぽんと叩いた。えてしてダンスなんてものは、片方がしっかりしていればどうにでもなる、と雅臣は思っている。

「俺がリードするから、悠里は何も考えないでついてきて」
「…ん。」
「はい、手はここね」

片手を肩に回し、もう片方の手を重ねる。神妙な顔で頷いた悠里に笑いかけてやってから、雅臣はすこし思案した。

「ホントは悠里は俺の顔見ちゃいけないんだけど。…ま、劇だから見つめ合ってたほうが恰好がつくかな」
「…そうなのか」
「そ。…あと、リズムは全部三拍子だから。最初はいくらでも俺の足ふんづけていいから、俺の足との距離を詰める感じでステップして」

最初はゆっくりと、雅臣はステップを踏み始める。ワンテンポおくれて、悠里がついてきた。そのワンテンポが雅臣と同時になるまで、同じリズムを繰り返す。

ワルツは上下のリズムがとても大事なダンスだった。身体を沈め、上げる。その単調な動作が、音楽に乗るととてもうつくしく見える。悠里は言われたとおり雅臣の足を何度か踏み付けながら、それでも雅臣が引っ張るとおりに動いた。何度か繰り返していると、足をひっかける回数も減ってそれなりに様になってくる。傍からみれば制服姿の男子生徒が二人でワルツを踊っているさまはひどく滑稽だろう、と思いながら、さすがと言うべきか呑みこみの早い悠里に雅臣は少し感心した。

「基本はこう。なんとなくわかった?」
「なんとなく…」
「じゃ、動くぞ」

宣言すると同時に、雅臣が足を大きく踏み出す。自然それに引かれて早足になった悠里を力強く引き寄せて、飛び込んできた身体を片腕で抱え止めた。些かおおざっぱだが、ワルツの花形であるターンである。本来はもっと優雅にやるものだけれど、劇なら多少適当でも派手なほうがいいかと雅臣は勝手に思っていた。

「な、なんかダンスっぽい」
「ダンスなんだから、そりゃそうだろ」

本来のワルツとはかけ離れたフォーム。仰け反る形になった悠里の腰に腕を回して支え、雅臣は神妙な顔をしている悠里を見てほんの少し表情を歪めた。きれいな瞳が無防備に何度か瞬いて、それからふっと緩慢に細められる。

「学校の行事にこうやって参加することなんて、ないと思ってた」

ふいに思うのは、それだった。もし柊がこの学校に転校してこなければ、きっと悠里は今も氷の仮面のほころびを誰にも見せないままだった。きっかけというのは時には酷く些細なことで、たとえば誰かの前で一度仮面を外してしまったことが、これほどまでに悠里の学園生活を変えている。それはある種、悠里に感慨を齎すに足るものだったのだ。

「…俺もだよ」

雅臣の予想を飛び越えていた悠里。思ったよりもずっとあたりまえの暮らしをしてきたかれ。やはり雅臣とは、住む世界が違っている。そんなかれが雅臣に、その価値をちっとも知らずして与えてくれたのは、雅臣が得るはずがないとばかり思っていた、あたりまえの高校生活だったのかもしれない。

あたりまえの高校生活。あたりまえの時間。どれもがひどく輝いて見えるのは、ふたりが形こそ違えど、それを得るはずがないと信じていたせいなのかもしれない。

「やるからには、優勝目指すぞ」
「あたりまえだっての。生徒会長と風紀委員長が組んで負けるなんてことがあっちゃ、学園の威厳に関わるだろうが」

優雅なダンスを踊っているなんてちっとも思えない闘志に満ちた会話をして、雅臣はふたたびステップを踏み出した。まだ夏を手放さない空ではまだ、陽熱が波のように揺蕩っている。









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