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さっきから背中にくっついて離れようとしないスグリに、シルヴァは相当困惑したようだ。スグリもスグリでいまの自分でもわかるくらいに真っ赤になった顔をシルヴァにみられたくないから、意地でもそこから離れようとしない。結局根負けしたのはシルヴァのほうで、むりにスグリを引き剥がそうともせずに放っておいてくれる。

――あの花は。
つまり『ずっと一緒に居てほしい』という意思表示なわけだ。しらなかったとはいえそれをなにも考えなしに初対面のシルヴァに押しつけた身としては、どうにもおさまりがわるい。シルヴァがあの花をいっしょに摘みに行ってくれなかった理由もそういうところにあるわけで、それじゃまるでスグリの気持ちに応えてくれているみたいだ。

そう考えると、恥ずかしくて、照れくさくて、嬉しくてたまらない。それと同時に、どうしてもスグリもあの花をシルヴァに渡したくなった。シルヴァがたくさんくれるやさしさを、こういったことを少しでも、スグリだってシルヴァにあげたい。

スグリは決心をして、シルヴァの背中から離れた。ほっとしたようにスグリの肩をつかまえたシルヴァが、スグリの顔を覗きこむ。まだ多分顔は赤い。ちょっと首を傾げたシルヴァの手を握って、スグリはそれをぐいぐいと引っ張った。

「…スグリ?」

訝しげなかれに構わず、スグリはかれを引っ張って家を出る。朝の日差しはきらきらときれいだ。冷え切った空気にスグリが身体を竦めると、ひょいとスグリを抱え上げたシルヴァに家のなかに引き戻される。玄関のそばに掛けてある分厚い外套を着せられるのを、スグリはもどかしく待った。こんなふうに甘やかされてばかりでは、そのうち溶けてしまいそうだ。

今度こそ外に出て、スグリはシルヴァの手を引いて真っ直ぐ門の方へ進んだ。熊のことを思い出してすこしためらうけれど、シルヴァに身構える素振りはないからもうその気配はないのかもしれない。どちらにせよシルヴァといっしょなら大丈夫、と、スグリは勝手にそう思っていた。

山を下る。あの満月の夜も下った場所を、今度は全く別の目的で歩いている。それにどこか不思議で、くすぐったい感覚になりながら、スグリは進んだ。てのひらのさきで、シルヴァは何も言わずについてきてくれている。

繋がるてのひらの熱が心地よかった。こうやっていまもかれのとなりに寄り添っていられることが夢のようで、けれど夢じゃないと繋ぎとめてくれる確かな熱がそばにあるから、スグリは背中を甘く震わせるこの感覚をそっと飲み下すことが出来る。

思ったより道ゆきが遠く感じなかったのは、スグリのこころのせいだろうか。かれと出会った花畑に辿りついても、スグリの息は少しも上がっていない。久々に見る山あいの景色は、あのときほどの彩りに溢れてはいなかったが、それでもきれいだった。

冬の足音が忍びよってきているせいだろう。色づいた木々は赤い葉を散らし、それが花畑を埋め尽くしている。赤、黄、それからすこしの、緑。花の芽吹く季節は、すでに遠いように思われた。

けれど現に、スグリはあの白い花を今日も見ている。シルヴァはきっと、ここであれを探したに違いない。ならばスグリにも探せるはずだった。かれの手を解放して、スグリは落ち葉の上を注意深く探して歩いた。

「スグリ?」

訝しげな声を上げたシルヴァに笑いかけ、スグリはあの白い花を探す。もういちど、スグリはシルヴァに、あの花を渡したかった。今度はその謂れを知り、その思いを込めて。

シルヴァが好きだ。ほんとうはずっと前から、そんなことはしっていた。しっていたけれど見ないふりをして心の奥のほうに追いやっていた思いはけれど、もう溢れだして止まらない。けれどそれをシルヴァはちゃんと受けとめてくれるから、スグリはこうふくに胸を一杯にする。大きく息を吸って、信じられないくらいのしあわせをじっと受け入れるだけ。

ようやく紅葉に埋もれたその花を見つけたころには、スグリの身体まですっかり紅葉まみれになっていた。立ちあがってそれを外套から払い落し、スグリはシルヴァを探す。かれの長身は少し離れた場所に、すぐにみつかった。手持無沙汰になったから、かれもまた紅葉やなにかを見ていたのかもしれない。

「シルヴァ」

両手でその花を背後に隠し、スグリはゆっくりかれへ近づく。呼びかけに答えた立ちあがったかれが、やさしく目を細めて寄ってきた。距離が零になるくらいまで近づいて、スグリはひとつ深呼吸する。

「…スグリ」

勢いよく突き出された白い花に、シルヴァは目を丸くした。スグリの手の中にある大輪の、意味を知らないかれではないだろう。シルヴァはけれどあのとき、初めて出会ったときのように、首を傾げたりはしなかった。黙ってそれを受け取って、それからぎゅっとスグリを抱きしめる。すっかり冷えたスグリの小柄なからだは、すぐに暖まった。

「…うん」

なにか言いたげに唇を震わせたかれは、言葉を言うのでさえもどかしそうに、かわりにスグリにくちづけた。あわい熱が、間近で見つめ合ったシルヴァの瞳が雄弁に語るから、スグリはうれしくなる。かれが喜んでくれたら、スグリはうれしい。…スグリがそばにいたい、と思うことをかれが嬉しがってくれるのは、すごくすごくうれしい。

そっとスグリを解放したシルヴァが、今度はスグリになにかを差し出した。思わず息が詰まる。心臓がどくんと耳の傍で鳴る。胸が一杯になる。これ以上たくさんを貰って、スグリは一生かかってもかれに返せるのかと、すこし心配になった。ゆっくりと、スグリは手の中のものに視線を落とす。

かれがスグリに渡したのは、蔦で不器用に結えられた、色とりどりの花の代わりに赤や黄の紅葉が添えられている、白い花の花束だった。

「……!」

どうしようもなくなって勢いよくシルヴァに抱きつくと、かれはしっかりとスグリを抱え止めてくれる。スグリにいつでも与えられるあの優しい声で、そっと名前を呼んでくれた。だからスグリも、何度も何度もシルヴァの名を呼ぶ。

「シルヴァ」

――かれを呼ぶ。
スグリはもう、それを躊躇わない。シルヴァがスグリをそばにおくことを、あんなに望んでくれるのなら。スグリは今度こそかれの手を選び、迷わず掴めるだろうと思う。ムラの家族の幸福を祈りながら、かれのそばで自身のしあわせをつかまえることを、スグリはもう恐れない。

返事のかわりにやさしくスグリの名前を呼んで、シルヴァはたいせつそうにいつくしむようにスグリのほおを撫でた。ふいにそこになにか冷たいものが落ちてきたから、驚いてスグリは顔を上げる。いつのまにか空からは、白く冷たい綿雪が降ってきていた。

忍びよる寒さにすら気付かなかったのは、スグリのからだが優しさに、暖かさに満たされているからだ。シルヴァがくれるたくさんでスグリは一杯で、それ以上のものは入りそうにない。今は寒さも、孤独も恐怖でさえもなにひとつ。ああ、かれが好きだなあと思う。あのときここで、出会えてよかった。最初の満月の晩、スグリを連れていってくれたのがシルヴァでよかった。そしてあの満月の夜、もう一度その手を掴み直すことができて、ほんとうによかった。こうしてそばでこれからも生きていける。それはスグリにとって、世界で一番のしあわせだ。

降り出した初雪はまだ、止みそうになかった。








きみをよぶ 完







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