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そんなどろどろと甘い時間は、唐突に終わりを迎えた。ばたばたと忙しない足音が聞こえる。何事かと顔を見合わせたスグリとシルヴァの耳に届くのは、

「スグリ!スグリ目が醒めたの!?」

と叫んでいる、聞き覚えのある幼い少女の声だった。アカネだ。彼女の名前を口にして、スグリはもぞもぞとシルヴァの腕から抜け出して玄関のほうへと近寄る。うしろからシルヴァもついてきた。

「こら、アカネ!勝手に入るんじゃありません!」

アザミの声もする。思わず苦笑が零れた。玄関を覗くと、しっかりと捕まえられている赤髪の少女。スグリと目が合って、その表情をぱあっと輝かせた。思わず彼女に近づくと、アザミの腕を振り払ったアカネが勢いよく抱きついてくる。そのままぐるぐると回転させられた。

「…よかった!」
「ありがと、アカネ。アカネは大丈夫だった?」

回転がとまり、ぎゅっと強くアカネに抱きしめられる。少女の髪はお日さまのいい匂いがした。それに目を細めていたスグリが顔を上げると、ふいにアザミと目が合う。彼女は何も言わず、ただそっと笑ってくれた。――、それでいいのよ、とでもいってくれるように。スグリは何も言えなくなる。後悔をして、それでその後悔をやりなおすことが出来たのは、奇蹟だった。シルヴァがあそこで助けてくれたのは、あの夜の林でスグリを見つけ出したのは、まさしく奇蹟だったのだ。

「あたしは平気。スグリもう具合わるくない?」
「だいじょうぶだよ」

ひょい、とスグリからアカネが引き離される。アカネを引き剥がした腕の主は、やはりというべきかアザミだった。そんなに揺さぶったら駄目でしょ、と怒られている彼女を見て、スグリは声を立てて笑った。

彼女たちを居間へと通して、椅子に座ってもらう。スグリはシルヴァのとなりに腰掛けて、聞きたかったことをアザミへと尋ねてみた。

「…あの。皆はどうなったんですか?あの熊は」
「あの熊は、シルヴァの矢でとても弱っていたからね。すぐに狩られたわ。…ムラに残りたい、と言っていた娘たちは戻ってきているし、ほかはきっと山を降りたはずよ」

思わず安堵の吐息を零す。あの混乱のなか、それでも山を駆け昇ろうとした女たちは、少なからずいた。新たな土地で見つけた大切なものを探そうと、スグリよりもずっと勇敢だった女たちだ。あの熊がすぐに狩られたというのなら、ほかの人…すなわちそれ以外の、かのじょたちのムラへ戻りたいと思っていた女たちとクサギらも無事だろう。それに心底ほっとした。

「…よかった。」
「あなたもね、スグリ」

そうアザミに言われて、スグリは思わず赤くなった。隣のシルヴァがどうした?とでもいうふうに顔を覗きこんでくるので、思いっきり両手を振る。アザミがくすくす笑っていた。

その後、アザミとシルヴァはなにやら件の熊のことでなにかあるとかで、すこし席を外すという。アカネと一緒に留守番をしていることになったスグリは、彼女といっしょにいろいろな話をして過ごした。

あの晩、満月の儀式の日から、今日でちょうど三日目の朝であること。アカネが毎日、スグリの様子を見に来てくれていたこと。襲撃のときには、シルヴァに集会場に押し込まれたせいでスグリを助けにいけなかったこと。ここについて彼女はとても力説してくれた。もしアカネまであの混乱にやってきたら、と思うとスグリはぞっとするのだけれど、勇敢なこのムラの少女はたいへんに憤っていたので、スグリはまあまあと彼女を宥めるので精いっぱいである。シルヴァの名誉回復は、今度にしておこう。

「…あ、この花」

ふいにアカネが、机の上に置いたままだった花冠を手に取る。彼女が指したのは、スグリが飾りにしたあの真白の花だった。スグリが首を傾げると、彼女はそのまだ瑞々しい花弁をそっと指の腹で撫でる。

「まだ咲いてたんだ。そろそろ冬だから、みんな枯れちゃう」
「そういえば、どうして儀式のとき、この花束をつかうの?」

そう衒わずに聞けたのは、シルヴァのおかげだ。かれは、スグリを取り巻く全ての事情を鑑みても尚、スグリといっしょにいたい、と望んでくれたから。だからもうスグリにとってこの花は、あの儀式は、羨望の対象ではない。

「古い言い伝えだよ。昔とっても仲が良かった夫婦がいて、年を取っておばあさんが死んだ時、おじいさんはそのお墓のそばに真っ赤な大きい花をたくさん植えたんだって。それで、それからおじいさんが死んだ時、おじいさんの子供はおじいさんをおばあさんと同じ場所に埋めたんだ。そうしたら次の年から、赤い花が白く咲くようになったんだ、っていう話。だから白い大きな花はずっと一緒にいよう、っていう意味なの」

由来を聞いて、スグリは思わず返す言葉に詰まった。…まさかそんな謂れのある花だったとは、つゆ知らず。いままであたりまえのようにそばにあったそれに、スグリは気恥かしさでいっぱいになる。赤くなったスグリに、アカネがきょとんとした顔をした。

「スグリ?」
「なんでもない!」

なおもスグリが問い詰められようとしたとき、タイミングよくアザミとシルヴァが戻ってきた。どうやら熊の肉をどう料理するか、それをいつ食べるかを考えていたらしい。熊の肉にはくせがあるから、しばらく塩と香草に漬けておくのだとか。目の前にぶら下がった食べ物の話にアカネが興味を逸らしたことに心底ほっとして、スグリはアザミとアカネが帰っていくのを手を振って見送った。









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