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一方、中央から北へ汽車で十数分の距離に位置する街の外れの宿屋には、暮れかけた空の下に新たな客入りがあった。素泊まりの宿に幾許かの金を払い、二つ空いていた部屋を両方とも借りうけたのはいかにもといった旅装をした若者四人連れである。
物騒なうわさも流れ始めているなかこの国に入ってくるとはよほどのもの好きかそれともそれ目当てなのか、どちらにせよきな臭い客と思われているに違いなかった。

「…みんないるかー」

まるで遠足の引率のような間伸びした声で、郁人が左右を見回す。飛び込んだこの北の街でもとりわけ安い部類に入る宿屋で、ようやっと息を落ちつけたところだった。旅商人などが利用するここならばあまり目立たないと判断したのは立場上幾度か北の街を訪れたことのあるラインハルトである。多少女将のこちらを見る目は訝しそうではあったが、詮索はしてこなかったところを見るとやはり面倒事はごめんだと思ったのだろう。人数分用意してある偽の身分証を見せると、存外簡単に部屋を借りることが出来た。とりあえず一つの部屋に集まって、顔を見合わせたところである。

「いまーす」

元気よく返事をしたのはシオンだけだった。ラインハルトはため息をついているし、洸は力なくベッドに倒れ込んでいる。さすがにあれだけ激しい打ち合いをした直後に走ったり追手を撒く囮にされたりしたのはつらかったらしい。
しかし思ったよりも簡単に追手を撒くことができた。撤退命令が出たのではないかというほどぱたりと追跡が止み、そして町にも見回りの兵たちを見ることはないままで宿屋まで辿りつくことが出来たのである。

「あー…どうしよう」

そして隣のベッドに倒れ込んで、郁人は力なく上向いた。ラインハルトが投げて寄越したペットボトルの水を喉に流し込む。かれに宥めてもらわなければ、あの赤髪の騎士の言った言葉に動揺するあまりまともに走ることも出来なかっただろう。初めてだという海の国に楽しそうにしているシオンのターバンがひらひらと揺れるのをなんとなく眺めながら、となりでゼーハーやっている連れを向いた。

「兄さんに見つかるのと父上に怒鳴られるの、どっちが先だと思う」
「糞皇子に捕まるに一票」

こともなげに即答すると、洸はごろんと寝返りを打った。難しそうな顔をしているラインハルトに声を掛ける。

「あの赤い髪の騎士は竜司って人だ。姓は有栖川。…北の大公の落胤」
「なる程。だから兄さんと交流があるんだな」
「おまえも会ったことあると思うけど。お前人の顔覚えるの下手だろ」

図星だったようで、郁人は黙った。その代わりに思案をしているラインハルトが、そうか、とそっけなく答える。権限も立場もある騎士ならばほんとうに侵入者の名を中央まで浸透させることができるだろう。追手が出るのか黙殺されるのかはわからない。見つかってしまったものは仕方がないのだ。

「どの道、問題が起こっているのは中央だろうからな」
「魔石の研究は中央に委ねられているからな。それより、凪に捕まるってどういうことだ」

この十年で、郁人は親友の呼び名を訂正させることをとっくに諦めていた。シオンがターバンの奥の赤目を輝かせる。

「皇子殿下といったら、軍部を一手に引き受けている人ですよね!知り合いなんですか?」
「親友だ」
「或人さんの十倍くらい怖い」

的確に答えたのは洸である。ラインハルトの怖い顔にさらに深い皺が刻まれたのを見て、シオンがぎょっとした顔をした。

「ラインハルトさん、それ視線で人殺せそう」
「或人さんに俺らが…ていうか郁人がこの国に戻ってきたって知れたら、間違いなく糞皇子にも知れるだろうな。想像するだけで怖い」
「お前がそこまで警戒するくらいなのか」

無言のままに蹴っ飛ばされて吹っ飛んできたシオンを、無論洸は避けた。背後で壁にぶつかったらしいシオンが痛いですーなんて言っている。麗しき信頼関係、と洸はラインハルトに聞かれたら殴られそうなことを考えながら何度も首を縦に振った。

「全軍総出で追ってきても全然驚かねえわ」
「いや、あって騎士団総出ぐらいだろう。凪と軍部は折り合いが巧くいってないらしいし」

肯定とも取れる返答を郁人がする。目下の兄の恐怖で目一杯らしく、まともに思考をまとめている余裕がないようだった。推理を進めたいのか集中しようとしているが、ごろんごろんとベッドの上で暴れている。

「明日にでも中央へ行こう。魔石が何処で何に使われているのか、調べなければならない」
「山の国との睨み合いはまだ続いているんだろう?何かが起きるなら、山の国に近い東の街でだろうな」

郁人は打てば響くようにラインハルトに答えた。言ってから、ものすごくいやな顔をしている。

「だけど、おれはあの街に近づけない」
「心情は察する」

背骨を擦りながらラインハルトの隣に戻ってきたシオンが、何かを考える素振りを見せる。頭脳労働担当を受け持つ気のない洸はようやく身体を起こし、窓越しに日暮れを迎えた空を見上げた。雲ひとつない、橙。

「ラドルフの言うところによると、魔石の横流しは数年前から始まっていたんですよね?」

穏やかな口調で話すシオンを見ていると、先ほどナイフであれだけの人数を戦闘不能にしたともラインハルトに蹴っ飛ばされていたとも信じがたい気がする。あまり自らの顔だちや色を外へと見せたくないのか、巻いたままのターバンの奥の素顔はよく見えない。視野も制限されるのだろう、戦闘に巻き込まれると外す習慣があるようだった。

「魔石の種類は回によって異なり、火の魔石だけでなく水や雷、風なども要求されたと」

森の国にある魔の森は、人間が踏み入れる限界がある。一定以上深くまで立ち入ると行方が知れなくなってしまい、命を落とす者も少なくない。魔石を加工する技術が進歩するにつれて少しずつ探索範囲は広がっていたが、それでもまだ全体からみるとほんの一割程度の場所しか探索がされていなかった。

海という無限の資産を持つ海の国では、時折浜辺に水の魔石が打ちあげられることがある。採掘をすれば火の魔石やほかの魔石もそれなりに手に入るのだが、安定して大きな魔石を手に入れるには森の国を頼るしかなかった。

「すでに研究は完成に近づいていてもおかしくないな。…ラドルフの持っていた魔力を移し替える技術、あれはほぼ成功といっていいだろう」

探偵モードに入ったらしい郁人が眉間に人差し指を当て、考え込むように瞼を閉じてそう言う。シオンは楽しそうにきらめかせた目で、噂しか知らぬこの探偵の推理ともいえぬ推理を待っているようだった。

「この間のことも考えると十中八九、魔石を使って行われているのは魔力を混ぜ合わせる実験だろうな。…それが何に使われるか、なぜ今山の国にされるがままにしているのか、想像するのは、容易い」

まるで毒でも吐き出すようにそういって、郁人はぐしゃりと頭を掻いた。ベッドに再度倒れ込んだ郁人を合図にしたように、ラインハルトが席を立つ。ゆっくり休んでおけ、と言い置いて部屋を出た。シオンは僅かに逡巡したのちにひとつ頭を下げてその背中を追う。かれのしめた扉が小さく音を立てたと同時に、郁人が長く長くため息をついた。

「で、謎は見つかったのか?名探偵」
「洸…」

郁人が寝転んでいるベッドの端に腰かけて、洸はぐしゃりと郁人の髪を撫でてやった。窓から洩れる光が部屋中を赤く染める。夕日が沈み、間もなく時刻は夜になろうとしていた。

「しかし、町も騒がしくねえな。てっきり兵士が追ってくると思ったんだけど」
「…他に何らかの問題が起こったのかもしれないな」
「それかあれだ、今頃中央で皇子から全軍総力でお前を探すようにいわれてる」
「お前は凪をなんだと思ってるんだ…」
「糞皇子」

窓の外を見ているらしい幼馴染の顔を見上げながら、郁人はごろんと寝返りを打った。窓に背を向け、ため息。かれと凪の仲が険悪であるのは今に始まったことではない。原因が自分に関係しているとはなんとなく分かっているものの、理由まではさっぱりだった。

「最初にこの話を聞いたときはちょっとワクワクしたけど、やっぱり、謎なんてひとつもない」

そう呟いて、郁人は僅かに沈黙する。長い指が自分の髪に触れる僅かな音だけが、部屋に聞こえていた。ゆっくりと赤が黒に代わる。一色に塗りつぶされる世界のまえで、かれは黙って郁人が話し出すのを待っている、洸のやさしさに甘えた。






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