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33



スグリが目を覚ましたのは、何日後かの夜だった。花の香りとともに意識が浮上するのを感じて目を開けると、この数カ月で見慣れた天井が見える。意識を失う前に起こったことを思い出して茫然としていたスグリがそのあとに気付いたのは、てのひらをしっかりと握られていることだった。長い指がスグリのそれに絡まり、じんわりと熱を分け与えている。

そのてのひらを辿ると、そばでシルヴァが浅く寝息を立てていた。その端正な寝顔に暫し見とれてから、スグリはかれを起こさないよう砕心をして身体を起こす。花の香りのもとを辿れば、枕元に花が積みあげられていることに気付いた。はじめてここで目を覚ましたときのことを思い出して、ひどく懐かしくなる。あのときも、シルヴァはスグリのために花をくれた。変わらないなあと思う。さいしょから、シルヴァはやさしい。

―――どうすればいいのか、スグリにはわからなかった。
スグリの考えでは今日この日、スグリはここにいるわけがなかったからである。森のムラで、ぎこちなく前通りの暮らしをしているはずだった。ここ数日、それだけを考えて生きてきた。だから何事もなかったような目覚めは、かえってかれを混乱させたわけだ。与えられている確かにスグリを繋ぎとめるもの、シルヴァの手指を、そっとスグリは手から外す。それがいつでも手が届く場所にあることを、スグリは理解できたから。

かわりに花に手を伸ばした。いつもどおり花冠を編めば、すこしは落ち着けるような気がした。時刻は夜明けに近かったようで外が白み始めていたから花を編むのも苦ではない。かれが目を覚ますまえに出来あがればいいな、と漠然とそう思ったけれど、そう急ぐつもりもなかった。

スグリは、ここにいるのだ。きょうも、明日も、それから先も。スグリが握るべき手は、いつでも傍にある。スグリはそれを、時間をかけて、いちどはそれを失いかけて、ようやっと知ることが出来た。

かれがスグリに優しかったのは、スグリがかれにとって大切な存在であったからだった。気付けなかったのは、そんなことすこしも思わなかったのは、スグリが臆病なせいだと思う。家族以外のだれかにこんなに大切にされることなど、ないと思っていたから。
スグリがかれを想って、それで自分から居なくなることを選択したように、かれはスグリを好きだから優しくしてくれた。たくさんをくれた。

それに応えるためにスグリに出来ることは、シルヴァのそばで、かれになにかを与えることだと思う。かれがくれたように、やさしさやあたたかさや、かれの知らないことを、たくさん。

「…?」

もぞ、と動いたシルヴァの腕が、スグリを探してさまよった。花冠はあと、飾りにひとつ花を挿して出来あがりである。スグリは少しためらって、花瓶のなかのあの白い花を手にとった。婚礼の花束のことを思い出す。結局渡せなかった祝福のかわりに、あの夜の出来事があたらしく生まれる夫婦にとってよい方向に働くように、スグリはしばし祈った。
いつもこの花が活けられていた花瓶が空になる。…あとで、今度は一緒にあの花畑にいこう。はじまりの場所に。そんなことを思いながら、スグリは寝ぼけているらしいシルヴァの名を呼んだ。

「シルヴァ」

そっとかれの手を握ると、なにかを呟いたシルヴァが身体を起こす。それからスグリの身体をぎゅっと抱き寄せた。ひどく大切なものの形をそっと確かめるように、スグリの肩や腕を、髪や頬をやさしく撫でる。スグリはそれが心地よくて目を細めながら、かれの背中に回した腕をこっそりと移動させた。かれの頭に、出来たばかりの花冠を乗せる。やはりかれの赤い髪に、白い花はよく映えた。

「…」

スグリから身体を離したシルヴァが、自分が何をされたのか気付いて目を細めて笑う。それから寝台のうえから身体を起こし、スグリの輪郭をそっと撫でた。スグリは口元をゆるめると、自分からシルヴァの手を掴んで立ちあがる。ぐらりと眩暈がしたけれど、かれの手をしっかり掴んでいたから大丈夫だった。

「スグリ」

少し待って歩き出したシルヴァが、ちょっと笑いを含んだ声でスグリの腹を指差した。きょとんとして、それから初めてこの部屋で目覚めたとき、さいしょに思いっきり腹の音を響かせたことを思い出しておもわず笑ってしまう。頷けば、大事そうに花冠をスグリに手渡したシルヴァが食糧庫に引っ込んだ。スグリはおとなしく居間にいって、いつもどおり花冠を机に置いてから椅子に座る。どれくらいの時間が経ったのだろう。あの熊はどうなって、連れ去られた女たちはどうなったのだろう。気になっていることは沢山あった。

窓のそと、ムラはしんと静まりかえっていた。スグリは冷えた空気がさしこむそこに近寄って、そっと左右を窺う。早朝なせいか、鳥のさえずりすら聞こえなかった。まだ混乱の爪痕が色濃く残るそこを見ながら、クサギたちは無事にムラに戻れただろうかと心配になる。…クサギになにかあったら、姉が悲しむから。もうきっと会えない家族たちのことを思い、スグリは睫毛を伏せた。…寂しいけれど、それを後悔することは、もうない。スグリは自分が掴みたい手を、知っているから。

「スグリ」

簡単な朝食の用意を終えたらしいシルヴァが、机に湯気のたつスープや果物を潰したのを乗せたパンを置いて声を掛けてきた。スグリの薄い肩に、肘かけにかかっていたあたたかい掛布をかける。また数日間――体感で言うと、少なくとも二日間も目を覚まさなかった身であるのでスグリも黙ってそれを受け入れて、かれのむかいに座る。窓を閉め暖炉に薪を入れたシルヴァがそこに火を灯すのを、スグリは待った。

ふわりと室内が明るく、暖かくなる。スグリはもくもくとパンを咀嚼しながら、シルヴァをそっと窺った。視線に気付いたかれがその表情を笑み崩す。つられて笑ってしまってから、スグリは伝わらない言葉のかわりにかれの名を呼んだ。確かめるように、念を押すように。

「シルヴァ」

スグリの胸を溢れだした、かれへの思いは。押さえておけなくなったそれは、かれの名になって零れた。その声はかれに届き、かれは応えるようにスグリの名を呼んでくれる。それを、スグリは知っている。

「…スグリ」

それだけで、胸が一杯になった。ほかに言葉は必要ない。かれの傍で、スグリはこころのそこから安心をして生きていくことが出来るから。

薄く切ったパンを二枚、あとはスープをきちんと平らげて、ようやっとひとごこちがつく。アカネかアザミに会って話を聞きたい、とは思ったけれど、もうちょっとこのいつもどおりの朝の時間を過ごしたくて、口には出さないでおいた。かれの手が確かめるようにスグリの額に触れる。もう熱を持ってないそこに安心したように息を吐いて、掛布ごとスグリの肩を抱き寄せた。それからスグリに残っている意識を失う前の最後の記憶のように、そっと唇でスグリに触れる。額やほおに滑ったシルヴァの唇が擽ったくて身体を震わせると、シルヴァがちいさく笑った。

どちらともなく指を絡めて頬を寄せ、額を重ねて見つめ合う。なにかとても神聖な儀式のように、シルヴァがスグリに口づけた。それからそっと、けれど強く抱き寄せられると、シルヴァの腕のなかは毛布などよりずっとあたたかくて、もうこの居心地のいい場所から離れなくてもいいのだと思うと、スグリの胸はいっぱいになった。







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