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忍が料理をしている。珍しいなと思いながらそれと同時に、共演の女優に誘われていた呑み会に参加せずにまっすぐ帰ってきてよかった、と心から思っていた。呑み会とか言いながら合コンみたいなやつが多いし、ひどい時にはサシで呑まされることもある。そういうときに限って忍が料理を作ってラップかけてたりするわけで、俺は次こそ早く家に帰ってこようと思っていたわけだ。家に帰ってきてそこに忍がいるっていうのはなんとなくこそばゆいというかむずがゆい。もちろん嬉しいしちょっとしたしあわせを感じたりするわけだけど、やっぱりこういうふうに家族っぽいことをされると照れくささが先に立つ。

「ただいま。晩飯なに?」
「あ、おかえりりゅうたろ」

事務所に指定されたこのマンションらしい洒落たシステムキッチンに立つ忍は、そばに置いたコンポでCDを聞いていた。俺が出ているドラマの主題歌だ、と気付いてしまうと、この照れくささはさらに高まってしまうわけで。とんとん、と不器用なリズムでどうやら、あいつは人参を切っているらしかった。

「肉じゃがー」
「お。食えんの?」
「わかんね。最初に火の通りにくいもの煮込むんだろ?」

すでにむこうのほうではジャガイモが茹でられているらしかった。でもあれはどうみても粉吹き芋と呼ばれる類の料理だと思う。小学生の夏休みのころによくばあちゃんが作っていたあれだ。俺といっしょに俺のばあちゃんのところに泊まりにくることが多かった忍が、それを知らないはずはないんだけど。

「…あれ、俺の知ってる肉じゃがとちがう」
「俺の知ってる肉じゃがともちがう」

とりあえず鞄を放り投げ、手を洗ってキッチンに立った。どうみても完全に粉吹き芋である。ちゃんと玉ねぎやら豚肉も用意されているのに、なんでとりあえずジャガイモだけ茹でたんだろう。忍ぜってえ肉じゃがの作り方しらねえな。言いたいことはたくさんあったけど、なんとなく忍らしくて笑えたから、やめた。

「炒め物でもつくるか」
「え、龍太郎作ってくれんの?」
「お前はとりあえず芋なんとかしろ。あと醤油とって」
「懐かしいな、これ。よくお前のばあちゃんちで食べたよなー」

俺だってまともに料理作るのは高校の調理実習ぶりだってことを知っているはずなのに、忍は意に介した様子はなかった。ていうか今までもこいつはこんなレベルの料理スキルで飯を作ってたのか。なんにも疑いなく食べていた自分がちょっと恐ろしくなる。味は問題なかったはずなんだけど、たぶん忍が作りたかった料理とは別物を食べさせられていたに違いなかった。

「なんかこうやって二人で台所に立ってると新婚さんみたいじゃね?」
「馬鹿、新婚なら帰ってきたときには『ご飯にする?お風呂にする?それともわたし?』だろ」
「明日からやってやろうか、それ」
「もちろん飯で」
「ひどい!」

肩が重なるくらい近くで、そんな冗談を言う。こないだもまた俺の気なんか知らないで、こいつは俺だけなんだと言った。触れても抱きしめても、怖くないのは俺だけなんだと。あそこで勢いに任せて押し倒してしまえなかったのは、俺に度胸がないのと忍が相変わらず安心しきってへらへら笑っていたせいだ。くそ。

「ドラマ、見たぞ」
「…ああ、今週のな」
「マジで浮気しやがったのなお前…!マユミちゃんというものがありながら!」

三角関係のせつなさを歌う主題歌が、いまもテレビのついていないこの部屋に満ちている。確か初回か二回目、キスシーンのあった回でも似たようなことを忍に言われたのを思い出した。俺だって出来ることならあんな女優じゃなくてお前とキスしたい、なんてとてもじゃないけど俺は言えないし言わないし、忍はそんな俺のことなんてちっとも気付かずにかってに憤っている。何か知らないけど足を踏まれた。地味に痛い。

「ほんっと、お前ああいう役似合うよな…」
「ああいう役、って、どういう役だよ」
「清楚なお嬢様も妖艶な美女もころっとオトせちゃうようなイケメンの役ってことだよ!」

いわせんな嫌味か!と言いながら肩でどん、と俺にぶつかってきた忍のせいで、手元が狂って醤油が思いっきり多くフライパンに注がれた。これはぜったいしょっぱい。間違いなくしょっぱい。

「しあわせにする、愛してるよ」
「っひ…!だから、耳元でそういうことすんのやめろ!」

仕返しにドラマのセリフを、収録の時より感情を込めて囁いてやる。ぞわっとなったみたいで肩をすぼめながら、忍はぎゃんぎゃんと喚いた。ト書きどおりに低く色気のある声を出してやったのに、愛する幼馴染さまは不服だったらしい。

悪ふざけでなく言えたなら、愛してると真正面から伝えられたら、それをこいつが受け取ってくれるなら、きっと世界中の誰よりしあわせにしてやるのに。柄にもなくそんなロマンチックなことを思いながら、俺は菜箸で炒めた豚肉を取り上げた。胸の奥底の甘くて崩れそうな思いにふたをして、かわりにその原因の名前を呼ぶ。

「忍」
「んー」

菜箸を差し向けると、忍はなんの疑いもなく口を開いた。たぶんしょっぱい炒め物をそのなかに入れて、俺は少しばかり感傷に耽る。俺の生活の八割以上は確実に芸能活動が占めているくせに、こうしてほんの僅か忍といっしょにいるだけで、それら全部の質量はかんたんに飛んでいってしまうのだ。ファンに申し訳ない、不真面目な芸能人だ、と自分で思いながら、けれど俺は俺でいるためにこいつを手放せそうにない。肉が熱かったらしく飛び跳ねている、この馬鹿丸出しの幼馴染を。

ずっと前から胸に抱えていた感情が重く積み重なって崩れそうになっても、きっと俺はそれを自分では伝えられないんだろうと思う。自分の苦しさなんて二の次にしてしまうくらいには俺はこいつのことが好きで、大事で、そして失いたくなくて。

「それしょっぱい!龍太郎、あーん」
「…ハートマークつけんな。マジで新婚みてえ」
「俺達熟年夫婦なのになー」
「うっせ」

口に放りこまれた芋は生煮えだった。なんかものすごく自分が可哀そうになったので、あとで忍を殴ろうと思う。








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