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融解パラドクス



たまたま偶然、コピー室に引っ張りこまれる悠里を見かけた。そろそろ最後の見回りという名の散歩をして風紀委員長としての役目を終わらせようかなと思っていたんだが、それを放っておくわけにもいかずに開いたままの扉を死角になる位置から覗きこむことにする。

悠里がその実ひどく真面目で、面倒な仕事は率先して自分が引き受けてしまうという損くさい性格をしていることは知っていた。しかもこの学園でのあいつの演目は完璧な生徒会長である。出来ないことがあるなんて、その立ち居振る舞いからはパッと感じ取ることができない。ときどき笑ってしまうようなミスをするのは他人の目がないとき限定なあたり、プロ根性ってすげえなって思うね。で、多分これは、笑えないほうのミスだ。

「…あとは俺が届けておく」

両手に抱えていた書類は、たぶんそうとでもいって生徒会の仲間たちを一足先に返してしまったしるしに違いなかった。それはまだいい。そういった悠里の性格はとても好ましいものだ。だがしかし、悠里は相手を見極めるべきだと思う。前から思っていたんだけど。

「…何するんですか」

放課後の、静まり返ったちいさな部屋。困惑の色をすこしも孕んでいない悠里のそんな抑揚のない声がした。その触れてみたらわかる細っこい手首が掴みあげられ、壁に縫い止められている。態勢が変わったことで見えたその手の主はそのホストみたいなチャラい顔でにやりと笑う、スーツ姿の男である。もちろん見覚えがあったのは、あいつが去年の担任だったから。

「せっかくだ、コーヒーでも飲んで休んでけ」
「はいはいそこまで。それ以上はだーめ」

ホスト教師が印刷をかけていたらしいコピー機がごうんごうんと鳴いているその現場に踏み込んで、俺は悠里の肩を抱いて引き寄せた。掴まれたまんまの細い手首を奪い返すと、悠里がぽかんと俺の顔を見る。その顔がホスト教師に見られるまえに悠里を背中の後ろにかばって、今度の課題を何食わぬ顔でたくさん刷っているそいつをちらっとみた。生徒に手を出してるらしいとか(いろんな意味で)悪い噂は聞いたことがあるけれど、対象はちいさくてきゃんきゃん姦しいやつらばかりだった気がしている。

でもなんか悠里はこいつの好みな気がするね。こういう男はふだんスカしてるやつを屈服させるのが好きそうだ。実際それを悠里にやったらわけがわからなくなって素で取り乱すんだろうなあとちょっと微笑ましく思いながら、俺は悠里の手を取った。本気で筋肉のついていない手首(まだ悠里のほんとうを知る前、よくこの手で喧嘩できるなと思ったもんだ)に痛みなんて残さないように、やんわりと掴む。

「そこの不良、宿題出せよ」
「気が乗ったらね」

ゆるゆる口元を緩めながら、ホスト教師は仏頂面を取り繕っているだろう悠里を見て満足そうに笑う。ますます危ねえ。さっそく俺のなかのブラックリスト入りした不良教師に背を向けて、俺はさっさと悠里の手首を引っ張ってコピー室を出た。

「気をつけないとダメだろ」
「完全にマニュアル通りの行動だった…」

俺の忠告なんて聞かずにちょっと感動している悠里はなんていうか相変わらずだ。今貞操の危機だったことなんて多分絶対全然気づいていない。そしてマニュアルはこんな事まで載ってんのか。すげえ。

なんとなくそのまま、あわよくば屋上にある俺の根城でちょっと暇潰ししていかないかななんて下心込みで手を引いた。悠里は階段を登りながら、やっぱりマニュアルは読み込んでおかないとななんていっているのが笑える。悠里にはやっぱり、こういう大事なところが抜けたままでいてほしい。

「今度あいつにまた絡まれたらどうすんの」
「柊にフラグ立ててもらう…」

柊ちゃんは柊ちゃんのやり方で悠里のその屈託のなさを守っているらしかった。俺の把握してるかぎりでも柊ちゃんが建設したフラグは他学年はおろか教職員にまで及んでいる訳で。あの子は先の一件以来ますます強くなったみたいだから危険もないだろう。

「俺を呼んでくれてもいいのに」
「お前は呼んだらホントに来そうで怖いんだよ」

屋上まで来ると、空は赤らんでいた。悠里がフェンスの方まで寄っていくのを、俺はなんとなく見つめている。全くもって、ほんとうに無防備だ。氷の生徒会長の仮面を被っていないときの悠里はやわらかいその本質を剥き出しで晒している。だからこそ、それに素手で触れて暴いてしまおうという気になれないのかもしれなかった。自覚ずくでやっているんだってんなら悠里はかなりひどいやつである。

「…隙だらけ」

後ろまで歩いていっても身構えもしない悠里にすこし悪戯心が沸いて、するりと背中を撫でてみる。やっぱり腰細ぇとか背骨浮いてんじゃねえのとか言いたいことはあったけれど、悠里がやめろよなーとか言いながら擽ったそうに身体を竦めたのでそんな気も失せた。あ、いまの俺達すげえふつうの高校生みたい、なんて思いながら、俺もその隣に並んでぼんやり見飽きた校庭なんて見下ろしたりして。なんていうか、悠里は俺に慣れたし、俺もこんなふうな悠里に慣れたような、そんな気がしている。そんでもって俺はそれがすげえ嬉しいもんだから、たぶんだいぶ手遅れだ。








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