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夜が更けぬ黄昏のうちから、儀式は始まった。煌々と焚かれた篝火の周りに集まった人間の数は思ったよりもそう多くなかった。一同に会したムラの人数は、スグリたちのムラと同じくらいしかいないらしい。年配の人や昨日の怪我人は家にいるのだろうと考えるとたしかにこちらのほうが人は多いけれど、やはり今日は若者たちのための儀式らしかった。

昨日の大きな熊の毛皮が広げられている。長老が座る場所になるらしいその毛皮はすごく、すごく大きい。熊の恐ろしさを思い知ったような気がした。

急だったので血抜きが甘い、とかとなりでアカネがもっともらしい文句をつけているのを笑いながら眺め、スグリは出番まで待っていることになった集会場の入口のところに座ってアカネと他愛のない話に花を咲かせている。ふたりの出番は最後だった。それまでは長老らしい老人の話や、花嫁たちを前にしたアザミの言葉が続いている。

シルヴァには、会っていない。もしかしたらかれは自分が儀式を手伝っていると知らないのではないか、とスグリはすこし不安に思ったけれど、かれの姿が見あたらなかったから諦めた。正直なところ、かれと顔を合わせて平静を保つ自信が、スグリにはない。だからもしできるのなら、叶うのなら、このまま別れてもう会わずにムラを出るつもりだった。薄情だと思うだろうか。思うだろう。仕方がなかった。どうせもう会わない。嫌われてしまったほうが、気が楽だ。…虚勢を張る。

「どのくらいが残るのかな」
「結構残るみたいだよ。帰るのは、むこうに旦那がいる何人か」
「そっか」

やはり最後までムラに帰りたがっていたあの新婚の女は戻るのだろう。姿が見えない。他にも何人か若い妻たちは、やはり夫を裏切ることが出来なかったようだ。スグリと同じである。…家族を裏切ることは、できない。たとえそれが、自分のしあわせを殺すことであっても。

心を殺せば、楽になる。スグリはそう決心をした。考えるだけ、つらい。もう決めたのだ、スグリはここには残らない。残れないのだから。

「…」

日が傾き、夜が近づいてくる。暗くなったムラを照らすのは、集会所の篝火だけだった。いやおうなしにあの晩を思い出す。あの満月の夜から、月は二度廻った。

しあわせな夢を見ていた。

そう思えば、楽になれるような気がした。スグリは重い冠を乗せた頭で、そう信じることにする。夢は、醒めなければならない。

「まだかな」
「もうちょっとだよ、きっと」

退屈してしまったらしいアカネがもうちょっとってどれくらい?と子供らしいことを聞いてくるので微笑ましい。もうちょっと暗くなったら、と曖昧に返して、若者たちの踊りが始まったらしいほうをちらりと見る。ああやって踊る輪に、いつもスグリはいないのだ。見ているだけ。それを、つらく眺めているだけ。あのときと同じだ。

また、スグリは大切なものが離れてしまうのを感じている。

「スグリ?」

ふいに声を掛けられ、スグリの身体はびくんと跳ねあがった。低く優しい、男の声。よく知ったそれに、心臓が煩いくらいに鳴り始める。シルヴァだった。儀式を行っているほうから来た、というわけではなさそうだ。かれはスグリの重い冠をつけた頭に手を添えてそっと上向かせる。目が合った。

そこにある表情は、たしかに安堵だった。見つけられてよかった、という類のそれが見てとれる。ぎり、と心臓が痛くなって、スグリは慌てて顔を背けた。これ以上やさしくされると、大事にされると、たぶんスグリは壊れてしまう。ほんとうはシルヴァのそばにいたい帰りたくない、そればかり考えて、頭がパンクしてしまう。

スグリから手を離したシルヴァが、アカネと何かを話している。スグリには聞きとれない。かれのこえは、困惑を孕んでいるようにスグリには聞こえた。やはり説明をしておくべきだったろうか。きゅうにスグリが居なくなって、きっと心配してくれたのだ。

―――会ってしまった。会いたくなかったのに。探してくれていたのだろうか。見つかりたく、なかった。もうかれが名前を呼ぶのを、やさしくスグリの名をよぶのを、聞きたくなかった。もう聞けないと思うと目の前がかすむ。なにも言わないでかれの傍を離れるじぶんが、とてもいやになる。

いやになる。シルヴァのことも、アカネにも明日にはこのムラを去ることを黙っている自分が、いやになる。そのあとかれらがどう思うのか、わからないわけではないから腹が立つ。臆病な自分に、腹が立つ。

「…出番までには戻るから!」

スグリは、また臆病な手段を使った。アカネにそういって、儀式の舞台とは真逆のほうへと走り出す。冠も服も重かったけれど、不思議と気にならなかった。もともと今日はムラがいつもよりずっと暗いから、すぐに夜の闇に紛れてしまえる。満月の灯りから逃れるようにムラを走ったら、自分が思ったよりこのムラの構造を知らないことに気がついた。

いつも、シルヴァといっしょだったから。それにまざまざと気付いて、スグリはどうしようもなくなって立ち竦んだ。我武者羅に走ったら知らない家ばかりがあるほうに入ってしまった。集会場がどっちだったか、シルヴァの家がどこに位置しているのか、なにもわからない。おまけに暗いから、はっきりしているのは儀式をしている篝火だけになってしまった。スグリの足は自然とそちらに向かう。

見たかった。…立ちたかった場所を、受けたかった祝福を、祝福を与える側になるまえに、この眼で見ておきたかった。











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