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忍は寝汚い。何処でも寝る。ひどい時だとクラス会の途中のカラオケとかでも平気で寝る。だからもちろん、気の置けない幼馴染の家などすべてにおいてベッドになり得るのだった。なんとなく最近の話をしながら酒を呑んでいたせいもあり、今日は特にどろどろに寝こけている。フローリングで腹を出して寝ている忍を見下ろしながら、俺はひっそりとため息をついた。
平均身長よりちょっと低いくらいの忍を持ち上げることは、あまり難しくない。筋肉もほとんどないけどぜい肉もない忍は軽いのだ。ぐだりと弛緩した身体を抱え上げ、ソファへと運ぶ。タオルケットをかけてやると、寒かったらしい忍はぎゅっとそれを抱きしめていた。
そのそばに座りながら、俺はゆっくりと秒針を進める時計を見る。日付が変わろうとしていた。あまり酔うほうじゃない俺でもすこしくらくらしているから、明日のこいつは見ものだと思う。明日はスタジオ入りがいつもより遅いからそれを見ていられるだけの余裕はありそうだ。
人の気なんて知らないで愛してるだかダーリンだかぽんぽん口に出してくるこの幼馴染が、憎たらしく愛しくもある。淡くしあわせそうな寝顔に影を散らす髪を指先で掻き分け、すうすう寝息を零す唇を親指でなぞった。
こいつと幼馴染を二十年以上やってるといい加減耐性だってついてくる。隙だらけってか隙しかないのは昔からだし、変な奴に好かれるのだって今に始まったことじゃない。高校時代はこいつにストーカーまがいのことをする変態サラリーマンを引き剥がすのに随分苦労したもんだ。最近はさすがにそういうこともないみたいだけど、俺の心配は尽きない。
「…忍」
「んあ…」
耳元で囁くと、微妙な返事が返ってきた。女の子にやれば漏れなく陥落するようなエロい声でもこれだ。俺ってすごく可哀そうなんじゃないかと最近よく思う。まさか共演して俺にキャーキャーいってるアイドルたちも、高木龍一郎が自分のグラビアを見てかわいいかわいいとはしゃいでいる馬鹿に長年片想いしているとは思わないだろう。
「俺さ、今日お前が好きって言ってた歌手に告られた」
「…」
「ガチだってさ。友達からでもって」
頬に俺の髪が触れたのか、くすぐったそうに忍の眉間にうすく皺が浮く。いやいやするように首を振って、忍は狭いソファの上でちいさく丸くなった。
「でも、駄目なんだよ」
俺は、お前じゃなきゃ。お前じゃなきゃだめなんだ。俺がひっきりなしに女子に騒がれているのを見てぜんぜん羨ましくなさそうにうらやましいやつ、と言っていたお前じゃなきゃ。バレンタインとか山ほど貰ってる俺に本気でいやそうな顔するくせにチョコやるっていったら途端に笑顔になるお前でないと。インハイ最終予選のとき、前の日喧嘩してどうせ女の子一杯見に来るんだから俺行かないからな!とか言ってたくせにちゃっかり端っこで見ててくれたお前じゃないと、少しだって好きだとは思わないんだ。口には出せない想いばかり膨れ上がって、俺はひとつため息をつく。
「…りゅーたろ」
もうひとつ寝返りを打った忍が、酒のせいで潤んだ瞳で俺を緩慢に見ていた。普段の猿みたいに元気な様子とあんまりにギャップがあったせいで、俺は言葉に詰まる。
「……何」
「なんか、あった?」
あわく濡れた唇の間から、赤い舌がひらめく。横たわる二十数年の信頼を踏み壊してしまうと分かっているのに思わずキスをしてしまいそうになって、俺は慌てて酒のせいで綻んだ理性を怒鳴った。伸びてきた忍の手が、俺の後ろ髪をくしゃりと撫でる。
「…、明日、きいてやるから」
「……いらねーし。聞いてほしくねーし」
「かわいくねーやつ…」
いつだってこうだ。こいつはこうして、俺に触れて笑いかけることで、いっそ壊れるくらいにひどくしてしまいたいと思う俺の凝った感情を押し込める。俺に対する信頼とこれ以上ないくらいに安心してる態度でもって、それを失いかける俺を押しとどめる。残酷だった。
「俺さー…、ずっとりゅうたろに助けてもらってばっかだろ?だからさ、なんかあったら、次は俺がおまえのこと助けるって決めてるんだー…」
酔ってまともに思考をする余裕すらないらしい忍が、へにゃりと油断しきった笑顔になる。俺の頬をべたべたと触り、それに満足したように蕩けるような笑みを零し、また緩慢に瞼を伏せる。俺の頬から零れたてのひらをそっとソファの上に上げてやり、俺はこんどこそふかい眠りについたらしい忍の寝顔をじっと見下ろした。
ゆっくり息を吐いて、それは情けなく震えていたんだが、俺は屈んで忍にキスをする。今ほど理性が強靭じゃなかったころ、忍にバレるんじゃないかのスレスレで何度もしていたのと同じように。忍がまだ眠りの淵にいるのを確かめて、ほどけたキスをもう一度重ねる。何度繰り返しても、俺の胸を満たすのは満足感ではなかった。