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守られることが、当然だった。
だから、守りたいと、そう願った。幾度も、願っていた。

「凪さま…?」
「下がってくれ。…ひとりになりたい」

メイドたちが頭を下げ、勢いよく部屋を出ていく。それを確認してから、凪は大きくため息をついてひとり掛けのソファに腰かけた。豪華な調度品に溢れたこの自室に、ほかに人気はない。

うつくしい城に、凪は住んでいる。生まれてからの二十数年間、この城以外を住としたことはない。将来はこの城も、この国もすべてかれのものになると決められている。小鳥たちが囀り木々が海風にざわめくが、凪にはそれらに耳を掛けるこころの余裕をもち合わせていなかった。

今日も忙しい一日になるはずだった。これから科学者との打ち合わせも入っている。ということを朝方大公から告げられたのだが、この分ではまともに進展をさせるのは無理だろうと凪は自嘲気味に判断をしている。磨き抜かれた窓ガラスに映るおのれの顔は、驚くほどに滑稽だった。

かれは肩甲骨にかかるほどまで伸ばされた混じりけのない黒の髪を片側で短く編み込んでいる。高貴の象徴とされたアメジストのいろをした瞳。造りものと見紛うほどにうつくしい顔立ちをしているかれだったが、いまは主観的に見ても情けなく泣き出しそうに歪んでいる。ぐしゃりと髪の毛を掴み、凪は深く深く嘆息をした。

かれはこの城の殿下である。父である皇帝が崩御すればその日のうちにその位につくことが定められた、生まれついての皇子であった。今は軍部を委ねられ、大公や騎士団に補佐されながらも新たな路線を切り開こうと暗中模索をしているさなかである。

かれのこころは揺れ続けている。これが正しいのか、過ちなのか、知りたくて聞けず、頼りたくて出来なかった。

幾度、幾度かたわらにかれがいてくれたらと、思ったことだろう!

「…ッ」

かれに伸ばすことすら出来なかった掌をじっと見つめ、凪は頭を抱えた。先ほど極秘裏に届けられた情報が、未だに耳にこびり付いている。他人の口からかれの名前を聞くのは何年ぶりだろうか。かれの姿を見ることができなくなって、すでに五年は経っている。そう、五年だ。凪とかれが共に過ごしたのも、たった五年程度だったというのに。

「…郁人たちが、この国に入っているようです」

先ほど会議のあとに凪が柄にもなく落ち着いた様子のなかった次期東の大公を呼びとめると、思っても見なかった答えが返ってきた。かれの名前は五年前のあの日からタブーとなっている。この国の重役である東の大公の息子が出奔をしたなど、たったふたりの少年に騎士団が追いつけなかったなど、あってはいけないことだった。

「…かれらは、どこに?」
「わかりません。…隣国から貿易商を偽って侵入してきたそうです」

それからのことは、あまり覚えていない。ようやく蓋をして、きれいな思い出というカテゴリに仕舞えそうになっていたあの五年間が鮮やかなままに凪のこころを支配した。良質の魔石がようやく手に入っただとか研究の進み具合だとか山の国との睨み合いだとか、それら全部を押し流すほどの質量を持ってだ。

それらはすべて、うつくしい思い出だった。うつくしく苦しい、切なく苦い、そんな思い出ばかりだった。新たに書き加えられることのないアルバムに過ぎないそれを、今も凪は胸のおくのおくに何重にも鍵を掛けて大切にしまいこんでいる。


「…凪はさ、皇子じゃなかったら何になりたかった?」

クラスメイトがいなくなったあとの教室で、窓のそとを眺めていた郁人がそんなことをいった。帝都学校で定められた五年間を終える卒業式までの日取りも少なく、また、かれの運命が決する東の大公の後継争いを間近に控えたある日のことである。かれは凪に、どちらかが勝ったらそちらが大公になるのだとだけ教えた。負けたら命を失う可能性があるなどとはひとつも零さなかった。後日、或人からそれを聞いた凪はひどくひどく驚いたのだけど−−−、どちらにせよその時凪は、かれは勝っても負けてもこの国の中央で、凪の近くで生きていくのだろうと思って疑わなかったのである。

「おれは、探偵になりたいんだ」

答えられずにいた凪を振り向いて笑った郁人の顔は穏やかだった。思わず息を呑んで見つめた親友の姿は、ひどく落ち着いている。僅かな違和感がなかったわけではない。かれは見た目に相反して良くしゃべったし良く悪戯をしかけたが、ここ数日は驚くほど大人しかった。卒業を前にしてようやく大公候補の自覚が出てきたのか、なんて教師は安心していたのだけれど、今となってようやく凪はそれがまったく別の決意を固めた静謐さであったのだと気付くことができる。

「それじゃ、また」

あの時どうして、何も答えられなかったのだろうと凪は未だに思っている。いつもどおり護衛を要らないと断った凪の安全のために城の前まで送り届けてくれた郁人の表情は穏やかだった。いつもと変わらない様子で。いいや、かれはいつも、またあした、と凪に言っていたから覚悟は固めていたんだろうけれど。

凪のなかで郁人はいつも、凪に背中を向けている。そして立ち竦んだままの凪のまえを、躊躇いなく駆けてゆくのだ。手の届かない場所まで。


帝都にある学校はひとつしかないので、無論庶民の子供たちも通っている。それは騎士学校と同じだ。ただし少し違うのは、クラス分けが身分によってなされていることだろう。皇子である凪や大公家の息子である郁人、そしてほかの貴族の息子たちと、一般家庭の子。そのクラスには越えられない壁があった。だがどのような場合においても、どの人間もどうにかして凪と接触を持とうと躍起になって生活をしていたのは、確かだ。昼食を取りに行けば貴族の子らが名前と家を覚えてもらおうと群がり、少女たちは一様に凪の気を引こうとした。それはなにも全てがかれの身分によるものではなく、ほんとうはかれと友達になりたかった者、かれのきれいなかんばせに興味を持ったもの、とさらに細分化されているのだがどちらにせよ、凪はそれらに疲れ果てていたのだ。

もしかしたら、物語のなかで出てくるように、ともだちというものが、出来るのかもしれない。そんなことを凪は夢見ていた。他愛のない話で笑い合い、お互いのことを対等と思える相手に、出会えるのではないかと。

「東の大公の息子には会ったかい?」

そして入学してから日に日に無表情になっていった凪へそんなふうに言って来たのは、父親であったように思う。民を導き国を守る父は偉大だった。父は父のまま、父として凪に接してくれたからだ。つまらなさそうに学校へいく息子に何を思ったのかそう告げて、父は息子にその名を教えてくれた。

その名は、須王院郁人、と言った。



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