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「…それで、どうなったんだ?」

古ぼけたピアノのある第二音楽室、中央にて。そばにあるクッションの山に埋もれている悠里に、柊は声をかけた。なんとなくこの場所からは足も遠ざかっていたけれど、学校祭が近付いてきて雰囲気を普段と変えている学園で柊と悠里が人目を気にせず会える場所といえばここくらいしかない。そういうわけもあって、ふたりは自然とまたここで集まるようになっていた。購買で買ってきたペットボトルやら菓子の袋を散らかして、珍しく悠里も仕事のない放課後を満喫している。

「……お前のとこは何やるんだよ」

柊の指が鍵盤を滑る。紡ぎ出す音楽は耳馴染みのあるモーツァルトのクラシックで、悠里も音色に誘われてかクッションの上で寝返りを打った。ずれた眼鏡のむこうから、悠里がこっちを見返している。

「笑うなよ」
「うん」
「西遊記」
「ぷっ」

一瞬で禁箍を嵌めて如意棒を振りまわしている柊を想像したらしい悠里が噴き出すと、ピアノの音色は途切れぬままにすこん、と空のペットボトルを投げつけられた。柊はきれいなのに動作やなんかが粗暴だし喧嘩だって強いから、きっと孫悟空が似合うに違いない。悠里はそう思っている。うきーとかいってくれないかな、きっとかわいい、と、柊に知られたらグーで殴られるようなことも考えたのは秘密だ。

「ちなみに俺は三蔵だからな」
「ええっ!?なんでだよ!普通に考えて孫悟空だろ!」
「なにが普通に考えてだ!」

ついに月光を奏でる手を止めて寝っ転がったままの悠里に近寄った柊が、足先から靴を蹴っ飛ばして悠里の背中をぐりぐり踏みつける。もちろん加減はしているから悠里に痛みはなかったけれど、憤懣やるかたないといったかれの様子はますますかれの笑いを誘ったらしかった。

「守られる柊って想像できないな。脚本そのまま?」
「…、いや、ちょっと弄るらしい」

過去、かれに守られた(と思っている)身としてはなんとなく笑ってしまうようなことをいって、悠里はあのやわらかくやさしい笑みで柊に尋ねた。正直その「ちょっと」が一番心配であるのだけれどクラスメイトたちにあれだけにこにこと主役級を推されては断りようもない。守られる役、というのはたしかに癪ではあったのだけれど別にクラスに意中の相手が――すなわち悠里がいるわけでもないのだから、妥協してやることにしたのだ。

「俺んとこも、脚本はけっこう変えるらしくてさ」
「だから、悠里んとこは結局なんなんだよ?」

あわあわと悠里の口元がほころぶ。けれど一向に言葉を吐き出そうとしないので、柊は悠里の上から足を退けて隣にどかりと胡坐をかいた。掌がおずおずと伸びてくるのを、取ってぽんぽんと叩く。こんな些細な触れ合いにすら胸が高鳴るのだから自分も相当だ、と柊は常々思っていた。きゅ、と形よく切り揃えられた悠里のまめさを示している爪が柊の手の甲を痛みを生まない力で引っ掻き、そして。

「……め」
「?」
「人魚姫…」

さっきの悠里なんてめじゃないくらいに盛大に噴き出した柊に、悠里は怒ったようにそっぽを向いて丸くなった。けれどしばらくげらげら柊が笑っているから、ついにクッションの山から起き出して柊の膝をべしんと叩く。

「劇でどうやって人魚姫やんだよ?」
「俺が知るかよ!脚本は変えるっていってたけど…」

む、と唇を尖らせた悠里は無防備この上なくて、笑いすぎて浮かべた涙を拭いながら柊はその額をひとつ弾く。眼鏡のガラスの向こうで、悠里の瞳がまんまるく見開かれた。

「…人魚姫?」
「……人魚姫」

その柊の、先ほどまでピアノを奏でていた指が指したのは悠里の胸。ゆっくり、不承不承といったふうに頷いた悠里の顔はものすごく複雑そうだった。

「――あー、あれか。お前のクラス。あいついるのか、雅臣」
「そう。俺がゴネたら、悠里は俺がドレス着てるの見て真顔で演技出来るの?とか言うんだぜあいつ…」
「ぶっ」

想像したらしい柊がまた噴き出す。それを雅臣に言われたあと、悠里はたっぷり三十秒沈黙してから降参したのだった。正直そんな腹筋の強さは悠里にはない。そして今のかれを見る限り、鍛えられた柊でも無理そうだ。

「…、お前は、俺がドレス着てるのを見ても真顔で演技出来るのか?」

さっきクラスで、悠里は思わず素に戻って聞いてしまった。たぶんそれに気付いたのは雅臣だけだっただろうけれど、かれはそりゃあもう黄色い声担当のクラスの小動物系男子達をぽわわんとさせてしまうようないい笑顔で着ぐるみ着てたって大丈夫だぜ、なんて言っている。ばかだと心底悠里は思ったのだけれど、氷の生徒会長の立場からふっと呆れたように肩を竦めることしか出来なかった。それでまたクラスが沸いて、うっかり人魚姫を――まごうことなき主役の座を受諾してしまったわけである。

「…でも、さ」
「ん?」

なんだか柊にあれだけ爆笑されると、まあここは男子校であるわけだし悠里は立派な男子だしそれは当然な反応なわけだが――、わりとどうでもよくなった。やはりまっとうな反応を返してくれる相手がいることはたいへんありがたいと思う。お前なら似合うよ!とか言われたら立ち直れないところだった。

「…悠里お前、全校生徒の前で劇の主役とか出来んの」
「……俺もそれが心配なんだよな…。スピーチですら足がくがくすんのに」

そしてかれが返してくれたのは、悠里が心配していることそのものずばりだった。氷の生徒会長が苦手とするのは、期待と注目である。それらが選り固まったような今回の劇は、練習が始まるまえから波乱含みの予感をさせていた。

「柊は?平気?」
「俺は緊張しねえタイプだから」
「う、うらやましい…」

心底、といったふうに悠里が突っ伏す。しかしどうやって学校の劇で人魚姫なんぞというどう考えてもド派手な舞台装置が必要な劇をするのか、そして悠里に女装は似合うのかどうなのか、柊は悠里には悪いけれどすこし楽しみだった。









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