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Beyond Good and Evil 2





詠唱を終えたあいつの足元にどでかい魔法陣が出現して、そこから飛び出た数え切れないくらいの光の帯がその身体を貫いても、魔王は死ななかった。まだ生きて、その玉座に凭れて荒い息をしている。対してあいつのほうは、魔法陣が消滅するのと同時に崩れ落ちて俺に抱きとめられていた。何か言おうと唇を震わせて、結局俺の名ひとつ呼べないままに最期の息がその唇を溢れて融ける。

あいつは、そうして何にも遺さずに死んでいた。

完全に無駄死にだ。笑わせる。そっと横たえたあいつのそばから立ち上がり、俺は苦痛に呻く魔王にゆっくりと歩み寄った。幾度となくあいつの危機を切り開き、道を作ってきた剣を抜く。

ただあいつを死なせるために振ってきた剣を、抜く。

「なんで、」

なんでだ。どうして。気付いてやれなかった。止めなかった。ばかだ。力づくでも繋ぎとめて、誰も知らないような場所に閉じ込めればよかった。お前が死んだって魔王は倒せないって、そうやって言ってやればよかった。

何も考えられないまま憎しみのままに魔王の心臓を貫こうとする。その邪悪げな瞳が、俺とあいつを交互に見た。そして俺の剣の切っ先が急所を貫くその刹那、そいつは口を開く。

「―――悔やむのか?人間」

あいつが命を賭して放った魔法で立ち上がることすらままならなくなっていたが、魔王は生きていた。相討ちにすらならなかった、なら、ならあいつが死ぬ必要は本当にあったのか?俺がもっと強ければ、単身で魔王と渡り合えるくらいに強かったなら。

「悔やむなら、やり直せばいい」

魔王は笑う。思わず手が止まった。甘言とわかっていたけれど、罠かもしれなかったけれど、それに惑わされる俺を叱咤してくれるあいつはもういないから。

「―――どうやって?」

俺は、そんなことを聞いている。簡単なことだ、と魔王は言った。願えばいい。たかだか時間を一年ばかり巻き戻す程度、容易いのだと。

「ひとの手に殺されてやるのも癪だ。貴様はこの一年をやりなおしたい。我らの利害は一致している」

咽喉が鳴る。背後を振り返る。穏やかな死に顔を晒すあいつがいる。俺が守ってやった、あいつの死体が転がっている。あいつを死なせるためだけにこの腹立たしい魔王の猛攻を凌ぎきった俺がなにをしているんだろうと何度自問自答したかも知らず、ひとり安らかに死んでやがる。夜が明ければ泣くこともなく、俺に縋ることもなく、あいつはきれいに笑っていた。なんだ俺達両想いだったんだな、なんて。今からそいつの目の前で死にますってちっとも思っていないような、晴れやかな笑顔でだ。

「この一年は、どうなる?」
「再構築の対象になるのだろうな。貴様が一年前の世界に戻るだけのこと。自爆めいた黒魔導さえ使われなければ、我は人になど遅れを取らぬ自信がある」
「―――確かに、お前に俺を騙すメリットはねえな」

つまりこの一年間の記憶を持つのは俺だけということになる。――不思議と魔王の言葉を疑う気になれなかったのは、本来こいつを向いていたはずの憎しみが無力な自分に向いていたからだろうか。それとも死にかけの魔王の笑みが、ひどく自信満々だったせいだろうか。

「時間を戻してくれ」

悩む時間はなかった。降って沸いた幸運に、俺は飛びついたのだ。

魔王が手を翳す。あいつの死体を振り返る。やっぱり死んでいる。守ってやるって、約束したんだけど。そういえばあの時からあいつは俺にあんな大事なことを隠していたのか、自分が死ぬと分かっていて俺と旅をしていたのか、と思うと、胸が潰れそうになる。――守ってやりたかった。今度こそ、どんな手を使ってでも。

光の奔流に呑まれ、俺が目を覚ますと、真っ白い天井だった。記憶を辿ると見覚えがある、これは、俺の部屋の天井だ。夢じゃない。頬を抓って確かめて、ついでにあいつの死に顔までしっかり覚えているのを確かめてすこし泣きたくなってから身体を起こした。みなしごの集まるこの教会の長い廊下を走る、だれか足音がする。

「――こ、この教会から、勇者が出たぞ!」

同時に俺の部屋の窓をぎいと音を立てて引きあける、よく知っただれかの気配。逆光で良く見えない顔を見ようとして立ち上がって寄っていくと、あいつが泣きそうな顔をしていることに気付いた。一年前は気付かなかったけれど、今の俺はよく分かる。それは、――死の恐怖をありありと映していた。

「…聞いたか?」
「聞いたよ、救世の勇者さま」

手を伸ばす。間抜けな顔をして俺を見上げたその身体を、――消えてしまった世界でも俺にたくさんをくれた最愛の馬鹿野郎の身体を、俺は息も出来ないくらいに掻き抱く。熱を持ったひとの身体だった。最期の夜、一晩中抱きしめていたそれだった。生きている。それに心底安堵をして、そして俺はひどく昏い決意をする。

「ひとりで行くつもりなら、俺を連れてけ。お前は弱っちいんだから、そこらへんの夜盗に殺されるのがオチだ」

抱きしめた耳朶にあのときと同じ言葉を吐いて、俺は状況を呑み込めていないあいつの身体を解放した。こいつにとっての昨日までこいつに対する想いをおくびにも出さなかった俺がいきなりそんなことをしてしかもそんなことを言ったもんだから、あいつは茫然と立ちつくしたまんまだ。その顔にもうあの恐怖が残っていないことに少し胸を撫でおろしながら、俺はこいつが状況を整理するまで、少し待った。

もう恐怖なんて感じなくていい、と伝えられないのは、すこし辛い。お前に黒魔導なんてもう二度と使わせない、と言ってしまいたくて、それを呑み込むのにとても苦労をした。次こそ何があっても守ってみせる。この非力な勇者を、――命を賭けたって魔王を倒せない愚かでいとおしい勇敢な男を、どんな災厄からも。たとえそれと引き換えに、この世が滅ぶとしても。

もしかしたらこれこそが魔王の思うつぼなのかもしれない。こいつがまず倒すべきは、俺なのかも。なんて思いながら、手の甲に泣いていたあいつが立てた爪の痕が残っているのに気付いて泣きたくなった。















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