てきすと のコピー | ナノ



Beyond Good and Evil





「…おまえ、俺が好きなのか」
「…うっせえ、何度も言わせんな」
「なんで、今日になっていうんだ」
「……俺なりのけじめだよ、分かれ」

まんまるく目を見開いたそいつは、それを聞くとわずかに唇をわらわせた。夜営地に選んだこの決戦の場のすぐ近くで、薪を挟んで座っている心臓が爆発しそうな俺のまえまで寄ってきて、鼻さきが触れ合うくらいまで顔を近づけてくる。

「キスをしたい?」
「…、したい」
「その先も?」
「……、っ」

その誘いに飛びついてしまわなかったのは、なにも俺の理性が強靭だったからじゃない。あいつが泣いていたからだ。そのきれいな目からぼとぼと涙を零して、ガキみたいに泣いていたからだ。

泣いているのだ。あれほど強い心の持ち主が、ボロボロ涙を流している。どんな時だって笑って俺に手を延べたあいつが、いまにも消えてしまいそうなくらい儚く泣いている。それはもう明らかに、俺の信じられないくらい純情じみた告白を聞いたせいだけではなかった。

「…お前のしたいようにしろ。全部やる」

そのまま力なく俺の身体に身体を預け、やつはそんなことをいう。決戦前夜の覚悟にしちゃちょっと上等すぎるんじゃねえのか、なんて軽口を勿論口に出来るはずもない。こいつの目はマジだった。すこしの冗談の挟む余地もそこにはない。俺はその肩を掴み、脳裏に星が散る勢いで額と額を打ち合わせた。驚いた顔をしたあいつの顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れている。それに気付いていないみたいに、あいつは平然とした顔を取りつくろおうとした。けれどそれに失敗したことに気付いたらしく、罰が悪そうに視線を泳がせる。

「…テメエ、俺に何を隠してる!」

俺の怒鳴り声に、あいつは甘んじて痛みを甘受するように目を伏せた。溢れだした涙がその唇を濡らしている。俺の胸を一杯にする良くない予感のことなんかまったく気にも留めていないように、あいつはことさら明るく笑った。

「いくら救世の勇者といえども、俺にも秘密を守秘する権利くらいある」
「…っざけんじゃねえぞ!」

濡れて震えた声でそんなことを言われても、俺の胸がしめつけられるだけだってのに。あいつは今度こそ顔をぐしゃぐしゃにして、俺の背中に痛いくらいしがみ付いた。

「…辛くならないように、お前しか連れて来なかったんだ。だいたいなんなんだ、護衛に選んだときはあんなにツンツンしていたくせに。俺が言いたいことくらい、いい加減分かれ」
「分かんねえよ!話せよ、全部吐け!じゃねえと分かるわけがねえだろうが!」

俺のほうまで涙声が混ざる。ただならぬ恐怖の気配に全身が総毛立つ。俺はあいつの身体を潰れてしまいそうなくらいに強く抱き、耐えることしか出来なかった。

「…俺は勇者なんだ。分かってくれ」
「…全部話せ。でないとこのまま離さない、明日になってもだ」
「俺は、勇者だ。お前の言う通り戦士にしちゃ弱い。魔法を使えるわけでもない。でも、勇者なんだ」

俺は知ってる。お前がどれだけ強い心を持ってるか、やさしいか、知ってる。あの時守ってくれたとき、握った手のあたたかさを。周りから孤立しがちだった俺をいつも連れ出してくれていた背中が、その笑顔がどれだけ俺のこころを震わせたかを、お前は知らないだろうけど。

「前、無茶をした俺を助けにきたお前が死にかけたことがあったな」

声はもう震えてはいなかった。俺に真実を告げる気になったらしい奴の言葉は、いまも幾度となく夢に見るあのときのことを話しだす。あの時、血相を変えたこいつが飛んできて泣きそうな顔で俺の手を握ったとき、どれだけ嬉しかったか。ほんとうは最初から、旅に出るずっと前から、俺はこいつのことが好きだったのだ。それをまざまざ自覚させられて、こいつに俺の見ていた世界を鮮やかな色彩に染められて、俺はしあわせだった。

「あの時お前の怪我を治したのが黒い光だったこと、覚えているか?お前は意識も朦朧としていたから、覚えていないかもしれないけど」

あいつの手が、きゅ、と膝を握りしめる。その手の甲にてのひらを重ねると、そこはすこし冷えていた。掌で包んで持ち上げて、暖かさを分け与えるように擦る。

「俺があれ以来魔法を使わなかったのはな、―――あれが黒魔導だからだ。俺の魔法の対価は、俺自身の命なんだ」

再び揺れた声が告げたとき、息が止まった。

「明日、俺は魔王と戦う。俺の持ってるすべての力を賭けて呪文を唱える。―――だから、お前はそれまで、俺を守ってくれ」

それが、約束だろう。そういって笑う。泣きながら、笑う。その唇が吐き出した。

それなのに。

「―――なんで告白なんてしたんだ。馬鹿なやつめ」

俺はこれ以上お前のことを好きにならないように、せいいっぱいだったのに。それもぜんぶ無駄になってしまった。おまえが馬鹿だからだ。咎める口調は涙で崩れてぼろぼろだった。

最初から好きだった。素直になれないだけで、俺が馬鹿だっただけで、ほんとうは。お前がたったひとり俺を選んでこの魔王の城までの旅に出るずっとまえから、お前のことがすごくすごく好きだった。この旅の間、その気持ちは膨れ上がるだけ膨れ上がってもう抑えておくことなんてとてもできないくらいの質量になっている。けれど言葉にするには、俺の咽喉は涙が詰まって不自由だった。

「…いやだ」

だからかわりに抱きしめる腕に力を込める。この存在を失うくらいだったら、世界の終わりまでじっと待っていたほうがずっといい。その瞬間までこいつをこうして抱いていたほうが、ずっとずっといい。

「―――そう言うなよ。俺は、あのときお前と出会えてよかったって心から思ってる。この旅をお前として、よかったと思ってる。お前がこの先生きていく世界を守るためなら、死んだっていいと思っている」

きつく閉じた両の瞳から、堪え切れず熱い涙が伝った。それに気付いたのかのろのろと腕を伸ばしたその手指が、俺の涙を拭う。俺がどんなときも掴めると思っていた、そのやさしい手指で。

「これからもお前と一緒に生きていたいなんて、これっぽっちも思ってない…」

そのまま俺の頭のうしろに回った手が、ぐいと俺を引く。重なった唇は涙の味しかしなかった。

「わかるだろう。俺がどれだけこの世界を救いたいと思ったか。この旅で、お前だって分かったはずだ。世界はこんなにもきれいだと」

涙の膜におおわれた瞳がやさしかった。きっとひどい顔をしている俺の頬をそっと撫でて、やつは笑う。きれいに。

「俺をひどい奴だと思ってくれて構わない。―――俺を愛しているのなら、止めないでくれ」

お前に引きとめられたら、きっと俺は迷ってしまうから。

何も言えないでいる俺の背中に腕を回し、俺の胸を涙で濡らすあいつは顔を上げようとはしなかった。色々なことを思い出す。出自のせいで謂れのない罵声をうけ、黙って事を収めようとしたとき、わざわざ俺の無実を叫んで事態をややこしくしたあいつの本気で怒った顔。ひとを疑うってことを知らねえんじゃねえのってくらいばか正直なあいつが騙されて薄暗い饐えた匂いのする路地裏に引っ張りこまれたとき、助けに入った俺をぽかんと見上げた間抜けな顔。俺が怪我をするたびに薬草で手当てをする、泣きそうな表情。耐えきれずに、その身体を強く強く抱きしめる。このまま融け合って俺の身体のなかにこいつを閉じ込めてしまえたら、なんて、そんなことを思うくらいに。

「…朝まで、こうしていてほしい」

すると腕のなかでのろのろと顔を上げたあいつは、そういってまた俺にキスをした。













人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -