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snowdrop





「起きろ!雪だ、雪!」

大声とそれから床が抜けるんじゃねえかっていう足音が、俺の意識をぬるま湯のような眠りのなかから力づくで叩き起こした。起きぬけのふわふわした頭で殺風景な自室に飛び込んできたものを認識するまでに、すこし時間がかかる。見慣れた亜麻色の頭が見えた。

わざわざ認識しなくたってこんなことをするのはあいつだけだから、寝ぼけた頭でその名前は理解をしているつもりだ。言うまでもなく、郁人である。なぜあいつが俺より先に起きているんだとかそういう疑問は浮かんだが、一先ず何かあったんだろうと上半身を布団の上へ起こした。

冬も深まり、俺達が最近まで住んでいた海の国よりもずっと冷え込みのつよいこの国に慣れないせいか、朝のこの寒さはなんともいえないつらさがあった。朝に弱いタイプではなかったけど布団から出たくないとしみじみ思う。…起きてきても布団を被ったままだったりする郁人がなぜか今俺の部屋にいるという事実に、今更ながらもういちど驚いた。

「目は覚めたか!」

そしてその郁人といえば、部屋へ飛び込んできた勢いのままに俺の腹あたりへ突っ込んできた。もちろん身構えてなんざいない俺のみぞおちに郁人の頭がクリーンヒットする。そのままの勢いであたたかいベッドに逆戻りをしたわけだが、これ、もし枕がなかったらたんこぶ出来てただろ。痛みと衝撃でさっきよりも確実に意識がはっきりとしてきた。

それでもってその原因は、ダイブした俺の上からもぞもぞと起き上がると、ぐっと俺の胸倉を掴んで再び俺の上半身を引き上げた。腹筋が攣りそうだ。平素よりほんのり上気させた顔で、郁人はぱあっと笑顔を浮かべている。鼻先がくっつきそうな距離でそれを眺めながら、俺はいったいなにがどうしたんだと訊きたくて訊けなかった。俺に口を挟ませる間もなく、郁人がテンションのやけに高い声で上機嫌に俺を急かしたからである。

「雪だぞ、雪!ほら早く!」

俺のシャツの襟を掴んだまま(もともと伸びきっているので心配はないが)、郁人は俺の上から退くと足早に部屋を後にした。引きづられるままの俺が、雪、というものについてまともに思考をするより先にまだじいさんが使っているんだろう小麦粉の袋が詰まれたままの自称探偵事務所の玄関まで辿りつく。慌ててサンダルを突っ掛けて、ドアノブに手をかけた郁人に声を掛けようとした。おいまてお前、どこへ行くつもりだ。

「…ッ」

だが俺が言いたかった言葉は、開かれた玄関の扉から流れ込んでくる身を刺すような冷たさにあっけなく呑みこまれた。冬の朝の冷え込みは、家のなかでさえかなりのものだ。それを寝起きのあたたかい体温でいきなり外気を浴びた俺は、息をするのもままならなくなる。

「積もってる!」

嬉しそうな郁人の声に、俺は辛うじて目の前で起こっている現象を視認した。同じようにサンダルをつっかけただけの郁人が、玄関から数歩飛び出してぐるぐると回転をしている。なんの遊びだ。

世界は、白くなっていた。

「…雪」

冷たい空気に、俺に通常の思考力がようやっと戻ってくる。雪だ。先ほどから郁人が連呼をしていたものと俺の知っているそれがイコールで結ばれた。森の国では冬になると、一面を雪が覆うらしい。暖かな気候の海の国、しかも殊更暑い山の国に近い東の街では雪は降らない。ただ話のなかで聞くそのまっしろい綿のようなつめたいものを、郁人が楽しみにしていたことを思い出していた。

「これが雪か」

と気付いた途端身体は素直なもので、寒さはあまり気にならなくなっている。俺は郁人に倣って玄関からそとへと出た。見渡す限りうっすらと雪が積もっている世界は、写真や映像のなかでしか見たことのないものである。今は雪は降っていないようだけど、足下から這いあがってくるような冷たさは確かにこれが実際の雪であることを感じさせた。

郁人のことだ。きっとどこからか雪が降るかもという話を聞いて、夜通し楽しみにしていたに違いない。そうして、目を覚まして、ごていねいに俺を起こして飛び出したのだ。…俺は郁人のそういうところを、たまらなく好きだなあと、思う。

「アルメリカから、そろそろ降りそうだと聞いていたんだ。…きれいだ、とても」

振り向いた郁人が、そういって微笑んだ。俺なんかよりずっと逃げ出した国への想いを持っている郁人は、無事にこの国で居場所を見つけて数カ月が経ったいまも前と全く同じ、っていうふうなわけではない。郁人さえいればどこでもいい俺とは、背負ってたものの重さが違う。でもその笑顔は、俺の良く知る郁人のそれだった。
それになんとなく安心をして、俺は郁人に歩み寄ってぐしゃぐしゃと頭を撫でる。寝癖のついた頭がもっとひどいことになったのを確認してから、郵便受けのうえに積もった雪を両手で掬ってみた。

じんわりと凍えるような冷たさだった。雪はじわじわと形を崩し俺の手の上でただの水になってしまったけれど、雪に触れたという感覚はひりつく手にしっかりと残っている。寒い。意識をすると剥き出しの足先から、じーんと冷えが這いあがってきた。

「もう少し積もったら、雪だるまをつくろう。でかいの」
「おー、いいな」
「…むかしはお前、写真で見る雪だるまにも怯えていたのにな。動き出しそうで怖いとかいって」
「いつの話してんだよ!」
「十年くらい前」

もう時効だろって話を持ち出されて、俺は頭を掻くしかない。それよりあんまりこんな格好であんまり長く外にいたら風邪をひいてしまうんじゃないかと思い当たって、さっさと郁人の腕を引っ張って玄関へ逆戻りをする。まだぼんやりと暗いくらいの時間だ、家の中がすごく暖かいような気になる。
ふと気になって時計を見たら、まだ鶏も起き出してねえだろうって時間で思わず笑っていた。やっぱり郁人は郁人だな、と思って自分で可笑しくなる。

「もう少し寝る」
「おう。寝とけ寝とけ」

冷えた手を擦り合わせながら自分の部屋へ戻る郁人を見送ってから、俺ももうひと眠りをすることにした。きっと次起きるときには俺のほうが先だ。…そうして目が覚めたら、ちいさい雪だるまを作っておいてやろうと思う。




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