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「この中に、止血でもいい、なにか怪我の治療が出来るひとは?」

アザミが恐らくはこのムラのことばとスグリたちのことばで二度、そう叫んでいる。身を竦ませていたスグリは、ふいに食糧庫に置いてある薬草の壺のことを思い出した。スグリたちのムラでは、狩りで怪我人が出るとあれを使って血を止め、塗り薬としていたのである。スグリはいつも、カンナがそれをするのを傍で見ているだけだった。けれどやれといわれて、出来ないことはない。…なにかしたい、と、その時スグリは強く思っていた。

「し、止血なら出来ます!集会所ですよね?」
「ええ、頼むわ!」

ほかにも何人か、スグリたちのムラの女が家に駆け戻っていくのが見えた。スグリも家へと駆け戻りながら、何度も背後を振り返る。運ばれてくる者、自力で歩いて来る者のなかに、シルヴァは見当たらなかった。

手頃な大きさの籠に薬草をありったけ詰めて、スグリは息を整える間もなく集会場へと戻る。人でごったがえしている集会場には、すでにさきほどまでアカネが舞っていた静寂はどこにもなかった。言葉の通じる人間は数えるほどしかいなかったが、薬を治療している人に配ってまわっているアカネを見つけて傍に寄る。

「アカネ、手が足りてないとこは?」
「新しく来た人!ひどいひとはあっちに回して、だって!」

集会場の端のほうでは、苦痛の呻きと数人がかりでの治療が行われている。比較的軽症の人間は入り口近くに固まっていた。血の匂いで咽返るそこにも、シルヴァの姿は見受けられなかった。一先ず運び込まれた若い男の傍に膝をついて、スグリは薬草の葉肉に切れ込みをいれる。溢れ出る液体を、傷口へと塗りこんだ。

比較的軽症だったその男には見覚えがある。…そう、あのカンナの婚礼の晩に、スグリを家の外に引きずり出した少年だ。年の頃はスグリと変わらないか、もっと下だろう。籠を解き蔦で薬草ごと腕を止血し、スグリは他に怪我はないかとかれの四肢を確認した。もう一か所、腕よりも大きな傷が足にある。

「…」

かれもスグリに見覚えがあったようで、痛みに脂汗を浮かべながら複雑そうな表情をしていた。こちらには大目に薬草を塗り込み、大腿部から縛って止血をする。それから止血のあと、カンナはなにをしていたっけ?考えて結局、寝かせたかれの足を高く保つくらいしか思いつかなかった。それでもおずおずと感謝の言葉が返されたから、スグリはひとつ頷いて頬を伝う汗を拭う。手についた血がついてしまったかもしれないが、構ってはいられなかった。周りの女たちはもっと忙しく立ち回っている。薬草が足りない、止血の道具がない、といったところに蔦や薬草を配ったり、新たな怪我人を二人手当したり、と、スグリは息つく間もなくめまぐるしく働いた。

しかし、それを最後にぱたりと運び込まれる人間がいなくなる。…手持無沙汰になったスグリは、シルヴァの姿を探して集会所のなかを回ってみたりしたけれど、かれを見つけることは出来なかった。

―――なにか、あったんだろうか。不安になって、スグリはほかに手当を待つ人がいないことを確認してからいてもたってもいられずに集会場を飛び出した。今度は躊躇いなく、窓枠を乗り越えて。

シルヴァに限って、と思うこころもある。まさか、と思うこころもまた、ある。アザミに聞くのが早いだろうともう一度門のところへ向かうつもりでいた。自然走り出す足はもつれているし息もぜいぜいと切れてひどい有様だったけれど、それでも身体は前に進んだ。きっとここでの暮らしは、すこしかもしれないがスグリの身体を丈夫にしている。

門のそばには、もう殆ど人は残っていなかった。アザミの背中と、それから見知った姿が見えてスグリは思わず長く安堵の息を吐く。

「シルヴァ!」

その後ろ姿は、まぎれもなくシルヴァだった。長い深紅の髪。掠れて枯れた声はそれでもかれに届いたようで、かれが振り返るのがわかる。

駆け寄ろうとして、スグリは思わずたたらを踏んだ。

「…スグリ」

血の雨を浴びたのではないだろうか、というほどに、かれの姿は朱一色に染まっている。背中だけでは気付かなかったが、かれの姿はまさしく凄惨という表現がぴったり当てはまるほどに血まみれだ。べったりと頬についた血糊に、赤く染まった手足。息が出来なくなるくらい驚いて、それでも一瞬の硬直のあとにスグリはかれのもとへと駆け寄っていた。

かれのまえまで辿りつく前に、いい加減限界だったらしい足がもつれて転びかける。あ、と思うよりまえに長い足で距離を詰めたシルヴァが、造作もなくスグリを抱え止めてくれた。腕に触れる、生温かく濡れた血の感覚。

「…あ、」

思わずその腕をてのひらでなぞったけれど、傷口らしいものは見当たらなかった。シルヴァがかすかに表情を崩して首を振ったから、スグリは長く息を吐く。ずるずると力が抜けてしまったのを、シルヴァが支えてくれた。立っていられなくてそれに甘んじながら、スグリはゆっくり首を廻らせる。大丈夫?とアザミが声を掛けてくれたので、ぜいぜいと喉を鳴らしながら何度も頷いた。

かれとアザミが囲んで見ていたのは、大きな熊の死体だった。生きていたらたぶんスグリはその場で動けなくなってしまうだろう、というくらいには大きな熊である。スグリがみたことがあるものの二周りは大きかった。ほかにも数人、見たところ無事そうな男たちがその周りを取り巻いている。

「シルヴァがしとめたんですって。…、今年のは大きいわ。去年はもうすこし小さかったのだけれど。…わたしは集会所を見て来るわね」

スグリにそう言ってから、アザミは恐らくは同じようなことをシルヴァたちにも言って、集会所へと歩き去っていった。なんとか息を整え、スグリはそっとシルヴァの腕を外す。

熊の腹には何本も大きな矢が刺さっていたが、致命傷は恐らく喉元を切り裂いた一撃だろう。そばには何本も折れた剣が転がっている。…恐ろしい、と思うのと、シルヴァが無事でよかった、というのがひたひた胸を浸すから、スグリはそれ以上何も出来ないで、そっと目を背けた。






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