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26



「…へえ。ちゃんと強くなってんじゃん」
「当たり前だろ」

なんとか立ちあがった虎次郎の仲間が必死に繰り出した拳を踏み台に、柊は軽やかに飛翔した。その頭を軽々と飛び越えて、身体を捻って虎次郎の間合いに肉迫する。叩きこまれた拳を掴み、避けて、隙が綻ぶのを待つ。そうするだけの余裕が、柊にはあった。

「理由が出来たんだ」

虎次郎も負けてはいない。かれは冷静に柊から間合いを取ると、加速をつけてかれへと迫った。振りかぶった拳でミスリードを誘い、空いた脇腹に足を叩きこもうとする。予備動作なしにそれを掴み止め、柊は楽しくなって咽喉の奥で笑った。これだから強い相手との喧嘩はたのしいのだ。

おまけに今日は、悠里がいる。かれがなにか大切なものを、見つけ出せている。だから柊は、ひどく機嫌がいい。

「へえ?」

あのふたりは、たぶん。とてもよく、似ているのだ、と思う。なんだかふたりの戦いはとても楽しそうで、悠里はちょっとうらやましくなってしまった。なにやら会話をしながら本気で殴り合っているところは、その物騒さと裏腹に久々に会った旧友と親交を深めている、といった感じすら覚える。

「ちぇっ、こっちだったか」

背後から足音がした。悠里が振り返れば、そこには雅臣が立っている。首を傾げると、多分攪乱だと思うけど情報がふたつ入ってきた、ということを教えてくれた。それで柊と雅臣が別れて悠里を探してくれていたらしい。

「なんかされた?」
「なにも。大丈夫だ」
「そっか。よかった」

手負いのかれと虎次郎がぶち当らなくてよかった、と内心で思いながら、悠里はかるく頷いた。柊と虎次郎のほうに視線をやっていたら、頭上でたからかにぱちん!という音がして驚いて振り返る。

「……」
「……」

どうやら悠里の肩か頭か、に触れようとしたらしい雅臣の手が、リオンにがっちりと掴まれているのを悠里は見てしまった。ふたりのあいだに静かに火花が散っているのも。…仲が悪い、というのはなんとなくわかっていたけれど、こんな現場を見るのは初めてだ。

「この方に触るな」
「おー、怖い怖い」

悠里がきょとん、としていることに気付いたのか、リオンが慌てたように雅臣の手をぽい捨てした。丁寧に手を服で拭いてから、何でもありません!ときらきらの笑顔で言ってくれる。悠里は引き攣った表情をすることしかできなかったけれど。

「…」

ぼそり、と雅臣が日本語でも英語でもない言語でなにかを言った。ドイツ語だろうか、と推測することくらいしか悠里には出来なかったけれど。語気荒くふたりがなにかをドイツ語で言い争うというカオスな状況についていけなくて、悠里は柊と虎次郎の喧嘩に集中することにする。

そちらのほうは、それはそれは仲よさげに殴り合っているだけだった。楽しそうである。混ざりたい、とは思わなかったけれど。

「で?何だよ、理由って?」
「誰がお前なんかに教えるかって!」

と、肩組んで話しているほうが自然なような会話を殴り合いながらやっているのにはちょっと引いた。あんまりに早いので悠里の目ではいちいち拳が掠っているのだとか、蹴りをしゃがんで避けているのだとかは確認できなかったけれど、とりあえずすごいっていうことはよくわかる。

「!」

柊の右ストレートが、これ以上ないってくらいのタイミングで虎次郎の腹に決まる。思わず膝をついた虎次郎に、柊は満足したようでてのひらをひらひら振って笑っていた。恐る恐る近寄ると、柊がいつものあの笑顔でピースしてくる。

「見てた?」
「見てた…、こいつ生きてる?」
「このくらいで死ぬか!」

と虎次郎に睨まれたので怯えると、柊が氷の生徒会長、と囁いてくれた。もうちょっとで柊のうしろに隠れるところだった。あぶない。

「…満足したか?」
「まー、それなりに」

柊が尋ねると、そんなことを言いながらふつうに虎次郎が立ち上がったのでびっくりする。こいつ全然堪えてないじゃん!と思わず柊に取りすがってしまった。

「もっかいやるか?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」

しかし柊は拳を構えるだけだった。この喧嘩馬鹿!と突っ込んでから、虎次郎のほうをちらちら窺う。

「俺にもその理由ってやつがわかったら、また遊びに来てやるよ」

しかし虎次郎は機嫌よさげにそういって、ひらひら手を振ってカッコよく去っていこうとしていた。そこらへんで唸っている仲間たちを蹴り起こしてやっているあたり、やさしいところもあるのかもしれない。たぶん。

「二度と来んな!」

思いっきり舌を出して中指を立てた柊に思わず表情を崩す。背後でドイツ語での罵り合いが聞こえてこなければ、もっと清々しい喧嘩の別れだったのかもしれないけれど。

「…ところで悠里」
「聞きたいことはわかるけど、俺にもわからん」
「……かき氷でも食べにいくか」
「お、いいな」

とりあえず放っておくことにして、悠里は柊に誘われるままに涼を求めて食堂へ向かった。夏休みはまだ始まったばかり。きっとまだ、たくさんのことがある。

悠里はふいに息を詰める。こうしてまた、歩き出そうとしている。すこしずつ時間を掛けて、変わろうとしている。――恋をすることは、怖い。恋に触れ愛をうけ、それでもなお悠里は、そう思っていた。けれど、このままではいけない、と分かっている。わかっているからこそ、こういった僅かな内心の変化が、驚くほど胸に響くのだ。

なんとなく笑って大股に歩き出せば、ちょっとだけ慌てて歩幅を合わせた柊が、とてもうれしそうに笑ってくれた。







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