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12



一触即発、という雰囲気だった。

「おーおー、もう片付いちゃってんじゃん。つまんね」

それが唐突に打ち砕かれる。ラインハルトが口を開く前に、町があるほうから歩いてきた誰かの一言によってだ。顔を上げそちらを見ると、一目でそれとわかる白銀の美しい剣を手にした男がいる。おそらく先ほど兵が呼んだ応援だろう。目前のそれに、ち、とラインハルトが舌打ちをした。町まで走り町中に紛れるとしても、あれでは一筋縄ではいかないに違いない。空気が違う。

応援は、染色だろうか赤い髪を短く切って立たせた不良然とした人物だった。あまりに騎士の証である剣が似合わないので、なんとなく郁人はおかしくなる。緊張感などとっくの昔に迷子だった。洸の肩越しにその頭部をちらちら眺めていると、その腕がぐいっと郁人を引っ張る。完全に背後に回されたせいで、不良騎士は見えなくなってしまった。

不良騎士といえば、と、郁人は目の前の背中を見やる。この目の前の男もまだ騎士学校の生徒だったころ、郁人の学校の生徒に不良だと勘違いされていたものだ。たしかに素行は悪かったが性根は悪くないのだと郁人はいったけれど、今思えばおそらく洸がまだ正式に騎士という地位にいたならば、きっとこいつも不良騎士だ、と郁人は思った。

「…まずい」

郁人の目の前で、かれがそんなことを考えているとはちっとも思っていないだろう洸の背中が喋る。横を見ると、ラインハルトやシオンが洸を凝視していた。郁人は抑え込まれたままの洸の腕を苦労して外すと、洸の隣に並んで相手をちらりと見る。目を細めこちらの様子を窺うさまはどこか蛇を彷彿とさせた。剣を抜こうか抜くまいか迷ってから、幼馴染の横顔を振り仰ぐ。かれは目の前の男から視線を逸らさないままだ。

「盛大に、まずい。おいおまえら、何とかして町まで走れるか」

洸はいいながら、目前のかれらと同じ剣をぎゅっと握りなおした。何がまずいのか、と問える状況ではなさそうだ。緊張感はないが郁人は空気が読めた。

「つまんねーと思ったけどそうでもなさそうじゃん」

剣が柄を滑る僅かな音がした。瞬間、弾けそうなほどの熱を伴って、赤髪の騎士の剣が洸のそれと激突をする。一瞬の出来事だった。洸に横に突き飛ばされなんとかバランスを立てなおしたところで断続的に続く甲高い金属音にあっけにとられた郁人が、激しく斬り結ぶ二人をぽかんと交互に眺めている。見かねた様子のラインハルトに腕を引かれて数歩離れると、どうやら兵士諸君も同じようにぽかんとしてしまっているようだった。なんとなく二人を取り囲んで、その勝負を眺めている。何をしているんだろうとラインハルトは思っただろうが、義理がたいこの男には洸を置いていくことが出来ないようだった。

「…すごい、洸とまともに打ち合ってる」

どちらが押しているとも言い難い状況は久しぶりにみるものだ。洸は強い。昔から剣ばかり振っていた。そんなかれと対等に遣り合えるのだから、赤髪もそうとうな遣い手なのだろう。さすが騎士、といったところか。不良は見かけによらないということを郁人は胸に刻んだ。

「っ…サイアク」

大きく赤髪を弾き飛ばした洸が額の汗を拭う。ざわざわと噂話をしている兵士諸君(仕事は忘れているらしい)によると、あの男何者だ、ということらしかった。つまり向こうもきっと、赤髪と対等に渡り合える洸に驚いているのだろう。

「センパイ、見逃してくんね?」
「いやだね。何年ぶりだ?コウハイ」

知り合いか、とラインハルトが尋ねる。それが何故か自分に向けられたものだったので、郁人はしらない、と答えた。どうやら未だにターバンと格闘しているらしいシオンのそれを巻いてやりながらである。すでにこの男から眼前の勝負が抜け落ちているらしいことをしって、ラインハルトはため息をつくしかなかった。

「あー、でも、先輩ってことは騎士学校で知り合いだったんじゃないかな」

きゅっと昔よく妹のリボンを結んでやったようにターバンをちょうちょ結びにして、郁人はのんびりとした口調でそんなことを言った。それからひとつ息を吐く。

「入国数分でバレるとは思わなかった」

ラインハルトはため息をつく。諦めたらしい。いろいろ。シオンはありがとうございます、と盛大に郁人に頭を下げ、それから赤髪と洸を交互に見た。

「どうします、ラインハルトさん」
「あれを放っておいて、さきに北の街まで逃げるか」

答えたのは郁人である。それからじりじりと赤髪と睨み合っている洸にいいか、なんて間の抜けた声をかけた。よくねえよ!空気読め!即座に返答が返ってくる。

「駄目だって」
「…おい、いけるか」
「多分大丈夫です」

なんてギャラリーに徹している周囲をよそに、赤い髪の男はそれはそれは楽しそうに笑みを浮かべていた。洸はへらへらと笑うことしか出来ない。この男がどういう男か、知らない洸ではなかった。

「センパイ、頼みますって、ホントに」
「へー、或人弟も元気そうじゃん」

兄の名前を挙げられて、ぴくりと郁人の肩が動いた。そしてまるで何の構えもしないままに、剣を向け合っている二人の間に駆けていく。ラインハルトが腕を伸ばすよりも、洸が郁人の名を呼ぶよりも、先に。

「兄がいつもお世話になってますところでおれがこの国にいるってことは兄には黙っておいてもらえませんかお願いしますあの人怒るとしぬほど怖いし怖いし怖いしおれまだ死にたくないんですお願いします」

こんなに慌てている郁人は初めて見た、と、ラインハルトが零す。じつはかれもまたどちらかというと郁人寄りの性格をしていることをようく知っているシオンは、取り出しかけたナイフを鞘に戻して、たぶんツッコミどころ違いますよラインハルトさん、といった。

構えも何も無く抜刀した郁人の剣先が、紙一枚分の隙間があろうかというほど近くまで、赤い髪の騎士の頸筋に肉迫している。少しでも郁人が動けば、この男は死ぬ。それほど近くだ。赤い髪の騎士はぽかんと郁人の顔を見返していたが、それから、頸筋に剣が当たりそうだと全く窺わせない所作でけらけらと笑い出した。危なかったので郁人も剣を引く。

郁人は父が怖いし妹に嫌われることはもっともっと怖い。しかし兄は、物理的な意味で怖い。長く郁人より優れた嫡子であろうと努力し続けたかれと殺し合うのがいやで国から逃げた郁人にとって、或人の存在は恐怖そのものであった。温厚でやさしい兄であったが血のにじむような努力を無碍にした郁人を憎んでいないわけがないだろう。

きっと兄は弟である自分を殺さない。それは或人が、郁人は自分より優れているとずっと思ってきたからだ。強いものが当主になるべきならばふさわしいのはおまえだと、兄は郁人にそういった。殺し合いなど馬鹿らしいと父に詰め寄る郁人の腕を引き、こうなることは分かっていたとやさしく笑っていた。
それでも郁人に、最後まで本気で戦ってくれと言い続けていた兄である。

「或人弟、おもしろいね」
「おまえ、何やってんだ…」

剣を引いたと同時に洸に引っ張られた。呆れてものもいえないというような幼馴染をよそに、郁人は未だびくついている。探偵らしい仕事に浮かれていたのかしれないが、間違いなくこの国には或人がいることを忘れていたらしい。馬鹿か。さらにいうと洸の見解上或人よりももっともっとおそろしい人物もいるだろうに。

「何のために商人に化けた?」

騎士はあまり気にした風もなく魔石の荷台によると、大き目のそれを取り上げておもむろにスライスした。抜き打ちの居合である。半分になった石からはなんら魔力が漏れ出さなかった。ダミーの魔石であるから当然だ。それに気付いたか、ようやっと兵士たちがラインハルトたちを取り囲む。あーとかうーとかわけのわからないことを喚いている郁人の腕を掴み、洸は半ば捨て鉢で叫んだ。

「走れ!」

だがしかし赤髪の騎士に、かれらを追い掛ける気はすでにないらしかった。ばたばたと追い掛ける兵士たちをよそに、思いきり声を張り上げる。

「或人にはさっきの言葉しっかり伝えておくからね!」

久々に面白いことになりそうだ。不敵な笑みはすでに、誰も見るものがいなかった。






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