main のコピー | ナノ
27



「ああ、麻里?うん。きれいに片がついた」

電話に出た。麻里の兄は無事か、とちょっとだけ焦ったような口調に口元をほころばせ、そう答える。かのじょが兄である悠里をとても大事に思っていることを、かれはようく知っている。…そしてそれは、自身も同じだった。

もしあそこでリオンが間に合わなければ、いつでも飛び出す準備は出来ていた。リオンがいつもどおりの落ち着きを失っていると知ったとき、柊が間に合わなければ、リオンを庇う用意もあった。リオンは殴られたところでどうということもあるまいが、悠里が、壊れてしまうから。

「こっちは山だから、少しは涼しい。お前もこっちのことばかり考えてないで、きちんと勉強するように」

まるで兄が二人になったみたいだと、麻里が笑う。つられてすこし笑ってから、柊と並んで食堂へ入っていく悠里を見かけて片眉を上げた。なにか食べるのだろうか、さっそく腹が減ったらしい。向きを変えればぞろぞろと倉庫棟から、さんざん学園を引っ掻きまわしたやつらが出ていくのが見えた。

向こうからすれば、ちょっとした遠征、とかそんな感じなんだろう。柊とひさびさに拳を交えて満足した虎次郎はいいけれど肋をやられたあいつは溜まったもんじゃないだろうな、と思いながら、通話を切って携帯をブレザーのポケットに落とし込んだ。宵といったか、情報担当のかれも、自分の立ち位置を考え直すいい機会になったに違いない。つぎに来る時にはもうすこし遊んでもらおう、なんて思いながら、かれは笑ってひとつ伸びをした。

未だに口汚く互いの実家のことを罵り合っている雅臣とリオンが、かげもかたちもなく居なくなった悠里に気付いてようやっと喧嘩をやめた。跳ねるようにリオンが先をいくのを肩を竦めて見送った雅臣は、困り顔で控えていた風紀委員たちに指示を出している。これで何事もなく喧騒は幕を閉じ、学園はいつもどおりの夏休みを迎えるのだろう、とかれは確信していた。

―――悠里が見つけたことは。
リオンのなかに、『氷の生徒会長』でない自分が存在しているという事実だった。当然のことだ。リオンはばかではない。今まで何度裏切られ、傷ついて苦しんできたか知れぬ。そんなかれがこころから慕う相手を、見間違えるわけがない。悠里はそれに気付くことができた。仮面のうしろ、ほんとうのかれを見抜いたうえで、好きだと言ってくれるひとがいることを。

進歩だった。大きな進歩だ。かれは自分を、過小評価しすぎるきらいがある。こっそりと話しを盗み聞いていて背筋が冷えたのは、虎次郎の一言だ。

「お前の存在が鍵だった」

と、いうそれ。虎次郎はまさか悠里が自分に自信をちっとも持っていないなんて夢にも思わないだろうから、そんなことが言える。悠里からすれば青天の霹靂だ。そして見守っているこちらからしても、それはそうとうに危ない一言だった。

悠里は、重圧に弱い。集まるひとびとを見回して、おまえがいるからかれらがここにいるのだ、などと言われたらたちどころに参ってしまうだろう。しっている。むかしから、かれはそうだった。本人はもう、覚えていないかもしれないけれど。

…いつか自分のことに、悠里が気付いてしまったら。そのときはどうしようかと、最近よく考える。悠里は柊が転校してきてから、もっといえばかれにあのマニュアルのことを話してから、目に見えて変わり始めていた。それから少しずつ素の自分を見せる相手が増えて、それでもいいのだと受け入れられて、かれのこころは動き始めている。

かれのまわりでたしかに、とどこおった時間は動き出しているのだ。

だからこそそばで見守らなければならない。かれのこころの時計の、最後の一つ。名を付けるのならたしかに『恋』であろうそれがあの時から完全に動き出したその瞬間、かれを支え止めてやるために。

はなからそのつもりだった。いつかその時計が動き出すそのときまで、ずっと見守っているつもりだったし、いまもそのつもりでいる。近すぎてはいけない。…遠すぎては、届かない。かれが自分に疑問を持ってはいけない。干渉しすぎてもいけない。難しいけれど苦ではなかった。場所をここに選んだ以上、この役目は麻里には務まらないのだ。

もとより麻里よりも自分のほうが適任であることを、かれはよく知っている。それでよかった。…かれ自身は、それでよかった。こうしてずっと見守って、いつかかれを縛るあの呪縛が解けたそのときに、かれが笑っていれば、よかった。

「本当に、よく笑うようになった」

つぶやいた。それはかれの、この数ヶ月の総観でもある。思わず悠里に告げてしまうくらいには、それは衝撃的なことだった。ようやっと麻里のつくったあのマニュアルが機能し出したものか、恋に対する悠里の対応が自然になっていくのがよく分かった。このまま少しずつ時が経てば悠里の呪縛が解けるのではないか…、というのは、かれの予想というよりは希望だろうか。

悠里の呪縛が恋なら、かれの呪縛はあの日の悠里そのものだ。かれの恋があの日から動き出したそのときに、ようやく自分もまた動き出せると、かれは思っているのだ。

さいきん食堂で発売を始めたらしいかき氷を手に、悠里と柊が食堂から出てくる。なにかを笑いながら話していた。周りの目が無いと思っているから、悠里の笑顔も、とてもやさしい。

かれには、すこしヒントを与えすぎたかもしれない。今さらだけれどそんなことを思いながら、柊を見た。悠里の『恋』の眠りを覚ます鍵は、イチゴ味のかき氷を掬いながら先ほどの喧嘩のことなど感じさせないしぐさで笑っている。

『―――悠里は、ひとを好きになるのが、怖いんだ』

そう告げたときのかれの表情を思い出して、すこし溜飲をさげた。かれは悠里の錆ついた時計の針を、動かしてくれるのだろうかと思いながら。

風が肌に張り付くように暑い。秋が来て、そして冬を迎えたそのとき、なにか変わっているのだろうか。そんなことを思いながら、かれは空を見上げた。

―――夏はまだ秋月に、終わる気配を見せはしない。

  




top main
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -