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一瞬、言葉の意味を理解することが出来なかった。…悠里は虎次郎以上に茫然として、リオンの背中を眺めている。…いま、この『氷の生徒会長の親衛隊長』は、なんといった?

「……僕に居場所をくれたのは、傍にいていいって言ってくれたのは、あなただけでした」

立ち竦んだリオンのちいさな背中が震えている。…泣いて、いるのだろうか。慰めてやることを許されないてのひらを、悠里はぎゅっと強く握りしめた。虎次郎は意外そうな顔をしてリオンを眺めている。追撃は、なかった。

「なにもしないで。…下心なしにそうしてくれたのは、あなただけでした」

かれはその可憐な風貌を、どんなふうに歪ませているのだろうか。マフィアの家系に生まれ、その跡目争いから逃れるために日本のこんな学校に来て、かれはどんなふうに見られていたのだろう。そんなかれが慕ってくれた自分は、どんなすがたをしていたのだろう。…悠里はすこしも、考えたことがなかった。

「だから、悠里さまが笑ってくださったら、うれしいなって…」

果たして優しかったのだろうか。…強く拒むことが出来ない悠里の甘さは、かれにとって救いだったのだろうか。

かれは『氷の生徒会長』に焦がれる生徒なのだと、そう信じて疑わなかった。自分がかれの救いになっていることなど、ましてそれが氷の生徒会長ではなく『東雲悠里』であることなど、一縷たりとも思ったことはなかった。

悠里の知らないところで、たしかに氷の生徒会長以外の悠里が存在をしていることなど、知るよしもなかった。

立ちつくす悠里の背中を、ぽんとやさしい掌が叩く。隣を擦りぬけていく後ろ姿に、悠里は目を見開いた。

「―――、わかっただろ?」

穏やかな笑いを含んだ声に、息が出来なくなる。かれは、言った。あの第二音楽室で、かれの胸で育った想いを悠里に伝えてくれたときに、教えてくれた。


――お前の、笑うところを見ていたい。


かれの背中がひどく頼もしく見える。リオンと虎次郎の間に割り入ったかれは、たのしそうに笑った虎次郎にきっとあの好戦的な笑みを向けているんだろう。悠里は立ちつくして俯くリオンの腕を引いて下がらせた。震える肩を掴んでその顔を覗きこむことは容易い。だけれどそれは、できなかった。…どんな顔をしてリオンに向き合えばいいのか、悠里にはわからない。

「待たせたな。…ここ、無駄に広いからさ」
「…遅いぞ、ばか柊」
「ばっちりカッコよく決めてやるから、見とけ!」

振り向いてにやっと笑った柊を合図にして、虎次郎と、かれの目的である柊との戦いが唐突に始まった。振り抜きの蹴りで虎次郎をよろめかせた柊は、なんの躊躇もなしに真っ直ぐ拳を叩きこむ。あろうことか後ろに控えていた虎次郎の仲間まで巻き添えにふっ飛ばしながら、それはたのしそうに暴れている。なんとなく、笑ってしまった。

続けざまに放たれた蹴りが傍にいたかわいそうな虎次郎の仲間を玉つき的に三人ぶっとばしていくのが見えた。相変わらずその表情はぞくぞくするような色気を孕んでいる。かっこいい、きれい、と思いながら、悠里は思わず見とれた。まわりの人間はほとんど呻いて転がっているか踏まれないようになんとか這って逃げているので、すでに虎次郎と柊の一騎打ちである。一瞬の出来事だったので、あとの三、四人がどうしてあそこでうんうん唸っているのか悠里にはわからなかった。

じっと押し黙っていたリオンが、ふいに口を開いた。悠里は意識をそちらにむけて、かれの声を聞き逃さないように砕心する。聞いてやりたかった。…悠里を、冷酷な氷の生徒会長を『冷たくなんかない』と言ってくれたかれのことばを、ぜんぶ。

柊は大丈夫だ。無責任に、そう思う。見守ることしか出来ない、ということは、見守っていることで力になれるなら、その限りではないのかもしれない。そんなことを思いながら悠里は、俯いたままのリオンのつむじを見下ろした。

「…僕を、親衛隊長のままでいさせてくれますか」

あんなところを見られて動揺をしていたのは、悠里だけではないらしい。心配だったのだろうか。悠里がいままでどおり接するのか、それとも態度を変えるのか、怖かったのだろうか。…怖かったのだろう。さきほどの言葉をきいて「騙していてごめん」と言うほど、悠里はばかではなかった。

だから、応える。ちょうど一年ほど前、親衛隊をつくりたいのです、と顔を真っ赤にして言ってきたリオンに内心困惑しながら返した言葉を、すこし懐かしく思い出しながら。

「……お前が、そうしたいなら」

顔を上げたリオンは、涙の浮いた瞳をほそめて、それはそれは嬉しそうに笑ってくれた。
それだけで、悠里はとても救われたような気持ちになる。ふいにマニュアルの一節を思い出していた。妹からのメッセージである。

恋は目で見ず、心で見るのだ。

諳んじられるほどには印象深い一節を、悠里はそっと心の中で繰り返す。幾度となく見た文章。彼女が悠里にそれを与えたのは、彼女が悠里を心配してくれたからだ。『あの時』から歩き出せないでいる悠里のこころを、動かそうとしてくれたからだ。

ふいに息が詰まった。…氷の生徒会長は、悠里だ。悠里以外の、だれでもない。そのなかにある仮面に隠された本当の悠里がもし、…こころで見えるのだとしたら。

人を好きになることは、こころを好きになることは、きっととても素敵なことだ。




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