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「どうしたら本気になってくれるんだか」

襟首を捻り上げられながら、悠里はゆっくり時間を数えていた。まだ二分と経っていない。まだ助けがくるまでには時間がありすぎる。…悲しませてしまわないだろうか、とすこし不安になる。柊や雅臣は、これを見抜けなかったことをきっと後悔するだろう。申し訳ない。

何も悪くない、というのは容易い。容易いけれど逆の立場だったなら、悠里は後悔をする。ふたりとも悠里がこんなだということを知っているからなおさらだった。読みが外れた、と思ったら自分の至らなさを嘆くだろう。…悪いのは、悠里なのに。それは、つらい。

「なんていうか、掴みどころがねえヤツだな。…柊が気にするのもわかる」

そんな葛藤など知らずご機嫌な虎次郎はごつん、と額をぶつけてから悠里の襟首を解放した。石頭め、と思いながら、悠里は出来る限り迫力を与えないような無感動な瞳でかれを眺めている。整っているのに威圧感のある虎次郎の相貌は、見ていて飽きなかった。睨み合っているあいだにだれか駆け付けてくれたら。それは悠里に残った最後の希望である。

そんな悠里の氷の表情が瓦解したのは、唐突だった。

「…その方に、触るなァッ!」

悲鳴に近い怒号が飛ぶ。どこから聞きつけたものか駆け寄ってきた人影が、背後から虎次郎に襲いかかる。眼前の虎次郎に肉迫した拳に、目の前で跳ねる金の髪に、悠里は思わずその名を叫んでいた。…氷の生徒会長らしくもない、焦ったような声で。

「リオン、やめろ!」

案の定リオンの攻撃は止められた。前のようなキレのある、それでもって余裕のある攻撃ならともかく、いまのかれは動揺しすぎている。容易く対処され、続けざまの二撃、三撃もあしらわれてしまっていた。それと同時に、うしろで控えていた十人くらいの虎次郎の仲間たちが動き出すのがわかる。

「下がれ!」

あの人数プラス虎次郎を相手にすればリオンがいかに強くとも勝ち目はない。そう叫ぶと、リオンは追撃をやめておとなしく悠里の前まで戻ってきた。虎次郎が目線で仲間を下がらせて、さながら威嚇する猫のように悠里の前に立つリオンと悠里の顔を見比べている。その笑みが、確信的なものになった。

「お前、何で…」

だめだった。…かれのまえで、もう『氷の生徒会長』を演じることは出来ない。なんで、どうして、言いたいことはたくさんあるのに、言葉にひとつもならなかった。

「…お守りします」
「だめだ、逃げろ!」

もう、虎次郎のまえだとか、そんなことは関係なくなっていた。自分のせいでリオンになにかあったら。今度こそ悠里は、悠里でいられなくなる。それは怖い。人を傷つけるのは、怖い。

ひとを傷つけ、うしなうのは、こわい。

悠里の心臓が、いやに煩く鳴り始める。悠里は本能で怯えた。耐えがたい恐怖の記憶。まだ氷の生徒会長という仮面を手に入れるまえの、悠里。ふいにその背が見え、遠ざかり消えた。いまはそれを思い出すときではない。いまリオンが目の前で傷付けば、怪我をしたら、悠里はほんとうにだめになる。自分でもなにもわかっていないくせに、それだけは心が知っていた。

「リオン、俺はお前が思ってるような人間じゃない!お前を守ってやれない、だから」

きのう、秋月と話したことが蘇る。かれはもうリオンに伝えてくれたのだろうか、悠里はあの資料室での出来事をかれに謝りたかったのだということを。

「逃げろ、リオン!」

叫ぶ声は小さな背中に、どんなに情けなく聞こえたことだろう。リオンはしらないのだ、悠里には、逆立ちしたってこの状況でリオンを守ることなど出来っこないのだということを。かれが慕う『氷の生徒会長』なら容易くやってのけるだろうそれを、出来はしない。だのにリオンは、ゆっくりと首を振るだけだ。

「…僕が、守ります」

悠里の目には、笑んだ虎次郎が右のストレートを奔らせるのが見えた。…挑発だ。リオンの登場で取り乱した悠里を、リオンを傷つけることでさらに揺さぶって『本気』を出させよう、というのに違いない。…悠里にはもともと、なにもないのに。

とっさに庇おうと手を伸ばした悠里の先を、かろやかにリオンがゆく。内側から腕を差し込んで拳をいなし、続けざまに二撃目を身体を捻って避けた。反撃を返し、悠里を遠ざけるように虎次郎を押していく。

「なんで…」

泣きそうになって、思わず悠里は唇を噛む。氷の生徒会長だとか、そういう以前に男として、それだけはぜったいにごめんだった。何かしなければ。雅臣を助けたときのように、なにか。いざとなったら代わりに一発殴られて隙を作ろう。思うのに足が動かない。やっと踏み出したときには、リオンと虎次郎の攻防は先をいっている。

「意外だな、『氷の生徒会長』。仲間を大事にするなんて、さ。もっと冷たいかと思ってたぜ?」

ちいさくかわいい同級生はそう言った虎次郎をきっと睨みつけ、身体の大きさの違いを厭うこともなく虎次郎の懐に飛び込んでいった。悠里はただ、もうやめてくれ、いいんだと呟きながらそれを見守ることしか出来ない。

その時だった。リオンが、渾身の力で拳を叩きこむ。受けとめた虎次郎も、数歩後ずさるほどの力で。悠里ははっと顔を上げる。

「悠里さまは、冷たくなんかない!」

リオンは、氷の生徒会長を慕うときのそれと全く変わらない声音で、そう叫んでいた。




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