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少女のひたむきさは、いまのスグリには毒にひとしかった。集会所を出ると、満月まで間もない肥えた月が浮かんでいる。足を止めて見上げると、白い息が出た。シルヴァが着せかけてくれた外套のおかげで寒くはないけれど、冬の足音はたしかに聞こえてきている。山は雪が沢山降るはずだ。とても寒いに違いない。

「スグリ」

ふいに声がかけられる。はっとして左右を見れば、そばにシルヴァが立っていた。どうやら待っていてくれたらしい。ぺこりと頭を下げると、目を細めてシルヴァが笑う。歩き出したかれの背中に、そっと寄り添った。揺れるかれの深紅の髪をみていると、なんとなく安心できるから不思議である。

「…」

帰らなくてはならない、という事実と、帰ろう、という意志は必ずしも一致しない。スグリはそれを感じている。帰りたくない、と思っている自分に、気が付いてはいる。

「シルヴァ…」

距離を詰め手を伸ばし、そっとかれの手を掴んでみた。骨ばった長い指がぴくりと跳ねて、それから力強くスグリの手を握り返してくれる。かれの手の暖かさが冷えた手指に沁み込むようでなんとなくうれしくなった。かれの体温は、いつもスグリのこころをすっと宥めてくれる。

儀式の晩、巫女の手伝いをすることになった、ということをかれにどう伝えようかとスグリは悩む。一番確実なのは、アザミかアカネに伝えてもらうことだろう。スグリのつたない辞書にはもちろん、巫女なんてシルヴァたちの言葉は載っていない。シルヴァはどうするのだろう。スグリの知る限り、シルヴァと婚礼の出来るような女性はこのムラには残っていない。

スグリが女だったなら。スグリは迷わず、ここに残る、といえた。かれの傍で生きたいと、胸を張って言えた。だけれどスグリは男だ。かれの伴侶にはなれない。ほんとうは、ムラに戻るのがいちばんいい。わかっている。けれどアザミやアカネの言葉が、簡単にスグリの意志を揺らがせた。

――シルヴァは、きっと、スグリが居たい、といえば、ずっとそばにおいてくれる。
それはどこか自信を持っていえるくらいにスグリの胸に根付いた実感だった。それほどまでにこの決して短くない期間、シルヴァはスグリをまるで家族のようにして扱ってくれたから。アカネのいってくれたあの言葉は、スグリにとってはシルヴァだった。このムラでスグリが離れがたく思う家族に、シルヴァはきちんとなってくれている。だけれど、それはスグリの実感でしかないのだ。いかに手先が器用で女の仕事をしていてもスグリは男だから、シルヴァの妻には決してなれない。

スグリがあの家に居続けたい、と思っても、それはいつか迎えるだろうシルヴァの伴侶の邪魔にしかならないのだ。それはだめだ、とスグリは思っている。スグリは、シルヴァの迷惑にだけはぜったいになりたくない。

…そんなスグリの内心など知る辺もないシルヴァは、すぐに家に戻ろうとはしなかった。手を引いてスグリとぶらぶら人気のないムラを歩いている。おそらくは儀式をここで行うのだろう、というふうな大きな空き地までスグリを連れていった。

こんなふうな空き地で、火を囲んで踊ったのを思い出す。遠い昔の出来ごとのようでいて、まだ月が三周するほど時間は流れていないのだ。たったそれだけなのに、どうしてここまでかれのことが好きになってしまったのだろう。スグリはふっと息を詰める。

手の力が抜けて、手指がほどけた。そのまま何かに引かれるように、スグリは空き地のまんなかへと進む。花嫁がいて、花婿がいて、そしてそれを祝うものたちが、たくさんいて。スグリは姉が離れていってしまうのがさびしくて、木の影でのんだくれていた。

長老の話。…あの、燃えるようなクサギの視線。思い出せば思い出すたびよくわからなくなるあの目の意味。――ふいにここが、あの日の晩なのではないかとスグリは錯覚をする。うとうとしていたら、まただれかに怒鳴り起こされるのではないか。…今までの全部、夢だったのではないか。そうだったら、どれだけ。どれだけ、救われることだろう。

いいや、夢であってもこんな暮らしを知ってしまったあとで目が醒めるのは、そしてそこにもうなにもないのは、辛いかもしれない。辛いかもしれないけれど、夢なのだと割り切れるかも、しれない。スグリの脳みそでは、答えは出そうになかった。

「スグリ」

ふいに、シルヴァの声がした。スグリを現実に引き戻す、ぴんと張った声。びくりと身体を竦ませたスグリに背後から歩み寄ったシルヴァが、その薄い身体をそっと抱き寄せた。身を強張らせたスグリに構わず、かれはスグリの手を掴むと空き地から歩き去ろうとする。それにつられて足を進ませながら、スグリは一度だけ背後を振り向いた。

満月はおそらく二、三日後。…そのとき、どんな気持ちで、スグリは此処に立っているのだろう。笑っていられるだろうか。最後、きちんとシルヴァに別れを告げられるだろうか。…そしてそれを、後悔せずに、いられるのだろうか。浮かび上がっては答えを出せるわけもなく弾けて消える疑問を払拭するように、スグリはぎゅっと目を閉じた。




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