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リオンとのこともあるから、きょうは悠里は晩に食堂に行くつもりはなかった。すこしは残っている食材で自炊して済ませるつもりである。一般の寮の前で柊と別れ、自分の部屋のある特別棟へと向かおうとした。

けれどふいに見知った人影を見つけて足を止める。そこにいる人物は、悠里の動揺を煽るのに十分だった。かれは壁に凭れていた長身を伸ばし、立ち竦んだ悠里に片手を上げている。

「よ、悠里」

『氷の生徒会長』の親衛隊の副隊長が、そこに立っていた。リオンのことだろうとすぐに思い至り、逃げることも出来ずにゆっくりとかれに歩み寄る。物言わぬ秋月となんとなく並んでそのまま特別棟の一階にあるちょっとしたロビーまで来てしまった。設けられた滅多に使われないソファに腰掛け、悠里は無言で秋月の言葉を待つ。向かいに座ったこの掴みどころのない男もまた、無言だった。

秋月は、じっと悠里の目を見ている。どこか慈しむようなひかりのあるその瞳に、居心地悪く目を逸らす。ひとつ年が上のせいか、それとも秋月の持つ雰囲気のせいか、この男にはいつも見透かされているような気分になるから不思議だ。

「…リオンのことだろう」

黙っていられなくなって、悠里は観念してそう口にする。ん、とかるく頷いた秋月が、すこし笑った。かれは悠里をそういう目で見ていないせいか、『氷の生徒会長』である悠里にも、ふつうの友達に対してするように接する。なんとなくそのせいもあって、罰の悪さは倍増していた。

「ん。あの子めっちゃ取り乱してたから。あんま聞き出せなくて」
「…」
「リオン、何かしちゃったんだろ?…すごい後悔してたから、許してやって」

目を見開いた悠里を宥めるようにして、秋月はソファから腰を浮かして悠里の肩をぽんぽんと叩いた。ちがう、リオンはなにもしていない。言いかけた悠里の言葉が途切れる。

「悠里さまのこと傷つけたって。悠里もさ、見た感じ平気だろ?」
「…ああ、なんてことはない」

嘘をつく。これがもし、雅臣にあの場へ連れていってもらう前だったら、こんなふうに返すことは出来なかっただろう。秋月も、平気そうには見えなかったはずだ。けれど今はもう違う。もう決めたのだ。

―――騙していて、ごめん。

次に会ったらそうかれに言おうと、決めていた。お前の見ていた『氷の生徒会長』はうそと偽りの存在で、ほんとうの悠里は別人なのだ、と。きちんと伝えようと、思っている。

「…すごく恰好の悪いところを見られた」
「あはは、何だよそれ」

秋月はそう笑い飛ばすと、安心したようにふたたびソファに腰掛けた。黙っていればとても秀麗な二枚目であるのに口を開くとちょっと残念になる自身の親衛隊の副隊長の姿に、悠里はちょっとだけ笑ってしまう。

たしかに、そうだ。恰好の悪いところを見られて、イメージが壊れたんじゃないかと悩んでいる悠里、なんてものはそれこそイメージが壊れるに違いない。この男が自分にそんな幻想を抱いていないと分かっているからこそ、悠里も言えたのだけど。

「リオンがさ。悠里がすごく傷ついた顔してた、っていってたから、心配してたんだ」

ぽつり、と零されたのは、そんな言葉だった。悠里は顔を跳ね上げる。秋月は真摯な瞳でまっすぐにこちらを見つめていた。――紛れもない、純粋な心配がそこにある。それにまた申し訳なさが波のように襲ってきて、とっさに悠里は目を伏せていた。こんなふうに取り乱している時点で、悠里は『氷の生徒会長』なんかじゃない。なのに秋月は、それに対してなにもいわずに放っておいてくれる。

なんでなんだろう、とふと考えた。

秋月の態度は、どれとも違う。愛とか恋ではない。けれど悠里のことをとても好いてくれていると思う。…恋愛感情ではないから、余計にそう感じる。悠里にとって、愛や恋はいつかそれを失い崩れ無くなってしまうものだけれど、友情は違った。秋月から感じるのは、どちらかといえばそれだ。しかも、どんな悠里を前にしても向けられるほどの、強固な。

「でも、あの子もほっとするよ。明日でも、悠里は気にしてなかったよってちゃんと伝えとくから」
「…あ、ああ」

秋月がそう言ったせいで、悠里の思考はそこで途絶えた。かれがそう先だって言ってくれるのなら、リオンもつぎに悠里に会ったとき、そんなに驚かずに済むだろう。

「――謝らなきゃならないのは、俺だ。俺が弱いから」

そしてふいに、悠里はぽつりとそんなことまで口にしていた。けれど驚く素振りもない秋月のせいで、悠里はさらに弱く脆い自分をさらけ出してしまう。

「…だけど、きっと俺は、お前は弱くないって言ってもらうのを、待ってる」

それは。
今この場ですら秋月が、この学園『らしくなさ』を徹底的に悠里に与えてくれているせいだと思う。悠里の氷の仮面が見ている外側に、いつもかれは立っている。

かれは悠里に、決して愛や恋に由来する優しさを与えない。それはかれが悠里を好きでないからで、悠里にとってそれは救いだった。恋に怯える悠里は、極端にそれを失うことを恐れている。だからそもそも自分に恋や愛を向けない秋月の前では、どうしても悠里は脆くなる。かれを前にして弱さをかれに見せることを、悠里は怖がらないから。

「悠里は、弱いよ」

…そして、秋月は悠里に、悠里が望んでいた言葉をくれた。引きとめてごめんな、とまったく変わらない様子で立ち上がった秋月が、またなと手を振ってくれる。ああ、と頷いて立ち上がり、悠里はひどく安堵した。

――かれのくれた言葉は、かれが知るはずのないほんとうの悠里を肯定してくれるような気すらしている。




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