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「…な、」
直後。宵が上げた引き攣った悲鳴に咄嗟に振り返った雅臣は、そこに顔面を蒼白にした悠里が立っていることに気付いて絶句する。かれの長くきれいな手指が、宵が覗きこんでいたコンピュータを捉えて。
それを無理やり奪いとり、思いきり地面に叩きつける!
ガシャンといういやな音といっしょに、宵が唖然と悠里を見た。悠里は意志の強い目で、――けれども『氷の生徒会長』のそれともまた違う目で、それを見返している。
「…ナーイス、悠里」
最初に反応したのは雅臣だった。すぐにかれと宵との間に滑り込みついでにモニタを踏み壊して、向きを変えたしづかの一撃から悠里を庇う。引きとめるわけでなく、かといって背中を押そうというわけでもなく制服に引っかかった手指が細かく震えていることに気付き、雅臣の胸は言い表せない、どこかあまい感覚に震えた。どうにかしてなにかしようともがいている悠里が、たまらなくいじらしい。
「チッ」
「大丈夫。…僕ひとりでいけます」
今度は放たれた雅臣の一撃から、しづかが宵を庇ってそう声を上げた。どうやら宵のほうは後方支援に特化しているらしい、と頭で判断をして、それ以上の追従をやめる。狙うのはただ、こちらの古武術の使い手だけだ。
確かに雅臣はすでに手負いだ。対してしづかのほうは殆どダメージを受けていないから、この状況下ではしづかのほうが優位である。雅臣だって楽に勝てる相手だとは思っていない。けれど、ただこの背中のうしろに庇った存在が、不思議なくらいにかれのこころを奮い立たせた。
「残念だったな。…俺、今から超カッコいいとこ見せなきゃなんねえの」
イーヴンなこの状況下、いま、誰かに負けるなんてことを雅臣は少しも思わない。ただそこにいるだけでずっと雅臣を強くさせる悠里は、すごい、と思う。いままでかれのまえで誰かと本気になって殴り合ったことはなかったな、と頭の隅で思いながら、雅臣は地面を蹴ってしづかに肉迫をした。最早見守ることしか出来ないらしい宵と刹那目が合う。に、と笑みを浮かべれば、その表情が引き攣るのがわかった。
「っ、…!」
一瞬早く放たれたしづかの突きを、雅臣は身体を捻って避ける。先ほどまでと違いその軌跡は雅臣にもしっかりと視認できた。まだまだ自分にも隙はあったもんだ、とちょっと気に食わなく思いつつ、そのガラ空きになった胴に肘を決める。
「…しづか、無理をするな!退くぞ!」
さすが武術家、というだけあって、急所にあたる丹田への攻撃の瞬間にとっさに防御をする姿勢を取ったのがわかった。それでもよろめいたしづかに、宵が声を荒げる。絹糸のような髪を振って、しづかは再びその切れ長の瞳で雅臣を睨んだ。
「成程。…噂通りですね」
「ふうん」
悠里の目には、地面を蹴る雅臣の足取りのリズムがまるで舞踏をしているみたいに見える。やっていることはそんなのちっとも関係ないような荒々しいことだっていうのに、かれの動きはなにかの型に沿っているような、そんな規則正しさを悠里に感じさせた。柊の喧嘩の仕方とは違う。そう気付いたのは、そのすぐ後のことである。
「……、」
膝をついたのはしづかだった。そのままぐらりと横に倒れかけるのを、駆け寄った宵が抱え止める。満足げに肩を下ろした雅臣が、悠里を振り返ってにっと笑った。相変わらずなやつだ、とちょっと呆れながら、恐る恐るその背中に歩み寄る。
「そっちのシマジロウだかトラジロウだかに言っとけ。近いうちに会いに行きますってさ」
しづかの肩に腕を回してひっぱり上げた宵が、追撃を寄越さない雅臣に胡散臭い目をむけた。それからひとつ息を吐き、青いろの頭を振ってそのまま来た道を戻っていく。その背中が見えなくなってから、悠里は思わずふうっと息を吐いて胸を撫で下ろした。
「さっきは助かったぜ、悠里」
「いや、おまえこそ…大丈夫か?」
ぐしゃぐしゃとどこか慈しむような手つきで髪を掻き回され、悠里は相変わらずすぎる雅臣に不安そうな目を向ける。雅臣は笑って頷いた。
「へーきへーき」
居てくれるだけで強くなれる。――きっとそれは、とてもすてきな恋だ。実のところ冷静に判断して身体は全然平気ではなかったのだけれど、雅臣のこころは浮かれるくらいのこうふくで満ちている。いつのまにか雅臣の身の裡で想いの種は、驚くほど大きく育っていた。
「…っ、全然平気そうじゃないだろ!」
歩き出そうとしてぐらりと揺れた身体に、悠里が泣きそうな声を上げる。そういえばかれが泣いているところを、見たことがない。それにすこし驚きながら、雅臣は喉の奥でちいさく笑った。
「…じゃ、肩貸して」
頷いて身体を支えてくれた悠里の心配そうな目線がこそばゆくてたまらない。狙い通り顔をそっちにむけて、ちゅっと頬にキスをしたらグーでパンチをされた。