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17



泣くことなんて、ずっとなかったのに。それは諦観のなかで生きてきたスグリにとって、当然のことだったのに。…たった数日前に出会ったシルヴァの存在が、面白いくらいにスグリの根幹を揺るがしていた。それが怖いし、苦しいし、もどかしいしうれしい。

「スグリ」

子供のように駄々をこねてしゃがみこんだスグリの腕を、シルヴァが掴む。やさしいけれど確かな意志を持った腕が、そのままスグリの身体を引き寄せた。かれの胸のなかへ引きこまれ、大きな掌がスグリのおとがいを掴んで持ち上げる。晒された頬の涙のあとを長い指がなぞるのがわかった。ふたたびふつふつとわき上がった涙の粒を、やさしい指がぬぐって離れる。

「…シルヴァ?」

そして、かれは歩き出す。スグリになにも疑問の余地を挟ませる気のない確固たる足取りに半ば引きづられながら、スグリはかれに諾々とついていくしかなかった。家へと戻るのだということはすぐにわかったけれど、シルヴァがそれ以上なにもいわないから――、いったとしても意味はわからないのだけれど、響きだけでスグリの胸をあまくせつなく震わせる、あの優しい声で名前を呼んでくれることすらないから、スグリはふいに罪悪感に襲われた。みっともなく取り乱して通じない言葉でまくしたてて、おまけに涙まで流して。困らせて、しまったに違いない。

家に入り、シルヴァが後ろ手に扉をしめた。寒いそとの空気から遮られて、立ち止るとやけにおもくるしく感じられる獣の皮の外套を、じれったくシルヴァの手が外してくれる。シルヴァの分とあわせてふたつ足元にばさりと音を立ててわだかまった外套をスグリが目で追えば、言葉もなしに掴まれたままだったスグリの右手が引き寄せられた。

「…!」

背中に回ったかれの腕が、息が出来なくなるくらいにスグリの身体を掻き抱く。はく、と肺に残っていた空気を吐き出して、スグリは指先までをいっぺんに硬直させた。

「スグリ…」

シルヴァの声が、スグリを呼ぶ。かれの胸に押しつけられた頭ではその表情を窺い知ることは出来なかったけれど、その声はあまくくるしくスグリの鼓膜を震わせた。続けて注ぎこまれるのは、スグリにはわからない言葉の羅列。

スグリには、かれがなにをいっているのか、すこしもわからない。…さきほどのスグリと同じだ。感情のままになにかをまくしたてている。伝えたくてたまらなかった気持ちが、もどかしくぶつけられる。…それすらここちよい、と思ってしまう自分に、スグリはしんそこ辟易した。

かれが自分のために躍起になってくれるということが、それだけでたまらなくうれしい。なにひとつわかってやれない自分のもどかしさすら押し潰すくらいに、真剣な響きのシルヴァの声は心地よかった。

「シルヴァ…」

心臓のおとが聞こえてしまわないだろうかと思いながら、スグリはゆっくりとシルヴァの背に腕を回す。ふいに言葉をきったシルヴァの腕の力がますます強くなった。このままずっと抱きしめられていたら、スグリのなかの恋情までかれに露見してしまうのではないか、そんなふうに思うくらいの甘さで抱き締められて、スグリはそれ以上なにもいうことが出来なくなる。

だから黙って息を詰めて、されるがままにだまっていた。そしたらふいにスグリのおとがいにシルヴァの手指がかかり、密着したままスグリは顔をあげさせられる。

「…」

長身を折り曲げたシルヴァと、吐息がかかるくらいの近さで見つめ合う事になってしまった。安易に目を開けた事を後悔しながら、スグリはかれの指が先ほど涙に濡れた場所をたどるのに任せる。

「…」

そのままスグリの頬をてのひらでつつんだシルヴァが、ゆっくり柔らかく笑う。それを見ていたら、ふいにスグリの緊張もほぐれた。

……わらった。

なにかスグリに、とても大切なことを伝えようとして。そしてシルヴァは、笑ってくれた。いつも通り、優しく。

ゆっくりとスグリが表情を笑みに崩すと、シルヴァはそっとその身体を解放してくれた。わだかまったままの足元の外套を取り上げて、スグリを目線で促してシルヴァが寝室へと向かう。その背中に続きながら、スグリは薄っぺらい胸に言い聞かせた。

――黙っていよう。
この思いは、胸の深いところに、そっと鍵を掛けてしまっておこう。そうすれば。そうすればスグリは、シルヴァのそばにいられる。かれのそばでいままでどおり、笑って暮らしていける。きっとシルヴァはスグリがそう暮らせるように、色々してくれるだろうから。

黙っているだけでいい。この胸の甘苦しい恋情だけ、そっと抱え込んでおきさえすれば。

「…スグリ?」
「ん…」

何でもないよ、というふうにシルヴァに笑いかけ、スグリはかちりとこころに鍵をかけた。…スグリはむかしから、諦めることに慣れている。なかったことにしてしまうことも。

そんなふうなスグリの笑顔になにか感じるところがあったのか、シルヴァは長身を屈めてスグリの顔を覗きこんだ。それだけで胸が驚くくらい甘く震えてしまって、スグリは自分にちょっと辟易をする。

それから身体のよこにぶら下がっていた掌を掴まれた。引く、というよりは捕まえておく、といったほうが当てはまるように、かれはそのまま歩き出す。それに従って眠気を訴え始めた身体を寝室に向けながら、スグリは手の甲をやさしく撫でる長い手指を目を細めて見つめた。





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