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やさしいいばら



なにもいえない。好きだもお前がほしいも愛してほしいもなにも、俺の口から吐き出すことなんてきっと到底出来ない。むりやりにキスをしておきながらその胸を突き飛ばして勝手に逃げて、それでなんとか抱えてきた包帯と消毒液でへたくそに傷口を覆っている俺はきっと馬鹿だ。

…、驚いた、顔をしていた。あいつはやさしいからきっと、俺を避けたりしないだろう。つぎに会った時、きっといつもどおりに『怪我は大丈夫だった?』なんていうのだ。俺は、それにお前の知ったことじゃねえ、なんていう。それであいつはさみしそうな顔をして、それだけ。きっともう、二度とあいつが俺に触れてくれることはない。

触れて、しまったから。俺から手を伸ばして引き寄せて、それでも手に入れられないとわかって投げ出した。すき、とたった二文字吐けばそれで済むはずなのに、俺のばかみたいに複雑なこころはそれを許さない。だって俺は、すき、といって満足できるほどお上品ではなかった。愛してほしい。あいつのすき、がほしい。ばかみたいだ。願うこととやっていることが真逆すぎて、笑える。

静まり返った生徒会室に滴る消毒液の音だけがする。包帯の巻き方なんてわからないから適当にセロハンテープでとめておいた。あれだけ手当されておいて、俺はきっとあいつの手ばっかり視線で追っていたんだろう。なにひとつ覚えちゃいなかった。馬鹿みたいに。

もう触れてもらえない。そう考えるだけで吐き気がするくらいに、あいつのことが好きだった。

「…ッ」

傷口にアルコールが沁みる。痛みに呻いても、やさしく宥めてくれる熱はもうない。最後に与えられたのは、…奪ったのは、乾いた唇の熱だけだった。俺のそれよりも体温のたかい、かさついた感覚。足りない、と思う。もっと触れてほしい。いまさら遅いことを考えながら、大半の生徒の下校が済んだ学校の静まり返った生徒会室で俺は消毒液のボトルを見つめている。

すきだ。ずっとすきだった。初めて手を差し伸べられたあのときから、きっとずっと惹かれていた。あいつは俺にはやさしすぎた。それがあいつにとって誰にでも与えられるものであったとしても、俺を錯覚させておぼれさせるには十分だった。独占したい、もっとほしい、そう浅ましく願ってしまうくらいには。

すきだった。今思えば、きっと、傍にいられればそれでよかった。それだけで。今よりはずっとましだ。もどかしくて苦しくても、あの優しい手指で触れてくれるのなら、それでよかった。手遅れだ。

「…」

静寂を破る音が聞こえる。靴の音だった。かつかつと一定のリズムを刻んで歩いてくる足音に、俺は身体を竦ませる。迷わず生徒会室の前で止まったその足音の主に、心当たりがないわけが、なかった。…あんなふうな別れ方をして。やさしいあいつが、俺を気づかわないわけがない。もう俺はあいつに触れてもらえないのに、あいつの平等な優しさじゃ到底足りないのに、どんな顔をして会えというんだろう。けれど残酷にも、僅かな沈黙のあとに生徒会室のドアはゆっくりと押し開かれた。

「…居た」

固く凝った声が、ぼそりと先ほど触れた唇から吐き出される。俺は椅子の上にふんぞり返って、内心は泣きだしたくなるくらい怯えてあいつの顔を見た。焦燥が焼きついた辛そうな表情に息が詰まる。…違うんだ。俺はお前にそんな顔をさせたいわけじゃない。笑っててほしい。いつもみたいに。…俺に。

「これ、もういい。返す」

生まれた沈黙に耐えきれなくて、俺は机の上に転がしたままだった包帯と消毒液を指差す。傷は引き攣るように痛い。…もう、こころはずたずただ。くるしい。もう、きっとそう言ったって、こいつは俺に触れてはくれないんだろう。

触れてほしい。そう、一言言えたなら。やさしいあいつは、それを叶えてくれるんだろうに。

「…」

何も言わないままに、あいつは机の上のそれらを手にすると、俺に背中を向けた。なにか弁明があるとでも思っていたのか、それとも俺の態度に呆れたのか、多分後者だ。そのままその背の高い影は生徒会室の扉に手を掛けた。俺の心臓は弾けてしまいそうなくらいに高鳴っている。…なにか、言わなきゃいけないのに。待って、と、言わなきゃいけないのに。喉がカラカラで、言葉はなにひとつ出てこない。

「…、ああいう事するの、もうやめろよ」

かわりにあいつがいったのは、そんな一言だった。
身体中の血液が冷たくなるような錯覚がする。全身がぞわっと粟立って、俺は首を絞められたみたいな感覚を覚えた。そう押し殺したような声を出したあいつの背中がぶれる。たぶんこころが物体として存在しているのなら、それはいま音を立てて砕け散ったんだと思う。いうなればそれは、死刑宣告みたいなものだった。

誤解されたまま、なんにもつたえられないまま、嫌われてしまった。それならもういっそ、この息の根ごと止めてくれたほうが、よかった。

「…、ずっと、好きだった」

ぼと、と大げさなくらい音を立てて、大きな涙の粒が机の上に落ちる。待って、と叫びそうだったのに、また俺はなにも言えなくなった。俺の耳がついに自分の都合のいい幻聴を作りだしたのでなかったら、今、今、たしかにこいつは、俺のことを。

「好きだったんだ。…だからもう、ああやってからかうのは、やめろ」

決して振りかえりはしないあいつの背中は僅かに震えていた。言葉の意味を理解して、俺はまた絶望をする。…あたりまえだ。言葉にしなければなんにも伝わりはしない。なんにも伝わってはいない。俺がどれだけあいつのことを好きかっていうのも、苦しいかっていうのも、…なにも。

好きだった。

それは、ひどく残酷な台詞だった。ますます嫌われてしまったと俺を苛める。俺が馬鹿だから。俺が拒絶したから、もう、こいつは俺に触れてはくれない。俺を愛しては、くれない。

…そんなのは、いやだ。



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