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18


臨時の資料室となっているこの会議室では、一種異様な空間が広がっていた。椅子に座って頭を抱えている氷の生徒会長。時折ぽんぽんとその背中を叩いてやっている、噂の転校生。それから一心不乱に書類を捲る、風紀委員長。会話は、なかった。

リオンに紙飛行機を飛ばしていたところを見られてから、悠里は目に見えて落ち込んでいる。何事かととるものもとりあえず駆け付けてくれた柊もお手上げだとばかりに肩を竦めていた。

…度重なる衝突のなか、何も役に立てないのは、つらい。毅然とした『氷の生徒会長』でいることすらできないのは、もっともっとつらい。

「…なんで」

何も役に立てないで、そのくせいつもは涼しい顔で傲然と笑っているのだろう。ぐしゃりと前髪を掻き混ぜて、悠里は唇をかみしめた。悠里のほんとうは、ただ悔やみ嘆くことしかできない、ごく普通の一般人である。それだけはどうしようとも変えられなかった。

だから。
悠里は仮面を、リオンのまえでは…『氷の生徒会長』を慕ってくれる人間の前では、絶対に外さないつもりだった。それが義務であり責務であると思っていた。せめて欺き続けることが誠意だと、そうやって思っていたのだ。

ずるずると悠里の思考が鬱屈の森に沈んでいく。吐き出す息が重苦しく机に跳ねる。せめて虚勢を張っていようと思うのに、いま『氷の生徒会長』の仮面を被るのは苦痛すぎた。

見かねたのは、小難しい顔で書類と睨み合っていた雅臣だ。

「悠里」
「…」
「ゆーり!」

書類を投げ出した雅臣が、上の空の悠里の腕を掴む。ぼんやりと顔を上げた悠里の表情はといえば不安と焦燥を全面的に押し出した情けのない困り顔で、雅臣は僅かに言葉に詰まった。…たしかに、かれに、『氷の生徒会長』にこの局面は辛すぎる。そんなかれの唯一のよすがであった、『皆の前では』氷の生徒会長でいる、ということすら、ついに崩れてしまったのだ。かれが落ち込むのもむりはない。

だからこそ、雅臣はかれに手を差し伸べたいと思う。…俺だったら氷の生徒会長が紙飛行機で遊んでたら一発でオちるけどなー、なんて思いながら。さっき口に出したら思いっきりグーで殴られた。ちょっと痛かった。

「―――ホントは、やらせたくない」

何事かと顔を上げた柊が、いつになく真剣な雅臣の声に目を細めた。伏せられた長い睫毛にぼかされた悠里のふたつの黒の瞳が、緩慢に彼の顔を見上げる。

「お前が『氷の生徒会長』だからじゃなくて」

ふいに窓の外から聞こえてきたのは怒号と騒がしい足音だった。また外で衝突が起こったのだろう。それに目をやってから、再び雅臣がじっと悠里の瞳を覗きこんだ。…本当は言いたい。そんな演目、いつでも辞めていいんだぞ、と。

そういってやりたいけれど、それはできなかった。雅臣は知っている。悠里にとって『氷の生徒会長』が、この学園にいる上でどんな意味をもつことかなど。

「惚れた相手を危ない目に合わせたくねえの」
「…おい、お前、悠里に何させる気だよ」

割り込んだ柊に構わず、雅臣はその精悍な美貌に僅かに笑みを乗せた。かれらしくもなく、どこか自嘲気味な笑み。

「…本当は、俺とお前は今、一緒に行動すべきじゃない。だけど」

そこまで聞いて、不意に悠里が長い睫毛をしばたかせた。その瞳の輝きが、確かなものになっていく。柊が何かをいうよりも先に、座っていた椅子から立ち上がった。

「行く。―――、囮だな」
「ああ。極上の撒き餌だ」

何か言いかけた柊が、悠里の表情を見て言葉を止めた。それから僅かに唇を噛み、雅臣のタイを掴む。

「悠里になにかあってみろ、ぶん殴るからな」
「大丈夫だって。柊ちゃんは見回り頼むわ」

ふいに破顔して、雅臣は悠里の腕を取った。笑いながらその腕を引く。すこしふらついてから、悠里は顔だけ柊を振り向いた。

「…俺にも出来ることがあるなら、何だってやる」

それは悠里の、悠里なりの覚悟だった。

「おう。…頑張れよ」

ならば柊には、それを邪魔することは出来ない。雅臣にかれを任せるのは癪に障ったが、かれのためならばそれも仕方ないだろう。柊でもいい囮になるだろうが、かれらの最終目的が柊にあるところからすれば、邪魔者ふたりが揃っているほうがあちらを刺激出来るだろうと柊自身も考えた。

悠里はまだ気付けない。臆病だから、だろうか。愛することを恐れるのは、愛されることを恐れるのと同義だ。…リオンが好きになったのは。かれが本当に好きなのは、『氷の生徒会長』ではない。東雲悠里その人なのだと、いつか悠里は気付けるだろうか。生徒会の面々やリオンたちと接しているときにその表情が幾許か柔らかく綻ぶこと、そしてそれを周りが喜んでいることを。

見守れたらいいと思う。悠里がいつか、いつもどおり笑ってもいいのだと気付けるそのときを、かれのそばで、ずっと。


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